命のナマエ

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ロリアンを出発して数日。

あたしたちは毎日、
船にゆられながら過ごしている。

はじめは恐々乗っていたギムリも、おっかなびっくりな態度は抜けないけれど、
だいぶ慣れてきたみたい…。

レゴラスは進路を定め、漕いでいる。

船の進行は二人がしてくれるため、
あたしは景色をぼんやり見つめているか、
気持ち悪くない程度に手帳に書き物をしていた。


「ハレン、船は平気?」


話を振られて、あたしは視界をあげた。


「大丈夫よ。水の上って気持ちいいよね。」


「ハレン、揺らしてくれるなよ。
落っこちでもしたら…私は泳げないんだ。」


のんきに返事をしていると、
ギムリは嫌そうな顔で、釘をさした。

船に乗ってすぐの頃、
あたしが景色を見つめて前のめりになっていると、
ギムリは顔を真っ青にして「やめろ、落ちるぞ!」と騒ぎたてていたのを思い出す。


「簡単には落っこちないわよ、奥方様の贈り物なんだから。」


(相当、ゆらしたら別だけど…。)



奥方様の、名前を出した瞬間、
ギムリの顔は緩んで、微笑みに変わる。


「それもそうか。」


ロリアンから出発するという別れの間際、
ガラドリエル様は仲間のひとりひとりに、どんな贈り物がいいかを尋ねられた。

その時にギムリは、
意外にも『では貴方の髪を3本だけ…』と恥ずかしそうに答えたのだった。



「ロリアンに行く前までは
魔女だって大騒ぎだったのに、あなたの変わりようといったら…。」


あたしがくすりと笑うと、
その言葉にギムリは気まずそうに、ぷいと顔をそらした。


「仕方あるまい…、
なんせあんなに素晴らしい方だとは思わなかったのだ。」


エルフのまじないだの、魔女だの、
そんな事を言っていた当時のことを「種族間の偏見だった」と、
ギムリは自分の過去を省みているようだ。


いつのまにか、彼の視線は、
懐にしまってある(…であろう)大事な宝物にそそがれていて、
懐かしむように手のひらを重ねていた。


ロリアンでの滞在中に、
どんな心境の変化があったのだろう?

また改めて話を聞けたらいいなと思った。



「そういえば、ハレンは何をもらっていたんだ?」


あたしがぼんやりと景色を眺めていると、
ギムリは不思議そうに首をかしげる。

先ほどから黙って櫂を動かしてたレゴラスも、
興味をもったのか、視線だけこちらを向けた。



「見た限り、ハレンは贈り物らしいものを受け取っていなかったが…。」



ギムリの言うとおり、
あたしはガラドリエル様から贈り物を受け取らず、祝福だけと願った。


――『貴方の望みはありますか?』


あの時、そう尋ねられたけれど、
あたし自身の望みは、遂げられるものとは限らないから。


聖なる使者としてでもなく、旅の仲間としてでもない、
いち個人のハレンとして…考えたとき、

あたしは自分の願いというほど、具体的に未来の予想をたててはいないし、
現状として、未来に対してそれほど期待をかけてもいない。


“こうなったらいい”などの希望的観測だけでは動けない現状になっていた。



―――だからこう答えた。


『望みはありません、何も。

ただ、あたしが還るべき場所に還れるように、そして旅が無事に終わるように、どうか願っていてはくれませんか?』…と。


彼女にはその意味が分かったのだろう。
深く頷いて、代わりに、信頼の証と旅の安全を願うとして、額にくちづけを落としてくれた。



(旅が終わるまでに、還るべき場所を見つけられたら…いいけど。)


ハレンには、それが今、
何処であるかを自信もって言えそうになかった。




「―ー…それは、内緒。」



あたしは誤魔化すために、そっと唇にひとさし指を当てる。


個人的な贈り物とは違うけれど、
聖なる使者として手渡された品はある。


ルインロリアンの遺品。


戦いの時でも、血で穢れることのない特別な衣装を、
別れの日より以前に、すでにガラドリエルの手から貰い受けていた。



「(戦場が、還る場所なんていうオチは迎えたくはないわね…。)」



川の水面は魚が跳ねることもなく、
木々だけがぽつりぽつりと、映りこみ続けている。


ここ何日も見慣れた変わらない景色だ。



――それなのに…。


ふいに、水と樹だけが連ねるこの風景が急に侘しくなり、
苦い思いがこみ上げて、くちびるをきゅっと噛みしめるのだった。



28 core-核心-



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とある夜、ゴラムの襲撃があったらしい。

その時のあたしは、レゴラスの隣でぐっすり眠りきってしまっていたので、
事の詳細はアラゴルン…そして後にサムとフロドに聞くことになった。


彼らの話によると、“水面にはまん丸と開かれた目玉が光っていた”とか。

ゴラムが浮かんでいる必死に丸太にしがみつきながら、追いかけてきた様が想像できた。


アラゴルンはずいぶん前からゴラムの存在には気づいていたらしく、
その動向に注意を払っていたようだ…。

そして、今回フロドに急接近してきた事をきっかけに、
船の進行スピードを変えるという話がまとまったのだ。


それからというもの、
船はほとんど休みなく進むことが決まって、
夜に出発し、昼は仮眠をとる事になった。
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