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 見慣れた自宅のドアを開け、
 俺は中に入るのと同時にドア
 にもたれかかる。


 あのままああしていたら、き
 っと勘違いして痛い思いをし
 ていたから。気づいたときに
 は、佐藤くんの所から走って
 飛び出して来ていた。


 俺は携帯電話の横にあるボタ
 ンを押して時間を確認する。
 決して短いわけじゃないこの
 距離を、わずか10分たらずで
 走って来たようだった。

 夜中に半分はだけた状態で走
 る男って……不審者か。

 「佐藤くんの、……好きな人
 かあ…………」



 一気に脱力して、そのままぺ
 たんと座り込む。


 足元を伝う白い液にも、目の
 前を滲ませるこの涙にも、構
 いはしない。


 俺は座りこんだまま、決意し
 た。


 ――‐もう、佐藤くんを諦め
 よう。


 もうきっと体だけの付き合い
 をすることもないだろうし、
 職場でもただの同期になる。
 今までの思いや出来事を全て
 忘れて、これからはお互い

 普通に仕事をして、

 普通に生活をして、

 普通に女の子と恋愛すればい
 い。


 そこまで決意した途端、涙が
 急に溢れだした。

 駄目だ、出来ないよ。今まで
 の佐藤くんを忘れてこれから
 生きていくなんて、俺には出
 来ない。


 「っ、……さと……くん…」

 嗚咽が止まらなくて、まるで
 一人取り残された迷子の子供
 のように、ただただ泣いた。



 ――‐ワグナリアのお客さん
 でね、赤いマルボロを吸って
 る人がいると、つい反応しち
 ゃうんだ。

 もう匂いでわかるから。

 煙草を吸う人特有の、あの香
 りがする度に、マルボロかな
 ?佐藤くんと同じ匂いがする
 な、って。


 轟さんを見てる佐藤くんはね
 、すっごく幸せそうでね、そ
 んな幸せそうな佐藤くんを見
 ているだけで、俺は幸せなん
 だ。


 佐藤くんは気付いてないかも
 しれないけど、実は俺香水変
 えたんだよ。


 花の香りなんだけどね、花の
 種類は勿忘草。

 珍しいでしょ?


 小さくて目立たないけど、匂
 いも良くて、気に入ってるん
 だ。


 花言葉は、


 「……っ、佐藤、くん…」

 涙をぼろぼろこぼしながら、
 俺は誰もいない玄関でそっと
 呟いた。



 ――‐私を忘れないで。


 「俺を忘れないで」




 さようなら、佐藤くん、今日
 で俺の片思いが終わるよ。





 *************


 「……………あれ……?」

 朝、目が覚めると何故か俺は
 きちんとベッドの上にいた。
 昨日は玄関でずっと泣いてて
 、そのまま寝てしまった筈な
 のに。

 ふと物音がして、台所の方を
 見ると、そこには誰かがいて
 料理をしているようだった。

 ふらつきながら歩いて、台所
 へ向かうと、


 「………!?佐藤くん!?」

 「………おはよ」


 そこには何故か佐藤くんがい
 て、普段俺が使っている筈の
 フライパンを持って何かを作
 っていた。

 俺はどうしてこんなことにな
 っているのかわからなくて、
 混乱してしまった。

 「何で佐藤くんがここにいる
 の?」

 一瞬、佐藤くんが近くにいる
 ことに気持ちが揺らんだけど
 、俺は昨日決意したことを思
 い出して少し強気になって聞
 いた。もう佐藤くんにこの関
 係の終わりを告げて、全てを
 おしまいにしようという、決
 意。この選択が正しいかどう
 かは、俺にはわからないけど
 、あの時は感情的になってい
 たから仕様がない。


 「お前が急に飛び足すから、
 心配して……」

 「心配なんてしなくていいよ
 !」

 突然声を荒げた俺に、佐藤く
 んは少し驚いたようだった。

 「誰も心配してなんて頼んで
 ない、……第一佐藤くんには
 好きな人がいるんでしょ!?
 俺は、もうこんな体だけの付
 き合いは……」


 そこまで言ったところで、佐
 藤くんが俺を抱き締めた。


 「佐藤、………くん?」

 「悪い相馬………本当…ごめ
 んな」

 俺は佐藤くんの肩にうずくま
 っている状態だから、佐藤く
 んの表情は見えない。だけど
 、今の自分の表情くらいはわ
 かる。

 あれだけ佐藤くんを諦めた筈
 なのに、俺は抱き締められた
 だけで真っ赤になっていた。

 感情的になりすぎて、嬉しい
 のか、怒りなのか、寂しさな
 のかわからない、とにかく涙
 がどんどん溢れて、自然と肩
 が震えた。


 「離してよ、ふざけんな……
 、せっかく諦めたのに…」


 「相馬、よく聞けよ」


 「……」


 俺が黙り混むと、佐藤くんは
 答えた。


 「俺が好きなのは……、お前
 だ」




 心臓がばくばくしている。こ
 んなに密着していたら、佐藤
 くんにバレてしまう。


 「、だ、っ……て……」

 口がパクパクして何も言えな
 い。だってどうして、佐藤く
 んには好きな人がいて……、
 それが俺だってこと?そんな
 筈ない、信じられない。

 だけど、


 現に俺は今、佐藤くんに抱き
 しめられてる。



 「うそじゃなくて、?本当に
 ?体目当てとかでもない?」


 「違ぇに決まってんだろ。…
 …何度も言わせんなよ」

 俺が佐藤くんを見上げると、
 佐藤くんは照れて顔が真っ赤
 になっていた。その様子を見
 れば、佐藤くんが嘘をついて
 いないことくらいすぐにわか
 った。

 そう考えると、無性に恥ずか
 しくなって、無性に嬉しくな
 って、無性に涙が溢れだした
 。


 「っ、ひく、…、だって佐藤
 くん、冷たいから、……っひ
 く、俺、体目当てなんだなあ
 、って思って、…っ、でも最
 近は、っひく、佐藤くんに好
 きな人が出来て、体さえ目当
 てにされなくなっちゃうんじ
 ゃないかなあ、って、ひく、
 」


 「あれは!お前が俺が轟のこ
 とを好きだと思い込んでると
 思ったから……、だから俺が
 好きなのは轟じゃないって言
 ったら逃げ出したんだろ!」


 「だって、俺絶対嫌われたと
 思ってた、!」


 涙でぐちゃぐちゃになった顔
 で、初めてお互いの本心がわ
 かった気がした。

 あんなに一緒に仕事をして、
 あんなに体を繋げたのに、結
 局現実から逃げていた俺は、
 佐藤くんの本心を知ることは
 愚か、佐藤くんの言葉に耳を
 傾けていなかった。


 「佐藤くん………、」


 「なんだ………?」


 「ありがとう、好き」


 俺はぎゅう、と佐藤くんを抱
 き締め返した。佐藤くんの匂
 い。赤いマルボロの匂い。こ
 の匂いが、この感触が、この
 存在が、佐藤くんが大好き。


 「そうま…………、」


 「っ、……ん、……っ」


 佐藤くんの唇が俺の唇に優し
 く触れた。




 それが佐藤くんとの、初めて
 のキスだった。

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