◆ BIOGRAPHY ◆

□◆ 来歴 第一章 ◆
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■2009年


2009年上旬にバンドは大きなスランプ状態に陥り、実質的に一時期活動は休止となる。
しかし、4月中旬に金城と変李が互いに資金を出し合いKORG社製のシンセサイザー:「R3」を約6万円で購入。
バンドは活発化する。
またそれとほぼ同時期に変李は右利き用の普通のストラトキャスターを購入しているが、変李は左利きの為、右利き用のストラトのストラップのピンの位置をギターボディの左側に移し、改造したり、弦も逆に張るといった事をしていた。(簡単に例えれば、ジミ・ヘンドリックスが愛用していたストラトとほぼ近いタイプである)つまり変李は右利き用のストラトを左利き用に対応する為に少しの改造を施し、使用していた。

それから、金城と変李はP-MODELや電気グルーヴ、他のニュー・ウェイヴ・バンド等といった、テクノ・ポップ、ダンス・ミュージックの音源や映像を次々と頭に叩き込んでいき、2009年は自分達のバンドの成功を掴む為の音楽勉強がひたすら続いた。

また、自然体なテクノをやる為にテクノやダンス・ミュージックには必要不可欠なエフェクターやボコーダー等の機材を使用しない等、自らの音楽性を固めていく。

近年の日本の音楽業界に期待しておらず、寧ろ日本の音楽業界に怒りを覚えていた。
2人は当時の口癖として、毎回のように

「日本の音楽産業は腐りきっている。」

当時、変李と金城が忌み嫌っていた象徴的なアーティストとして挙げられるのは、金城と変李が活動していた当時にブレイクしていた、CapsuleやPerfume等といった中田ヤスタカの作る音楽である。
金城と変李にとっての一番尊敬している、アーティストであり、テクノ・ヒーローは平沢進(P-MODEL)であった。

第一期のTHE LIMITTARE-LINEはそういった近年のテクノ・ポップの裏の裏の裏をいくテクノ・バンドを目指し、バンドのテーマとして、テクノと他ジャンルの融合を目標としていた。

また、金城は当時ギタリストとして、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのアベフトシやローリング・ストーンズのキース・リチャーズ、UKロック3大ギタリストの1人である、ジェフ・ベックに多大なる影響を受けており、コピーを繰り返し練習していた。
金城はカントリー、ニュー・ミュージック等も好んで愛聴していた為、井上陽水やボブ・ディラン等といったアーティストからも多大な影響を受けていた。

2人は誰も予想のつかない音楽性を探し求め続けた。
しかし、ドラマー探しに手こずり、結局ドラマーがいないバンドとして、バンド活動や話し合いは続く。

それからというもの2人が求める方向性にズレが生じ、2009年冬には活動は再度休止となる。
この方向性のズレとは、金城が電子音楽+ロックンロールというサウンドを求め、誰にも真似出来ない様な音楽性をバンド・サウンドに取り入れ、そして誰もがノレる様な自分達にしか出来ない音楽性にしたいという考えがあったが、変李が頑なにテクノとコンピューター・ミュージック一筋で行きたがる音楽性の違いであった。


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