命のナマエ

□(20)
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ハレンは川の近くまでやってきていた。

レゴラスも一緒に行こうか?と言ってくれたけれど、
たまには一人きりでいたくて断ってきてしまった。


ハレンは早速、
タオルに水をつけて、足と手を丁寧に拭き上げていく。

気の紛れ程度だとしても、汚れが少し落ちてさっぱりした気持ちになる。

本当は服を脱いで全身を行いたいところだが、
それほどの時間はないし、ロスロリアンに着くまでは我慢するしかない。



「珍しいな、一人か。」


それを繰り返し行っていると、
はたっとこちらに気づいたアラゴルンと目が合った。



「水を汲みに来たんだが、先客とは悪かったな。」


手に持っていた水筒を見せると、
アラゴルンはさりげなく視線を外して、遠慮がちに告げる。



「大丈夫だよ。もう終わったから。」


ハレンは捲くっていた服のすそを戻して、タオルを再び水で綺麗に洗い直して、しぼって水気を切った。





「――…ガンダルフのことが辛いか?」




アラゴルンはハレンの紡がれるいつも通りの声色に安心しつつ、
それと同時に漠然と川を見つめている彼女が気になってしまい、
声をかけられずにはいられなかった。



「どうなんだろう、うーん…辛くないわけじゃないけど。

でもそれはアラゴルンもでしょう?」



突然、そんな質問が振ってきて、
彼女は驚いたようだったが、少し苦笑して答える。



「…まあ、そうだな。」


一方、質問が自分のほうに返ってくると思わなかったアラゴルンは、
本音をつかれて言葉をわずかに濁した。




(辛くないわけじゃない…か…。)



自分が導きだした答えは、
相手の解釈次第で受身にとられるもので、ハレンはゲンキンなものだなと自分のことを思う。


けれども、実際、
皆が悲しんでいるのを平気で見ていられないという本音も混じっていた。




「――今は私自身より、フロドが一番心配。
あと、レゴラス。」



黙り込んでしまったアラゴルンに、
ハレンは明るく装って告げる。



「フロドは分かるとして、何でレゴラスなんだ?」


フロドはガンダルフと一番仲の良い固い絆で結ばれているという事は、
仲間の中で誰もが承知の上だ。

おそらく皆の認識の中では、その次ぐらいに、あたしの名が挙がるのだろうと思う。


エルフという種族からしても、
交流の少なかったレゴラスという選択は、ほぼ思いつかないに違いない。



「理由はよく分からないけどね。
あれでいて、動揺しているような気がするの。

本人は気づいてないんだろうけど、どこか空元気な感じがするから。」



ハレンは思ったことをそのまま口にする。

彼は自身の不安をあまり口にするタイプではないけれど、
最近は、無意識に不安を回避する行動に出るんじゃないだろうかと思う。


それがあの〈彼から手を繋いできた行為〉だとしたら…。





「なるほど―――…エルフはたぶん、死という概念が薄いんだろうな。」



アラゴルンの言葉に、ハレンは顔を上げる。



「え?」


彼は腰をおろし、川の水面をじっと見つめていた。



「思えば、レゴラスが同族や私以外の者と交流を持ったところを見たことがない。

元々、エルフは死という概念が薄い。

初めてそれを深く意識したのかもしれないとしたら、納得が出来る。」




――死を深く知らない彼が、

死という概念を知ってしまった瞬間…―――



それはどういう…感情?




「――−……。」




いつの間にか水を汲み終わったアラゴルンが、立ち上がって水筒を抱えた。




「ハレン、あまり思いつめるな。」




ぽんと、その大きな手が頭に置かれる。




「ガンダルフのことも、自分の事もだ。

私はあまりハレンのことを見てやれないが、
それでも仲間として言わせてもらうなら、
何でも自分のせいだと決め付けてくれるな。


そんなにも私が頼りないのかと、不甲斐なく感じるだろう?」



アラゴルンはそう言って、
少しあたしの頭をぐしゃぐしゃとなでる。


「ちょっ、髪が…」


慌てて髪を押さえて手櫛で整え直すハレンに、
アラゴルンは笑って手をそっと下ろした。





(これって、元気出せって言われてるのと一緒だな。)



ハレンは遠まわしの温かい慰めに、
内心関心しながらも、ふてくされた態度をあえてとる。



「あーあ、アラゴルンに慰められちゃった。」


「なんだ、その言い方は…。」


呆れ顔のアラゴルン。

だけど、以前の彼からは知りえなかった、
王たるものの威厳と気遣いが今は感じられる。



「やっぱりアラゴルンは、只者じゃないよ。

そういう人格者だから、多くの人が共感してこの人についていこうと思うの。」



「急に、何を言い出すんだ。」



―――ああ、
やっぱりこの人は、エレスサール王になる人なんだな…。


ハレンは感慨深くなり、
ずっと緊張していた気持ちが緩んだのか涙腺がゆるんできた。



それを悟られないように、
ハレンは足早に立ち上がり、きびすを返す。





「ううん、何でもない。

ただ仲間がいてよかったと思っただけ。」




いつだか、ガンダルフが言ってくれた言葉をあたしは思い出す。






『――…お前さんは必要とされとるんじゃよ。』




だったら、あたしがすべき事は、

まだあるはずで、

その為に何が出来るかを、これから考えていけばいいから。




零れそうになる何かを必死に押しとどめる。


後ろから歩いてくるアラゴルンに、
ハレンは歩みをとめ、振り返り問いかけた。




「アラゴルン。あたしは、あたしが出来ることをすればいいんだよね?」



「何のことか私には分からないが…

ハレンは十分、旅の仲間として役に立っている。

そして、もちろん私もだが、
お互いに出来ることをするだけだ。」



アラゴルンはそう言って、決意に満ちた瞳で頷いてくれる。




――その時、柔らかな歌声が聞こえてきた。




「さあ、あのエルフもハレンの帰りをお待ちかねのようだ…。戻るとしよう。」



その声の主に気づいたアラゴルンが、
ここぞとばかりにニヤリと笑う。



「…お待ちかねかどうかは分からないけど、もう戻るわよ。」


呆れ顔になるのはハレンの番で。






「―−ありがとう、アラゴルン。」




小さく呟いた言葉はちゃんと聞こえていたのか、
アラゴルンは背中越しに手を挙げてその場を去っていく。





先ほど感じていた胸の痛みは、何処かに消え去ってしまった。


代わりに、ニムロデルの誘われるような美しい歌に肩の力は抜けていき、
ハレンの心を溶かしていった。
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