倉庫2

□拍手文
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やっと影ができた軒下に浦原が腰を降ろすと、ぺたぺた裸足で後ろをついてきた子供も同じ場所に座る。当然のように足の間に収まった橙色に苦笑しつつ、浦原はその小さな体が縁側から落下しないように片手で抑え、もう片方の手で側に置かれた地球儀を引き寄せた。
陽射しの1番強い時間は過ぎたけれど、太陽を浴びつづけていた球体はほんのり熱をおびている。

「きーちゃん!はい、これ貼って!」

小さい手が、B5サイズのシール台紙を浦原におしつけた。駄菓子のオマケの『ラッキーけろんぱ(全15色)』。裁断が面倒で放っておかれていたものを、どこからか見つけてきたらしい。

「何色がいいの?」
「オレンジやだ。ピンクもやだ」
「えー、可愛いのに」
だめ!と叫ぶ甲高い声に笑いながら、渡された台紙を指先でたどる。
数分前まで暑い暑いと騒いでいたはずの一護は、背中をぺたりと浦原に預け、シールを選ぶ腕も自分のほうに引っ張った。

「じゃあ“黒崎”だから、一護サンの色は黒にしましょっか」
その思い付きに、オレンジの頭が頷く。
浦原は親指の爪ほどのシールを剥がすと、地球儀の上に貼りつけた。
黒いカエルの下敷きになった日本は、北海道の先端がちょこんとのぞくだけになってしまったが、たいした問題ではない。
「アタシは…黄色でいいか。えーと…この辺かな」
続けて貼った黄色いカエルは、広い海原と大陸の先。

「こっちとそっち…ほんとに遠いね」
「飛行機でぴゅーんて行くんスよ」
「みっきーのお城と、どっちが遠い?」
「あははは!お城よりずっとずっと遠いっスねー」
「…ふーん」

わかったような、わからないような。小さく眉を寄せた一護の顔をのぞきこみ、緑色の瞳が優しく笑った。
虫干ししていた地球儀に、ぺたりと手をつけてみる。目印に貼ってもらった黄色いシールは、一護が目一杯開いた指の先にあった。
その上に、一護より大きな手が重ねられる。長い指先が、何の苦もなくふたつのシールを押さえた。
その差がなんだか悔しくて、一護は地球儀をおしやった。その勢いで、離れて貼られた2匹のカエルが、離れたまま一緒に回る。

生まれたときから2軒となりにいるお兄ちゃんが「あと2回朝が来るといなくなる」。そのことが、7才になったばかりの一護にはよくわからない。駄菓子屋がなくなるわけではないし、遊びに来てはいけないわけでもない。なのに。
ただ、お兄ちゃんだけが、ここからいなくなる。
やりたいことがあるから、海の向こうへ。雲の向こうへ。

(…ずっと向こう…)
縁側から身を乗り出すようにして、一護は夏の空を見上げる。
「…コラ、危ないっスよ」
白い腕が、空しか見ていない小さな体を強く支えた。
そのままころりと腕の中に落ちたら、空と一緒に、浦原の困ったような顔が見えた。少し満足して、一護はぎゅうぎゅうと体重を預ける。
「…黒いけろんぱは甘えっ子だなァ」
「けろんぱじゃない!一護!」
「あはは、重い重い」

ホント、連れて行きたくなって困っちゃう。
笑いながら頭を撫でるてのひらが、心地良い。幼い体で精一杯、一護は無言で抱きついた。
もっともっと、もっともっと、外国に行くのを諦めるくらいに困らせたかったから、精一杯の力で抱きついた。




旅立ちは、夜中から降りだした雨があがり、空気が冷えた朝だった。
うっすらと白く雲で覆われている空。空と雲の境目がない今日は、飛行機雲が見えない。

「じゃ、行ってきまーす」

これから見えないほど高く遠くに飛び立つ背中が、軽く軽く手をふってタクシーに乗りこむ。その声がとても嬉しそうだから、一護は背を向けた金髪を無言で見つめ、母とつないだ手をぎゅっと握った。
目をいっぱい開けて、上を向いたら、平気。
笑った顔がまだ見えるから、平気。
後部座席の窓ごしに、見送る面々を順繰りに見つめていた瞳が、1番最後に、1番小さな橙色の頭に辿りついた。泣くのを我慢している顔に気付いて浦原は困ったように笑い、それから座席に置いた荷物をごそごそ探る。
…取り出したのは、小さなノート。

ぺらぺらめくって、一護に見えるように開く。
いたずらっ子の表情で、笑う。
(あ…!)



走り出したタクシーに片手をあげ、一心が苦笑する。
「あいつ、パスポートにシールだか何だか貼ってたな。ガキか」
「あら、まだまだ子供って安心したくせに………一護、どうしたの?眠い?」
「ううん…ないしょ」

タクシーはクリーニング屋の角を曲がって、すぐ見えなくなってしまったけれど。
でも。
浦原のパスポートには、仲良く並んだ黒いカエルと黄色のカエル。

「………いってらっしゃい」


一護が見上げた薄い雲の向こう側に、飛行機雲が白く走った。



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