命のナマエ

□(32)
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この後、私たちはすぐに、
事態の異変に気づくことになる。



「ギムリ!ふせて!」

「おお、危なかった。」


とっさの身のこなしで、
弓矢をよけたギムリが「助かったよ」と言いながら、
横から襲い掛かるオークに斧を振りかざした。


「どういたしまして。」と返事を返しつつ、
心の中では、今まで倒したオークの数を数える。

さっきギムリを狙ってきたオークにも仕返しを食らわしたから、
これで命中したのはあっという間に12体になっていた。


「それにしても、数が多すぎる!」


「早く合流しんとまずいぞ。」


辺りを見回すと、さらに大量のオークが流れ込んでいた。
もちろん彼らはこちらに攻撃を仕掛けてくるが、
何か目的があるようで、大方は移動しているように見えた。


不審に思った矢先、
心当たりのある笛の音がこだました。


「ボロミアの角笛かっ!」

「あっちからだ!」


私たちはオークの波を掻き分けながら、音のした方向へと急いで向かうのだった。



ーーーーー




「ーーボロミア。」


たどり着いた先に彼はいた。

目の前の光景に一瞬、足がすくむ。


樹にもたれかかっているボロミアの服にはべったりと血がこびりついている。

周りには無数の矢が散らばっていて、ひどい有様だった。

その惨状を見れば、
瀕死の様子といっても過言ではなかった。



「…レゴラス、ギムリ。

大変なことになった。」


先にたどり着いていたアラゴルンはボロミアの前に跪ずいていたが、
こちらの様子に気づいて顔を上げる。



「メリーとピピン。
それから、ハレンが居なくなった。」



アラゴルンの神妙な面差しから、
最悪の事態は思い浮かべていたのに…。

その話はやや焦点がずれている気がした。


「何があったというんです?

あと…ボロミアは大丈夫なんですか?」


報告の順番からすると、
ボロミアの容態が一番ではなかろうか。

戸惑っているこちらの様子を理解すると、
二人は顔を見合わせた後、ボロミアはおもむろに身体を起こし始める。



「無理するな。」


アラゴルンが気遣う声をかけ、肩に手をおいた。


「いいや心配しなくても、俺は平気だぞ。」


体制を整えたボロミアは苦笑して、
深い呼吸を何度か繰り返した。

そして、腕の傷を自分で確かめるように触った。



「傷はこう見えても塞がっている。
今は足に力が入らないが、じきに動けるはずだ…。」


そう言われて、隣にいたギムリも驚いている。


「これだけの矢を受けて、か?」


落ちている矢はどれも、
オークのものとは思えない鮮やかな血が付着していた。

急所に当たった場合を除いて、
処置のためには矢じりを抜かなければならないが、
同時に出血多量死のリスクも高くなるはずだ。



「ああ、理由がある。」


ボロミアはしっかりとした口調で語りかける。
呂律は回っている。
きわめて正常な健康体そのものだった。



「ーーハレンだ。」


その瞬間、愕然とした。


(ついにこの時が来てしまったんだ…。)


いつか彼女は、仲間からも自分からも離れてしまう日が来る…。
そう感じる予感はあった。

だが、今日それが訪れるなんて思ってもみなかった。

彼女はただ散歩に出かけたようなもので、
ちゃんと帰って来ると疑わなかった。



(でも、そうじゃなかった…。

挨拶のひとつさえ、交わせなかった。)



「――ハレンは自らの意思で、私たちから離れたんだろう。」



顔をあげることは出来なかった。

悔しい、その感情を見透かされたくなかった。

誰にも知られたくない。
こんな醜い自分の気持ちなんて。



「…すまない。
俺はハレンを引き止められなかった。

あげくに、メリーとピピンも、
オークどもに連れて去られてしまった。」



つまり彼女を見送ったのは、
自分ではなくボロミアだということだ。

そんなつまらない事で心煩わせる自分が、ひどく小さく感じたから。



「なんだって!?」


黙り込んだままの私を誰も咎めはしない。
ただショックを受けているだけと映っていることだろうから。

ギムリはホビットが誘拐されたと聞いて、大変だと叫んでいて大慌てだった。



「レゴラス。これを…。」


ボロミアから何かが差し出される。

それは手記だった。
ハレンが普段から単語帳代わりや文字の練習に使っていたのを、私もよく知っていた。

「…ハレンからだ。
レゴラスに渡して欲しいと頼まれていた。」



エルフの詩を歌うたびに、彼女はたまに書き留めていたし。
サムから美味しいレシピを教えてもらった時も喜んでいたことを思い出す。


(てっきり、私のことを忘れようとしているのだと思った…。)


でも、そうじゃなかった。
ハレンはやむおえない事情があっただけに過ぎない。
そう分かって、少しだけホッとしていた。



「彼女は、他に何か話していましたか?」


ひとまずは手記を懐に大事に納めるとして、
後でゆっくり読むことにしよう。

もしかしたら、ハレンが伝えかった事が書かれているかもしれない。



「何故かは知らないが、
メリーとピピンを連れ去った主犯格が、サルマンだと確信しているようだった。

彼女は、けじめをつけるために、
一人でオルサンクの塔に向かうと…。」


その話を聞いて、全てが腑に落ちた。

ああ、そうか。
彼女はひとりで決着をつけたいと、ずっと考えていたのか…と。

過去の話は少しだけ聞いていたけれど、
とっくに振り切ったものだと、
自分は何処か楽観視していたのかもしれない。



「話はよく分かりました。

私たちは急いで、サルマンのオークたちを追わなければならないみたいだ。」


おそらく同じところに、
ホビットも彼女も向かっているような気がする。

早く急いで彼女を追いかけたいと思った。



「さっきから話が見えん…。
なんで一人で行く必要がある?

追うんなら、皆で一緒に行けばいい。」


おそらく、ひとりだけ
ギムリは終始不思議そうに首をかしげていた。



「ギムリ、彼女はそれを望まなかったんだ。」


「何でだ?」


私はその問いの答えを知らない。



「…分からない。

ハレンのことを私も全て知っているわけではないから。」


そう説明されたギムリは納得のいかない様子で、
何か言いたげにこちらを見つめるのだった。
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