命のナマエ

□(22)
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それからというもの、
エルの前で歌う聖霊たちはまた一人また一人と増えていった。

人数を増すごとに、
壮大で素晴らしいハーモニーとなっていったし、
回数を重なるうちに詩の精度も上がり、表現できる幅も大いに広がっていった。


この音楽が、
ある日、思わぬものを創造したのである。


いつものように、
聖霊たちがエルの前で歌い始めると、何もなかった虚空に新たな世界が創造された。


ーーそれがまさしく、
のちの中つ国であった。

その原型になる世界、アルダが創造され、それ以来、
私たち聖霊の役目は徐々に変わり始めたのだった。



『…よく分からないわ。皆が何に夢中になっているのかが。』


アルダが創造されてからというもの、
聖霊たちは、そこに住まいる新しい生き物たちに興味を抱いている。

エルフに人間に、ドワーフ…
様々な種族が生まれ、技術や知恵を吸収していく彼等に
それらを教え、与え、継承していく。

その過程で、独自に発展していく様を、
傍で見られるのが面白いのだと聞いたことがあったが、
ハレンは興味をそれほど持てなかった。


相変わらずイシルと館にひきこもり、彼らの前に姿を現すことを避けてきたのだが、
今回ばかりはそうはいかなかった。



『エルは私の役目を果たすべきだというの。
だからたまに下に降りて、色のない者たちに色を与えなければいけないわ。』



そう言って彼女は浮かない顔のまま、宙に指を滑らせる。

パレットを広げたかのように、
空間に様々な色が点在して浮かび上がる。
彼女が操ると、それらは混ざり合い、新たな色が次々と作り出されていった。




「―ーー様にとっての一番大切な場所は、
エルのいらっしゃるこの虚空なのですね。」


「そうね。
私は毎日、ただイシルと平穏で暮らせればそれで良いわ。」


彼女は色を真剣に選びながら、構想を練り続ける。
ふいに出した本音には、二人の温かな絆と関係性が感じられた。

イシルはその言葉を心の奥にそっと大切にしまいこむのだった。



そう、そんな事があった。


でも、私は何故、


この力を光から闇へと染めてしまったの?




暗い廊下が続く。


寒くて、心が凍えそう。



…この感覚は、私がサルマンに捕まっていた感じと似ている。



“予こそ長上王なり。

われはメルコール、
全ヴァラールのうち、最初にあって最も力ある存在、世の開闢以前にあって世を創りし者。

わがもくろむ影はアルダを覆い、地上に起こるすべてのことはひそやかに、

だが着実に、わが意を表してゆくであろう。 ……”




『ー―…やめてっ!!』




美しかったはずのアルダが崩壊していく。


黒く醜い思惑に汚れていく。


光を宿した色たちが次第に輝きを失い、
濁り淀んだ色へと変化していく。





ああ、そうだ。

この時代も、世界は闇に蝕まれた。



『…こんなの、認めない。』



聖なる光の使者は震えた声で告げた。

歯をくいしばっている彼女の姿は、変わり果てていて当時の面影が見えない。


背中の羽はボロボロに切り刻まれ、
傷だらけで流血した身体をよろめきながらも、必死に起き上がる。

身体に宿る色は既に光を失い、
あの頃のような輝きもなく、薄汚れた黒へと変化しかけていた。


痛みで意識が飛びそうになりながらも、
気力を振り絞って、その身体を必死に動かし、
彼女は手を伸ばした。


その先には、イシルが横たわっていた。


もう動くことすらままならない彼を、
彼女は泣きながら、抱きかかえる事しか出来ない。



『…イシル、ごめんね。
貴方を巻き込む事になってしまって…。』




“いいのです、私のことは…”



その声は、音を奏でない。

わずかに口元で読み取れる感情に、胸が痛んだ。


『私の力の一部をあげよう。
まだ光を宿している部分だから、きっと君の助けになる。

傷も少しずつだけど、修復するはず。

私がここを出たら、
貴方は出来るだけ遠くにお逃げなさい。』



“嫌です。絶対に嫌です。

貴方を置いてなどいけません。”



イシルはそんな、わがままを言う子供のような言葉でしか、彼女を引き止めらずにいた。

何を言っても彼女の決意は揺るがない事は分かりきっていた。

お互い、別れの時が近づいていることを、
無意識に自覚せざる終えなかった。



それが何よりもひどく悲しい…。



『私は決着をつける。

たとえこの身が朽ちようとも。
エルが望んだこの世界をこのままにしてはおけない。

モルゴスを倒さなければ…。』



“駄目です、行っては。貴方が危険です。”




『…ありがとう、イシル―ー…。

けれど、私は行くわ。

この力はエルのために使うと決めているから。』



最後ににっこりと微笑んだ主は、

そのまま何処か見知らぬ場所へと旅立ってしまった。




こうしてアルダは理想郷にはなりえず、
オークが生き残り、それら闇の存在は各地へと広がっていった。

諸悪の根源であったモルゴスは、同じく聖霊によって倒されたが
それによって、もたらされた闇は深く、いまだにその痕跡が消えることは無い。
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