倉庫2

□拍手文
1ページ/1ページ


夕刻に荒く吹いていた木枯らしは、羊雲たちをすべて追いたててしまったようだった。
窓枠の外にのっぺりと広がる闇空をみつめ、一護は肺から深く息を吐き出してみる。
砂埃をまきあげていた秋風はいつの間にかやんでいて、そのときに感じた寒さも、今は無い。それでも風呂あがりの身体には冷えたように感じる酸素を吸い込み、白くならない息をもうひとつ吐く。

「…寒い?」

ふっ、と囁くように落ちた低音を、右の鼓膜が拾った。
どの口がそれを言うか。一護は、顔を寄せてきた男に剣呑な眼光を飛ばす。
「…誰かさんが、俺の部屋の窓全開で居座ってやがるせいでな」
「それはキミが部屋の中に入れてくれないから仕方なく」
「帰れ酔っ払い」
「アタシが帰る場所は、黒崎サンがいるところっスよ」
「黙れ1回死んでこい」
「このアタシが?愛するキミを残して?」

…嫌な酔い方だ。
どれほどタチの悪い飲み方をしたのか、真顔で延々と口説かれる。
その手の話題が苦手な一護は素っ気ない返事をかえすが、酔っ払いには全く効果がないようだ。もとより口先で勝てるような相手ではないけれど、こう真剣に切々と口説かれると…困る。
色々、困る。
部屋に…招いてしまいたくなるではないか。

「…散歩してたら、黒崎サンちの方向に月が見えまして」
「月…?」
会話の合間に触れてくる唇も舌も、さっきから酒の味しかしない。
その苦味に閉口して無理矢理顔を背けると、たしかに明るい光源がひとつ見えた。暗澹に融けず、白く浮かぶ半月。
「ほらね、昨日より綺麗なお月様」
「あー……そう言われてみれば、そうかもな…晴れてるし」

一護が思い出すように瞳をめぐらせれば、思考を奪うように鼻先が触れた。また、酒の味。
…そういえば昨日も、この男は相当酔っていた。
やけに饒舌だったが、記憶はあるだろうか。下半分が輝いている半月を「下弦の月」だと思いこんでいた一護に、ぺらぺらといらない知識を伝授してくれたこと。夜の早いうちに右側を輝かせながら高く登り、真夜中に弦を上にして沈むから上弦と云うのだとか。下弦が東から顔を出すのは夜の深い時刻だからキミは寝てると思いますよとか。
商店へ向かう道すがら、同じ半月を見上げて。ずっと。

「……、」
「え?…何?」
「なんでも、ない」

思い出し、急に体温をあげた一護の頬を、冷えた指がたどる。自然に当てられた額と額。前髪がくすぐったい。
「…まあ、お望みの行為に及ばせていただいても構わないんスけど」
「な、んでもないっ、つってんだろっ」
「…昨日の今日で無理させるのもねえ」
「っ!」

ずるずると俯く顔を追うことはせず、浦原はその橙色を優しく撫でる。
「……今夜は、このまま帰ります」
「……」
「だからまた週末………ね?」
夜目にも赤い耳先を食み、低い声は囁くように言葉を落とす。
ひくりと震えた身体を温めるように一度抱きしめ、一護の返事を聞く前に、離れた。
できた距離に一護がハッと顔をあげると、男の横顔だけが見えた。ひるがえる羽織りの向こう、キスで濡れた唇が笑っている。

「湯冷めしないように、ちゃんと窓締めて寝るんですよー」

どの口がそれを言うか…!
真っ赤な顔のまま、一護は拳をふりあげる。おどけたしぐさで身をかわした男の金髪が、淡い光彩をひいて流れた。
おやすみなさーいと一度だけ振り返り、浦原は商店とは違う方向に下駄を向ける。上機嫌にぷらぷら杖を振る背中を見送ると、一護はドッと疲れた表情で硝子をすべらせた。
「…てめえが、言うか…」

うう、と低く呻き、男が消えて行った夜の住宅街を窓ごしに睨みつける。
やけに甘く痺れた舌先に残る酒の味、鼓膜に含ませるように囁かれた声。ドクドクうるさい心音をおさえこもうと身体を丸めれば、最後に抱きしめられた感覚が蘇る。
…簡単に寝られたら世話はない。


湯冷めどころかすっかり熱をもった頬を腕で隠し、強く強く、目を閉じた。



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ