螺旋短編

□バレンタインの午後
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穏やかな風が髪をなびかせるような、
流れるピアノの音。

私は耳を傾けながら、
ピアノを弾いているアイズの横顔をうっとり眺めていた。



「…バレンタインって楽しいよね。」



制服姿の彼女は、曲作りに専念しているアイズに向けてそう言った。



「なにをいきなり」


彼女が突然なのはいつものことだ。
アイズは呆れた様子で名無しさんを見つめた。


「ほら、ロシアンルーレットみたいにチョコレートに変なものをいっぱい混ぜ込むの。
それを香ちゃんに黙ってプレゼントしてみたり…w

歩の部屋を14日限定、ピンクハートで埋め尽くしてみたり…ww

アイズにツイン&メイド服で女装させて、バレンタインを楽しむwww


ああ、すばらしきバレンタインっ!!!」



ついには椅子から立ち上がり、
グッとこぶしを握って、妄想に浸っている彼女だが、
自分の欲望までも口に出ている事に気づいているのだろうか。

たまにこうやって暴走する名無しさんに、
慣れてしまったアイズは、短いため息をついた。


「ちょっとまて、
どこに素晴らしい要素が入っていた?」


「全部に決まってるじゃない。」


堂々と言い退けるが、理解は出来そうに無い。
その後のアイズは、何も言うまいと黙り込んだ。


しかし二人の間でこんな事は、日常茶飯事なのである。

驚くことに二人は付き合っている。
いわゆる恋人同士なわけだが、少し変わっている。

未だに、アイズは何故、彼女を好きになったか謎だった。



「昔はバレンタインって、つまんないイベントだと思ってた。

みんなが同じようにチョコを渡すの、アレが気に入らなかったなぁ〜。」



名無しさんはゆっくりとした口調で、静かに過去を語りだした。

怪訝な顔をして覗くアイズの視線に気づくと、クスリと微笑んだのだった。

その笑みは可愛らしく魅力的だと、彼は思う。



「イベントは、嫌いじゃないけどね。」


そう言うと、彼女は鞄から何やらを取り出した。


「開けてみて。」


手渡されたのは黒の包装紙に赤いリボンのかかる箱。



「びっくり箱じゃないだろうな。」


ニコニコと笑う彼女を見つめ、アイズは問うた。


「違うよ〜、それは香ちゃんにあげた。」



アイズのリボンを解く手が一瞬とまった。



「(・・なにも聞かなかった事にしよう。)」



聞いた情報を即座にスルーして、ラッピングをはずしていく。


出てきたのは、チョコレートのロールケーキ。
中には生クリームとバナナが入っている。

そういえば、彼女はお菓子作りは得意だった。



「うまそうだな。」


「でしょ?」

素直に感想を告げると、彼女は嬉しそうに笑った。



「一緒に食べないか?」


「でも、曲は?」


「心配ない。もうほとんど出来ている。」


「包丁と皿、フォークも持ってくるね。
ちょっと待ってて。」


パタパタとキッチンへ小走りに向かう彼女の手首を、アイズは掴んだ。


「え、何?」


「名無しさん、ありがとう。」


不思議そうに問う名無しさん。
優しく微笑むアイズ。

彼女は一瞬驚いた顔をしたけれど、
いつもよりもさらに愛らしい、満面の笑みを浮かべた。


「ハッピー・バレンタイン、アイズ。」


小さく呟いて彼の頬に口付ける。

照れを隠すかのように、そのまま台所へと隠れようとする彼女をアイズは阻む。


「アイズ・・!?」


彼女の制止の声など、聞きはしない。

そっと自分のほうに、引き寄せた。

何度か淡いピンクの唇に、指を這わせると、
彼女は羞恥心で、泣きそうな顔になりながら身じろいだ。

そして長い口付けが、しばらく時間(とき)を占領した。


名無しさんが見上げると、
その愛しい恋人はなんとも不適で意地悪な笑みを浮かべていたという。


あまい香りのチョコレートクリーム。
そして、ほんのり漂う紅茶の香り。


ロールケーキを口に運びながら、
こんな日も悪くないと彼は思うのでした。


バレンタインの午後
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