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□エスプリ
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才気、機知、の塊と呼ばれる言語で表し示される2人は、ひっそりと、静かに、誰にも気付かれず行動し始めた。


エスプリ 前編


「ねぇー…?」

ぷっくりと手入れの込んだ、柔らかそうな唇にグロスを塗る女は窓辺で望遠鏡片手に外を眺め続ける男に問う。

「なんだ」

後ろを振り向かず、ただひたすら望遠鏡わ覗き続ける男は彼女のことはどうでもいいかのような口振りだ。

「……退屈」

3階、物理準備室。
化学教室と物理教室が化学準備室を挟んだ並びのため、校舎角にひっそりと存在するこの教室はほぼ使われず、その前を人が通るほとも殆どない。黒と赤の暗幕カーテンで閉じられたここは、2人のたまり場であり、活動場所──拠点である。

「…苛めてやろーか?」

「やだ、ドエスめ」

即答。男が生粋のドエスなのは女がよく知っている。

「退屈ー!」

プリンたべたい、と関連のない言葉を続け、連呼しているがやがて

「……退屈、ねえ。もうすぐ、それも終わるよ」

呆れた風に言われた。
男はやはり望遠鏡を覗き続け、カチっと手元のなにやらスイッチらしきものを押す。

女は男の意図したことに気付き、手元のヘッドホンをかけ、左手にシャープペンシルを持った。

──そろそそだ。

声にださず、心の中で合図を唱える。瞬間、求める声ははっきりと此処へ届いた。


『……ここ?』

──そう、ここ。

『まず……名前、だよね』

──手順は踏んでる。

『──中垣、冴香』

──さあ、願いは何。


『み、三浦くんと…っ』

ガチャ…。

「ッ!」

ドアの開く音がして、反射でメモ用紙の上に予め用意していた課題を被せてカムフラージュをする。
「捗っているかな?」

若い、白衣の理科系教師。
が、そこにはいた。







「…何これ?」「手紙?」「ラブレターとか?!」「あっ私のとこも!」「オレもだっ」「なに?…5?」「数学…」「オレ記号だよ!マイナス」「ちげーよ、それ1だろ!」「256、ちゅーとはんぱ!」「プラスだよ、こっち」「なんだよこれ!」「あ、マイナスだーこれも!」


朝、下駄箱で騒がれている四つ折りの白い紙。中には数学関連の、数字、数はもちろん記号など様々なものがひとつずつ書いてある。

「……α(アルファ)…」


私のはα。代数、ってやつ?

「あ、αなんだ?」

「え?」

「同じだよ」








「こんなで、いいのか?」

「とりあえずは上手くいってるよ」

「ったく、アイツのせーで」

そして放課後。また集まった2人は今日の結果報告。あの、四つ折りの白い紙は紛れもなくこの2人の仕業だった。

「接点はつかんだ。あとはあんたが頑張ってよ?」

「わーってるよ」

あとは、三浦に中垣冴香の話、それもいい話を吹き込む。特に男が惹かれるようなところ。一人、二人、……出来れば三人の口から彼の耳に彼女の話がはいればいい。それでほぼ終了に至るだろう。

「情報によると、三浦もすこし中垣が気になっていた様子だから、それも後押しするだろうし」

それ以上は必要ないだろうね、と女は作業の確認をして美味しそうにプリンを口へ運ぶ。

男のほうは相変わらず望遠鏡で覗き続けている。つまらなさそうに、しかしながら少しだけ魅力を感じて。



いつしか、よくわからない。
ここの鍵を手に入れ、たった一度きりと思った人助けをした。
各々のもつ、機知を使って。
そして、名をあかすつもりのなかったがために、2人には初めに助けられた人によって名前がつけられた。
一度きりと思っていたことも、いまとなっては毎日、物理準備室へと出向き、男は望遠鏡、女はヘッドホンを片手に時々伝説に振り回される人々の願をかなえる手助けをする。

それが、今の楽しみとなっている。


だが、本人たちは自分たちの名前の由来をしりはしなかった。

密かに、そして静かに、しかしながら着実に。
その名は広まりつつある――。



前編END
 

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