螺旋短編

□無音と微糖
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いつものように紅茶を飲むんじゃなくて、
たまには淹れたてのコーヒーを。

そう思って、コーヒーサーバーをわざわざアイズの部屋に持ち込んで、

さっそくコーヒーを淹れてみた。



「美味しい?」


冷房が入った部屋で、相変わらず寒々とした格好をしている君は、
いつものようにポーカーフェイスで、優雅にコーヒーを味わう。



「…ああ。」


こちらに視線を上げて、頷くアイズ。



「そう、よかった。」



名無しさんは満足げに、自分の分のコーヒーを味わった。



うん、美味しい。
作ったのは機械だけど…。



彼とのやりとりはいつもこんな感じ。
でも、分かりにくいわけじゃない。

彼の本音はちゃんと態度や行動に現れてくるから。


たとえば、口をつけている様子からして、
彼が言った言葉は、嘘ではないという事が分かる。

コーヒーを味わいながらも、ぼんやりテレビを見つめている様子から、
リラックスしているという事が分かる。


まあ、彼の口数の少なさは今に始まったことではないし、
ある意味それが彼自身でもあるのだから、



ただ部屋で過ごすこの時間さえも、


それはそれで楽しめる貴重な一日だ。




もちろんアイズが今以上に、
感情豊かに表現してくれたら嬉しいと、思うこともあるけど…。



つけっぱなしのテレビから、
日中のにぎやかな情報番組のアナウンサーの声が響き渡る。


どうでもいい芸能情報から、午後の天気予報に切り替わる。


ふたりの間に会話はなく、
変わりにほろ苦いコーヒーの香りと、テレビの雑音がこの場を支配する。



<――…は晴れ。日中は強い日差しのままですが、夕方には天気が崩れ、にわか雨が降る恐れが―…>




(そういえば、傘持ってきてないな…)



白い雲り空を窓から見つめ、帰りの心配がふと頭の中をよぎった時、
突然、アイズがテレビを消した。




「どうしたの?」


視線を彼にうつす。


「見てないだろう。」


「…まあ、そうだけど。」


ガラス玉みたいな青色にふいに見つめ返され、
そう言葉を返せば、また沈黙が続く。



そして、何を思ったのか急に彼は立ち上がり、
向かい側のソファへやってくる。


私が視線を上げ、アイズ…と口にしかけたちょうどその時、
いきなり視界が急に揺らいで、天井が近くなる。




…アイズにお姫様だっこされてる?



私はわけが分からずしがみついているけど、
当の本人は気にするそぶりもなく、
そのまま部屋を移動して、寝室へ向かっていく。


ぽんと放りだされた先は、ベッドの上。



「…アイズっ!!?」


私の隣に彼が座り、そっと抱き寄せる。



「急に、どうしたの。」


バクバクいいそうな心臓の鼓動。



「仕事が忙しくて、最近、構ってやれなかっただろう。

この前の旅行も結局、行けなかった。」



そう、私がたてた旅行の計画。
たまには遠出をしてみようと、色々考えて、宿も予約しておいたんだけど、
急遽仕事が入ってしまい、しかもそれが海外での泊りがけの仕事で、断れないものだったのだ。

結局、二日間分のキャンセル料をアイズが払ってくれたとはいえ、
ちょっと苦い思い出となってしまったのは事実だ。




「…うん、そうだね。
でもまた次の機会があるよ。」


私だって、はじめの頃は仕事と分かっていても割り切れなかった時もある。

今までだって、その類でケンカを何度したことだろう。

でも今は残念な気持ちもあるけど、
これからまたそういう思い出をたくさんつくればいいと考えられる。



「ああ、その通りだ。」



けれど、アイズはなおぎゅっとその腕に力をこめる。



「だが、俺が納得いかない。」


「…まだ気にしてる?」



私が問いかけると、彼は顔を横に振る。


「そうじゃない、確かに楽しみにしていたし、残念な気持ちは俺にあった。

…だが、そういうことではなく…」



何故だろう、

彼が少しだけ普段は言葉にしづらいことを言葉にしているような気がする。





「名無しさんに触れたい。」




率直な感情、思いが流れ込む。





いつもはそんなこと口にしないはずの彼が、

はっきりとそう言って。



「…私ももっと触れて欲しい。」



自分からも素直な気持ちがあふれていた。






触れ合っている指先。


その場所は次第に唇へと伸びていく。



青色の瞳が近づいてくる。



優しいキスが唇に落ちる。






それからの二人にやはり言葉はいらなかった。



呼びかける声はお互いの名前くらいで。


あとは、お決まりの愛の言葉。





そんな休日。






アイズの深い愛情を感じながら、ゆっくりと瞼を閉じていく。



無音が支配するこの空間で、


私たちは静かに愛をささやいて、


たまにだけど、二人で外に出かけて、


またこの無音の室内へと帰って来る。





これからも、ずっと繰り返しを行うだろう。

呼吸するように自然で当たり前のことのように、

私たちはお互いを必要としているから。






テーブルの上には、
彼が飲み干した空のコップと、飲み残された彼女のコーヒーカップが置き去りに。


その温度は次第に奪われて、冷めていく。





口付けをした彼は、微笑んで言った。



「少し、甘い」と…。




彼女が飲んだのが微糖だったからだろうか。



どちらにしろ、理由はどうでも良かった。




―――彼も私も、
この無音の時間を共有するために、ただ傍にいる。





たった、それだけのことなのだ。
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