倉庫2

□拍手文
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「あ…」

イラッシャイマセ、と声をかけるために口を開け、一護はしかしそのまま緊張に固まった。
一度見たら決して忘れられない風貌の男が、片手でドアを押して入ってくる。

ふらり、ふらり。
歌うような足どり。濃い色のジャケットに両手をつっこみ、何か英語のようなものを呟きながら猫背気味に歩いてくる。誰も視界にいれないまま、薄い色の金髪がカウンターを横切った。

(『浦原さん』…だ)

男は足音もなくカウンターのはじまで歩き、長い足を余らせながら、いつもの席にすとんと腰をおろす。
さらり、金糸がゆれ、長い前髪の間に眠そうな顔が見えた。伏せた睫毛が、白い肌に薄く影をおとしている。
とろりと眠気をたたえた瞳は、一護よりも色素が薄い。
ちょうどミルクサーバの補充をしていた一護は、その甘く端正な顔だちを正面から見てしまい、びくりと肩をふるわせた。何故か、どきどきする。
凝視するのはよくないことだとわかっているのに、目が、離せない。

浦原は、浮竹店長の友達で、凄いピアニストなのだと聞いた。その言葉通り、男の演奏は、今まで耳にしたどんな音楽よりも一護の胸を刺した。

(…あ。コーヒー…)

はた、と我にかえり、一護はいそいで白いカップをとりだす。浦原が来店したときは、いつも浮竹みずからコーヒーをいれている。今日は病院の検査があって浮竹は休みだから、かわりにもてなさなくては。
(これでいい…はずだけど)
浦原専用特製レシピは、隣で見ているうちにいつの間にか覚えてしまった。


…こと、


向かい側から、そっとカップをおろす。
一護が手を引っ込めると、わずかに間をおいて浦原が身じろいだ。白い手袋をはめた両手をのろのろと出し、カップを包むように指先を絡める。
甘い湯気で、金色の睫毛がふるえていた。唇が、縁を食む。
カウンター越し、その動作のひとつひとつを、一護は息をつめたまま見守っていた。レシピはたぶん間違っていないとは思うが、もし口に合わなかったら…。






「え!?喜助君、コーヒー全部飲んで帰ったのかい!?」
「…え、あ、はい…何かマズかったんですか?」
病院帰り、店に立ち寄った浮竹に浦原の来店を報告すると、椅子から転がりおちるかと思うほど仰天された。まさかそんな反応をされるとは思わなかった一護も、つられてのけぞる。
「あっ、いやマズくはない、んだが。びっくりだ」
目を丸くし、浮竹は改めてまじまじと一護の顔をながめた。
アルバイトに入って日の浅い学生は、視線の意味がつかめずに首をかしげる。
「作り方は、一応、見ながら覚えたから…」
「そうじゃなくて……喜助君、余程信頼してる人が用意したものじゃないと、出された飲食物を口に入れないんだよ。彼自身、無意識らしいが」
「え…?」
「醜い感情にさらされながら生きてきた子だからな。…小さいときから、演奏できなくなるような薬を食べ物に混ぜられていれば、警戒が身について当然なのかもしれない」
「……」
「清音や仙太郎や…朽木も何回か運んだんだぞ。でも、手をのばすことも匂いをかぐこともしなくてね……そうか、君のは飲むのか」

びっくりして心臓が痛い。洒落にならないことを言いながら、蒼白い顔が愛おしむように微笑う。
「また、作ってあげてくれ」
その言葉に、一護はすこし居心地が悪そうに眉を寄せた。黒いエプロンをぎゅっと握りしめる。
「…つか、俺、コーヒー出しただけっすよ」
「彼にとっては、世界が変わるようなことだよ」


(…そーいや…『浦原さん』、すこし笑ったな)
一護が出したコーヒーをひとくち飲んだあと、浦原の目元がほんのすこしだけ緩んだ気がした。あれは気のせいではなかったのだろうか。

また作ってあげてくれ。
重ねて言われ、あの笑みを見たときのどきどきが蘇る。エプロンを握る手に力をこめ、一護はちいさく頷いた。



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