命のナマエ

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―ーはじめこそ、聖なる使者について、
疎ましく感じたし、歴代の彼女たちにも心地よい感情を抱かなかった。


でも、あたしは彼女たちと繋がっていて、
不思議と縁があった場所は懐かしくも感じるし、
自分とは別人なのに、背負ってきた重荷や苦しんできた過去は、重なるものがあったから。


ルインロリアンを責める気持ちでいっぱいだった心は、いつの間にか消えていて、

あたしは次第に自分のやるべきこと、守りたいものは何かということを突きつけられたような気がした。



――逃れられない運命なら、

どう切り抜けるかよりも、避ける手段よりも、

いっそ、守り通したい者に目を向けて、立ち向かい続ければいい。



それを何度も、聖なる使者は繰り返してきたのだから…。



あたしは言葉どおり、闇の一面は“一面でしかない”ことも、
聖なる光の使者にも、神に与えられた〈世界を色で染める〉という役目があったことも理解したから。



『――ねぇ、知ってる?

この世界が、闇に包まれながらも、
その美しさを完全に失わなかったのは、聖なる光のおかげなんだよ。

光の色が、今もこんなにも世界を包んでる…。』



レゴラスは嬉しそうに自然を見つめて、
あたしに聖なる使者がどんな存在かを思い出させてくれた。



――現在の中つ国も、光の恩恵を受けているのだ。



化け物だと罵った自分が、馬鹿みたいだと思った。


世界の広さを教えてくれたガンダルフ。
命を大切にすることを教えてくれた仲間。

そして、世界の美しさを伝えてくれたレゴラス。


…それらが全て集まって、
まるで光の祝福かのように、恐がりだったあたしに希望が降り注いでくる。


こんな風になるなんて、思いもよらなかった…。



―――希望を信じられる今が、


もっとも心強くて、何があっても大丈夫だという気持ちにさせてくれる。




「ルインロリアン、貴方の言ったことがやっとわかったよ…。」




水鏡に映ったのは、自分の姿だった。

けれどそれに重なるように、
青い髪の女性がそっと肩に両手をおいて、同じ水鏡を覗き込んでいるのが見えた。


ふと誰かに呼ばれているような気がして、
ひとりでフレトを出てから、思うままに足を運べば、自然とたどり着いていた。


長い階段を下りた先の窪地。

丘から流れた水が小川となっている美しいその場所には、中央に石の台座が置かれている。


気づいた時には、誘われるかのように、
水が満たされた水盤を眺めていた。




「――イシルに聞いたの。

貴方の本当の名前は、永遠に失われたと。」



ルインロリアンは聖霊を追放された身。

だから、ルインロリアンとエルフの言葉で名を名乗るしかなかった。



「貴方はエルフとして生きたはずなのに、
エルフにもなりきれなかった…。

すでに、永遠の命をもたなかったから。」



永遠の命をもたないエルフ…。

聖霊としても、エルフとしても未完成で、
どちらにもなりきれない存在。

ルインロリアンはそんな孤独を胸に生きていたのだろう。




『ーー…どこにも居場所なんてなかった。』



水盤を反響するかのように、
ルインロリアンの声がこだました。


彼女の表情は、いつもと違って悲しげだ。



『あの時の私には…この暗がりがずっと続くのだとさえ思えた。

神に見捨てられた時、私は生きるべき道を見失った。

でも、中つ国は“色”で満ちていたから。』



その瞬間、ルインロリアンの表情がいとおしそうなものに変わった。




『あの日まで、色を間近で見たことはなかったわ。

エル(神)の言葉通り、たくさんの色を作ったけれど…。

私にとってはささいな作業で、
彼に必要とされるから、担っただけに過ぎなった。

けれど、あの日を境に、はじめて中つ国を“美しい”と思った。』



ルインロリアンの温かな感情が、なだれ込んでくる。

世界を守りたいと思ったその気持ちは、あたしにも理解できる。



『…生きる目的を失ったのなら、私はこの世界のために生きていこうと。

あの人のために生きられないなら、
あの人が創られたこの尊い中つ国を、
この目でもっと見て、この手で慈しもうと。

そう、決意したの。』



ルインロリアンの瞳には強い光が宿っていた。


ああ、この人は本当に、愛していたんだ…。




「ルインロリアン…。

貴方は心からエルを愛していたんだね。」



彼女は首を横に振って、顔を上げた。



『いいえ、ハレン。

――今も変わらず、愛しているのです。』



穏やかな表情で、そう告げた彼女は、
今までで一番美しく、堂々としているように見えた。



『だから何よりも、この身体を消すことだけは、避けたかった。

まるであの人からもらったものを、自分で壊すようなもの…。

私が私である限り、命を無駄にすることは出来ないわ。』



ぎゅっと拳を握りしめ、ルインロリアンは胸元に手を当てた。


(…それが苦しい決断だとしても、
守らなくてはならない理由があったんだね。)



『それが、あの人との最後の約束なのです。』



愛おしさと悲しみ…。
相反する二つの感情が、一度にぎゅっと詰まっているかのような気持ち。

ルインロリアンの気持ちがあたしにも伝染して、切なさで胸がつかえそうだった。





「――…ルインロリアンは、


 今でも、世界を美しいと思える? 」



闇染まった現在の中つ国を、貴方はどう思うのか…。
あたしは気になって尋ねていた。

光の存在だった聖なる使者は、
冥王メルコールに捕らえられた日を境に、
光とは別の“闇の色”を生み出してしまう。


――だから世界は光だけなく、闇の色も広がっていった。



その悲しい過去を、あたしはイシルから聞いた。



『きっと昔のように、心からそう思えることは少ないでしょう…。

でも、いつかそうなることを信じて、転生をし続けたわ。

長い旅の末、貴方にたどり着いた。

別の世界で生まれる命に、全てを託すのは、
軽率な行動だったかもしれない…。

現に、何も知らない貴方を巻き込んでしまったから。』



ルインロリアンの表情は次第に陰り、深々と頭を下げるのだった。



『――ハレン。私たちは重い枷を押し付けたでしょう…。

許して欲しいとは言えません…。

それでも貴方が、最後の希望だった。』



「ルインロリアン、謝らないでください。

あたしは貴方を責めてばかりで、
本当に大切なことが見えてなかった。

たとえどんな運命でも、
受け入れて立ち向かっている人なんて、

いくらでもいると思うんです…。」



あたしは不思議なくらい、穏やかな気持ちで答えていた。

自分だけが不幸だと嘆いていた、あの頃のあたしはもういない。




「仲間のみんなは、自分の国を守るために戦っています。

ホビットたちは急に平和な生活で、危険にさらされたのに、
自分たちから率先して、重い役目を背負っているし…。

フロドは指輪の重圧に耐えています。
たとえ旅が終わっても、受けた傷や闇の影響は消えないでしょう。


だからあたしは、あたしの役目を果たさなきゃいけない。」



はっきりと断言して、強い目線で彼女を見つめた。


ずっとひとりだと思い込んでいたあたしは、
仲間の存在から、多くのことを知った。


運命は何も一人だけのものじゃない…。


みんな別々の道だけど、それぞれが運命と共に生きている。
だったら、あたしも逃げ続けるわけにいかない。




『…ハレン、強くなりましたね。

貴方は優しい人です。

これからは私の代わりに、世界の美しさを見て欲しい。』



ルインロリアンの声は震えていた。

その表情は優しげで温かいが、
少しだけ悲しみを耐えているよう雰囲気もある。




『…どうか、お願いです。

世界を“光の色”で満たして。』



そっと手のひらに、彼女の手が重なった。



「はい、必ず…。光を。

エルにも届くように。」



その瞬間、ルインロリアンの瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれた。



『ありがとう、ハレン…。』



あたしも重ねられたその手のひらを決意と共にぎゅっと握り返した。
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