小説

□人魚姫
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もう何もかもがどうでもよくなった。

風呂の水位を上げるため、俺は蛇口を捻る。


人魚姫


―――「銀時、寒くねェか?」

寒いに決まってんだろ。お前は手を伸ばしても届かない程、遠くに行ってしまったのだから。お前の温もりが感じられないから…寒くて寒くて堪らない。

朦朧とする意識の中、震えているのは寒さのせいだと思いたかった。これから行う事に恐怖を感じているからでは無い。さっきから水中に居る訳だから。…だから、怖くなんか無い、悲しくなんか無い、と戯言を呟いていた。

唐突に蛇口から零れる水の音が大きくなった気がした。ドボドボ、という音が耳に付いて無性に虚しい。

―――「もう何処にも行くなよ……。」

そんな事を言った君は何処に行ったの?俺の代わりに泣いてくれた君は何処に行ったの?
声を掛けてもてめェは言葉を返さない。頭の中でくらい返事してくれよ。
だんだん思考が霞掛かっていく気がして頭を冷やそうとしたけれど、もう頭は水に浸かっていた。あはは、これじゃあ仕方ない。頭が冷やされたから考えるのが億劫になったのかもしれない。頭を上げようとしたが力が入らなかった。そりゃそうだ。

今度は視界まで霞んで来たので、目をつぶると心地好かった。水の音に身体を任せる。

今更、最後だというのにお前の事しか考えられない自分に気がついた。

ククク。心で笑う。やっぱり俺はてめェしか愛せねェ。だから…やっぱり一緒に居たかった。

―――「やめようぜ。」

お前の声が心の奥底から聞こえて。…最後くらい夢を見させてくれよ。

―――「俺が好きなのは…」

うん、マヨネーズだろ。それくらい前から知ってるよ。

―――「近藤さんだ。」

うん、それは大将としてだろ?俺は本当の意味でお前を愛してるぜ。

―――「てめェだってあの道場の女を愛してんだろ?」

誰があんなゴリラ女…俺が好きなのはてめェだよ。

―――「俺はお前の事なんざ、…これっぽっちも好きじゃねェ。」
だから、そんな接続詞は言っていなかったけれど。

―――「別れよう。」

頭が使い物にならなくなってきた。記憶の中ではこれが最後のてめェか。
視界が滲んで溶け掛かって見える。そう、そうして俺は気を失った。目覚めたら、煙草の煙さしか残っていなかった時のあの絶望感。俺は幸せを見つけたら、もっと欲しいと欲深になるタイプなんだ。だから、我慢出来ない、それなのにお前に触れない。なら、この世から消えてしまおうか。

俺にとってそれ程大切な存在なんだよ、てめェは。

薬が回ってきたらしく、瞼が上がらない。息をしようとしても、口に水が入るばかりで。でも、もうどうでもいいから。土方に心配してもらいたい…なんてのは我が儘か?

最後に思い出したお前の言葉。

―――「銀時…愛してる。」

そう言ったお前はもういないから、俺は水に沈みながら泡になる。








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