うららかな春の日差し 大きな欠伸を惜し気もなく披露した彼を微笑ましそうに眺めていたのは一人や二人ではない。
中にはすぐにでも声を掛けたそうな、サラリーマンや朝帰り風な学生もいたりした。
まるで眠りの池へ沈没寸前の子猫のように大胆かつかわいらしく欠伸をかました護は、そんな視線を気付きもせずに、もう一度欠伸をしようと微妙な表情を仕掛けて、
「初日っから気、抜けてんなあ」
呆れた声音にぴくりと反応して護は振り返った「遅ーい。竜司」
「遅くないよ、約束までまだ5分ある。俺が遅刻したことあるか?お前じゃあるまいし」
心外だ、と言わんばかりに口をへの字に曲げたが、小さな顔の中の少しふっくらとした唇が強調されて妙に色っぽい。
癖のないさらさらした髪はナチュラルな茶をしていて肌はやや白い。病的な白さではなく、陽に焼けると、赤くなる肌質なのである。
くるりと表情豊かな瞳 少しふっくらとした唇がアンバランスで蠱惑的 小動物のような小柄な体格の護は、幾度となく子猫のような、と形容されてきた。
ただの猫ではなく、子猫のような、である。
子猫を前にするとたいていの人間はカワイイ、と目尻を下げるだろう。 アレルギーを持っている人間もカワイイ、けど近寄れないと忸怩たる思いを感じるかも知れない 本人もカワイイと言われ慣れているので面倒くさくなっていた。
「カワイイって言ってくれてありがとう」
と返せる余裕がある。 そういう潔さがかえって男らしいのかオカマだなんだとイジメられる事なく楽しく小中学生時代を送った。
という訳で今日は高校デビュー。
入学式である。
幼なじみである崎田竜司の他には数人しか入学しなかった高校の名は、清蘭学院高校。
中等部から大学院まであるが、護達は高等部からの入学者だ。
頗る偏差値が高いが校風は自由。制服もない。 とはいえ乱れていたり逆にがり勉ばかりでもない。
近辺の女子高生達垂涎の的が清蘭の男子だった 校名に男子校とはないが百年近い創立以来誇り高い男子校である。
清蘭学院を受験した理由の七割はバスで15分だから、である護は張り切り過ぎて竜司との約束よりかなり早くにバス停に来ていた。
「興奮してあんま寝てない」
護の口調に竜司は苦笑を浮かべた。
「わかるけど式の最中にさっきの大欠伸は目立つぞ」
「どうしよう、そんなんで目付けられたら」
「さあなあ」
どのみち目立つ護の事だ。今から面倒臭い心配はしたくない。
万事クールな竜司は時刻表と腕時計に意識を向けた。
「もう来るだろ?」
護の言葉に竜司は頷いた。小さくバスの姿が視界に入って来た。

荘厳な煉瓦造りの校舎に今日は初々しい少年達が集っていた。
いつものようにラフな服装での生徒はほとんどなく、中には新社会人かとツッコミたくなるようなスーツ姿も見える。
新入生の数は二百人強 3階の数学教務室から見下ろしていた一輝(いっき)は一口コーヒーを啜って振り向いた。
「そろそろ講堂に行くか?ひよこ達が吸い込まれてくぜ」
窓枠にもたれて一輝は六畳程の広さに三つ並んだ事務机の一つに向かう男に声を掛けた。
男はちらりとも視線を上げず、ファイルを閉じるとシルバーフレームの眼鏡のブリッジに触れる「なあ、東吾。お前A組の担任なったじゃんか。てことは新入生代表がいるって事だろ?どんな子?書類手元にあんだろ、見せて」
軽い口調にあった明るい容貌の一輝である。
身長は長年テニスで鍛えた体育教師らしく百八十を軽く越え、浅黒い肌を持つ。
その瞳に時折ちらりと不遜な色を浮かべているのだが、それに気づいているのは幾人いるだろう 置いておくとして一般的に鹿原(しかはら)一輝の印象は爽やかイケメンらしい。
対するのは若月東吾。年齢は一輝と同期の二十六歳。
この清蘭で十二の頃からの腐れ縁だ。
背格好は兄弟のように似ているが若干東吾の方が細身だ。
秀麗な面差しに眼鏡の似合う、まさにクールビューティだが彼を知る者は面とむかってその美貌を褒めたりしない。
彼の辛辣な視線にくじけてしまうので。
二人とも入学式に当たってスーツ姿だ。
東吾が細身に締めたネクタイに対して一輝は上着の内ポケットにネクタイを突っ込んではいたが「だらしないな。ちゃんとしろ。また余計な小言を聞く羽目になるんじゃないか」
「面倒くせぇ。どうせ俺は若月センセの助手だも〜ん」
「ふざけた言い回しをするな。いいから行くぞ」
先に廊下に出た東吾の背中に軽いため息をついて一輝も踏み出した。

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