ウィンリィ来たる

□ウィンリィ来たる
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その1 中編






ウィンリィは靴屋の隅でしゃがみ込み悶々と頭を抱
えた。

そんな彼女の心を知ってか知らずか、視線の先にはちょこんと
愛らしい淡い桃色のうさぎの絵のついたサンダルが、仄薄っす
らと埃を纏って堆積した箱の上に無造作に置かれている。片方
が斜めに落ちそうになっているのが気になって、つい手を出し
てそれを直し、正しい位置に整える。

先程の声の子供……。このくらいの足をしているのかも知れな
い。

ふとそう考えてしまったら、余りに想像がリアルになり過ぎて
しまい、ウィンリィは冷や水を飲んだように胸を凍らせ、両手
でその胸を押さえた。その時。

「ウィンリィ! お待たせ!」

彼女は飛び上がった。

逆光で表情が良く見えないのも災いし、すぐに笑顔を向ける事
が出来なかった。

「ウィンリィ? ……どうしたの? 顔色が悪い」

「な……、なんでも、ない。……その、汽車に、酔って……」

「なんだ。なら尚更、駅で休んでくれば良かったのに」

小さく嘆息して、小首を傾げる、その姿。何処にもおかしいと
ころは見られない。手を取られて、立ち上がらせられる。ああ
、また、背が伸びただろうか。

「ひとつ隣の通りなんだ。すぐそこだよ。荷物はこれだけ? 
歩ける?」

「あ……、うん」

何か考えるよりも前に歩き出されてしまう。その後を着いてゆ
く。遅れないように、隣に並ぶ。ひとつ、しっかりと息を呑ん
で、横顔を見遣る。



生まれた時と変わらない。

子供の頃と変わらない。

元の身体に戻った時と変わらない。

リゼンブールを出て行った時と変わらない。

……どこもおかしくなんてなっていない、琥珀の瞳。

「ウィンリィ? どうかした?」

「……うん、背が伸びたなあって」

「ああ、やっぱり? ちゃんと測ってはいないんだけど、リゼ
ンブールを出た頃より5センチは違うと思うんだよね。あ、そ
こ、右ね」

「ねえ、アル。……あのね、アル、……」

ちゃんと、訊かなくてはならない。言わなくてはならない。先
程の、子供の事。けれど勇気が出ない。

何と聞けばいい? 何と言えばいい? 私は、どうしたら、い
い?

「着いたよ、ウィンリィ。ここの4階なんだ」

……着いてしまった。

結局何も話し出せないままに、フラットまで来てしまった。ア
ルフォンスの背に次いでウィンリィは階段を上る。2階……3
階……そして4階へ。

角の一部屋。当たり前のように慣れた手付きで、アルフォンス
は尻のポケットから鍵を手にした。

ウィンリィはその姿に、不気味な違和感を感じる。

「まるで一人暮らし……みたいね」

「ああ…………うん、兄さん一人の時は寝てるか本読んでるか
だから……本読んでる時は、気付かないし」

「そ、そう」

ヘタな事を訊かなければ良かった。ウィンリィは後悔した。

開かれた扉の向こうには、誰の姿も見えなかった。どうぞ、と
通される仕草に、ごくり唾を呑み込んで奥へ踏み出す足が小刻
みに震えている。

「兄さーん! ウィンリィ来たよー!」

狭い廊下は右手に曲がり、開けたダイニングキッチンへ。

きちんと整えられたキッチン台に、四人掛けのテーブル。テー
ブルの上には、焼き菓子とお茶が綺麗に設えられている。人ら
しきものの影は、ない。

「あれ、おかしいな。兄さーん? うわっ!?」

「えっ、きゃあっ!?」

アルフォンスのボトムの膝の辺りが、突然不自然に何かに引っ
張られるように動くのを見て、ウィンリィは悲鳴を上げた。そ
してそれからの光景にも、度肝を抜かれる。

アルフォンスが、明らかに見えない何かに触れている。引っ張
られている。しゃがむと、今度は髪に触れられている。袖を引
っ張られている。そしてその何かの腕を持ち上げている。

見えない何かが居る。本当に居る。そうでなければ、あんな服
の動きは、手の動きは、出来やしまい。

「やだ、ねえ、ホントに、ホントに居るの!? 何が居るの!
?」

「何がって、だから兄さんが……え? 何? 突然消えちゃっ
たの? 見えるように出来ないの? ……うん、……うん、…
…そっか、困ったなあ」

「……ちょっと!! アル、何なのその手! どうやって会話
してんのよ、何なのよ! 教えてよ!!」

アルフォンスは右手を犬に「お手」するように広げて見
せているだけで、見えない透明"のエドワード"の言
葉を聞いている。

「これはね、今は触れる事は出来るから、指で手のひらに文字
を書いてもらってるんだ。それだけだよ。簡単だろ?」

「…………」

…………ああ、そういう事か、と、頭では理解が出来ても、心
がついていかない。

「ウィンリィとも話せるよ、やってみる?」

「えっ!? ……で、でもっ」

「ほら、こうして」

アルフォンスに取られた腕、その腕を下げて、同じように手の
平を上に……。

「わあっ」

ウィンリィの手のひらを、少しだけ冷たい柔らかい何かが触れ
た。そして。



『 Y 、 O 』



「…………」

細く小さな、……指? 指が、触れたのだろうか。確かに書か
れた、文字……。

「つ、続けて。続けて、書いて」



『After a lon……』

「待って! もっとゆっくり!! 始めから!!」



指の動きが止まり、もう一度初めから、ゆっくりと動き始めた


『 A f t e r   a   l o n g   t i m e 
 w i n(久し振り ウィンリィ)』



「……エド……なの……」

『 Y e s 』

少しだけくすぐったい、見えない何か。

まだ信じる事など出来ない。けれど否定する事も出来ない。ど
うしたらいいか分からない。

「本当に兄さんなんだ。今は、ちょっと調子が悪くて姿が見え
なくなっちゃってるけど、すぐ見えるようになるよ」

「……ど、……どうやって、信じろって……言うのよ……」

『 A n y t h i n g   a n s w e r s  (
何でも、言ってみろよ)』

「……じゃ、じゃあ、アンタの……キライなもの……は……?


『 M i l k 』

「…………」

「牛乳だって言った?」

横からアルフォンスが覗き込む。

どんどん知らしめられる。この"何か"がエド
ワード以外の何物でもないと教えられる。理解出来ない頭にぶ
ち込まれる。どうしたらいいか分からないのに、付いて行けな
いのに、現実だけが先回りしてウィンリィを覆い込む。

ウィンリィは、音も無くその場に尻餅を付いた。腰が抜けた、
というのが正しいだろうか。

右手だけはそのまま固まったように差し出したままで、もう一
つ質問を口にした。

「それじゃあ、アンタの、……好きな、もの、は?」

『…………』

少しの間があった。そして。

『 A l p h o n s e 』

しっかりと、その感触は予想通りに動き。

『 a n d  y o u 』

予想外のおまけを、ウィンリィの柔らかな手の平に刻んだ。

ウィンリィは力なくその右腕を床に垂らすと、何も見えない目
の前を凝視し、大きく息を吸い込み天井を仰いだ。

「…………エド……!」

一筋の涙が、その頬を伝った。そしてその雫がおとがい
から落ちた時、彼女は声を出して泣き始めた。









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