reborn

□薔薇か緑か
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困っていた。
彼は困っていた。脳内に非常事態だと警鐘が鳴るほどに困っている。けれども沸き立つ血の源、己の心臓は実に忠実だ。そこにある感情は歓迎を意味している。
だが激しく困っていた。

「リボーン…」

眼前の、ラズベリーのごとく染まった柔い頬、艶めくぽてりとした唇はきっと熟れた桃よりも甘くとろけそうだ。優しく噛み付いただけで、震えるそれは甘美に弾けるだろう。
それは己のパーソナルスペースに入り込んだ。
強制ではない、自らそれを望んで――自分に全てを食べつくして欲しいと、ぎこちなくもしっかりと意志を誇示したように腕をゆるゆると広げたのだ。

抱け、と。
俺に抱かれたい、と。

ああ、どんなに待ち望んだか。
呪縛を解き放った俺が今までに見せたお前への努力を(獄寺は唇をその都度引き締め俯き、雲雀には「ワオ。歩く股間だね」と言われた)、お前は哂う小鳥のようにこの腕(かいな)から逃れてきた。
そのお前が。ああ、ああ、こんなに俺を欲しているというのに。

潤んだ瞳が俺を催促する。

「…ツナ…」
「全て見せるよ…」
「ツナ…」
「もう逃げない」
「ツナ……」
「だから、お前も見せて……」

愛しいリボーン

「ツナ……!!」

なぜ…今日なんだ…!!!



それは午前中に遡る。
リボーンは依頼されていた仕事を終え、暇潰しと称したボンゴレ邸のセキュリティーチェックを自ら行っていた時だ。

勿論セキュリティーの専門の者が週ごとに機械など開け完全なるチェックをし、また毎日それを確かめてはいたのだが、リボーンのそれは邸に属し出入りする者のチェックと言っていい。
つまりは傍を通るだけで、それが行えた。不審な人間の心臓ほど、正直なものはない。その心音が聞こえるというよりは、血液の流れに即した人体の動き、パーツパーツに小さくても不自然が生じればそれを逃すリボーンではなかった。
だからリボーンは管理室、厨房、リネン室へなど、暇潰しの挨拶と称してチェックをする。彼らはこの最凶のアルコバレーノを軽視するほど馬鹿ではない。みな一様に、挨拶の一瞬に緊張を強いられた。

その中でも異なった彩を見せる者は数人いる。
たまたま居合わせた守護者は勿論だが、女性の中でも稀な存在。それは日本から必死の形相でついてきたハルだった。彼女は、このアルコバレーノをもってして最凶の死神の名を冠するリボーンのことを未だに「リボーンちゃん」と言う稀有な女性だ。
呪いから解かれた今もそれは変わらない。彼女曰く「はひ。今更リボーン君じゃ慣れないですぅ」と困った顔で身を捩ったことがある。その場にいた全員が「君かよ!!」とツッコんだ。鷹揚に笑っていたりボーンも実は脳内でツッコんだ。
「小僧相手にすげえなあ」と笑うのは、天然を地でいく守護者の山本である。この2人は時折似ている。

そのハルが、日差しがたっぷりと溜まり込んだ庭の一隅で白い布やらを干している。洗濯か。家庭的ではあるがマフィア的ではない。苦笑をしながらリボーンはハルの傍へ赴いた。
暗殺業として培った足音を殺した歩き方も、気配の断ち方もハル相手には寧ろしない。

「大丈夫か」

洗濯を手伝う気はさらさら無いのだが、そこは気遣った声を掛けたいイタリア男の性である。

「あ、リボーンちゃん」
「洗濯か。お前は管理でいい仕事をしてるんだから、そこまでやらなくてもいいだろう」
「違うんですー」

彼女は嬉しそうに、手にしていた白い布を掲げ広げる。ワイシャツか。ハンガーに吊るすと、ささっと皺を伸ばした。
気付くと、これはファミリー全体のものにしてはかなり少なすぎ、一個人のものだと知れる。あちらで掛かっている靴下もハンカチも、見覚えが。

「ツナさんのなんですー」

やっぱりか。

「ツナのだけ、か?」
「はいー。これだけは私がやりたいって、ハルがんばったんですよー」
「そ、そうなのか?」
「だって洗濯しているだけで、ツナさんに触れてるようで幸せなんですー」

不憫だ。不憫すぎる。

今だけは、常日頃行い糧としているツナに対するセクハラを恥じたことはない。

「いい女だ、ハルは」
「はひー!ダメですよう簡単に褒めちゃ!もったいないです」

そうしてまた嬉しそうに洗濯物を順々に干していく彼女の勇姿を、リボーンは温かいようなすっぱいような気持ちで眺める。
確かにボスの下着など、素性のわからぬ者に任せるには危険だ。小さな毒針を仕込むだけで暗殺は成立してしまう。その危険から考えても、また肌触りよく気持ちのいい洗濯物がツナに渡せるのも、ハルは最も適した人間だった。
鼻歌交じりに手を止めないハルの、「獄寺さんと競って勝ったんですよう」の発言には色々しょっぱい気持ちにはなったが。

と、そこへハルが干している物に目を留めた。気のせいだろうか。違和感が。
いや、そこにあるものではない。断じてないはず。ツナのものではない。だってあれは――それはあの…

「股引ですね〜」

マジですかおい。

有り得ない。有り得ない。有り得ない。アリエナーイ。
え、なんで?年寄り?俺の愛しのハニーは年寄り?それともなんかボンゴレ開発しちゃった?つーかレオンやっちゃった?レオン作っちゃった?特殊な糸で出来てる股間プロテクター?だったらもうちょっと色気あってもよくねえ?レオンもう無理?無理なわけ?

その色気もクソもない股引という反吐の出る物体を、ハルは「三枚あるんですよ〜色違いですよー」と赤白緑と掲げて見せた。やめてくれハル。「イタリアンカラーですー。うふふー」。もうほんとやめてくれハル。特に赤振るのやめてくれ。

「ツナさんがスーツ寒いって言ってたんですよー」

言ってくれたなら俺がいつだって温めたものを…!!
この肌で!ツナの湧き上がる鳥肌一つ一つ舌で温めてやってもいいくらいだ!なぜに股引!!

「そんな話を電話でしたら、京子ちゃんが送ってくれたんですー」
「きょ……!?」

京子!?ダークホースは彼女か!?
しかも赤白緑という、とんだ色合いをもつ股引をあの可憐な彼女がわざわざ買ったというのか!?

リボーンが呻く中、一切の空気を読むことを天然という名で拒否するハルは「優しいですよねえ」とうっとりする。
そうして、「ツナさんも気に入ってるんですよ」と、ふんわと微笑んだ。

「『2人のお陰だね』って。『冬は穿いて過ごそう。あああったかい』って」

そりゃもう優しい笑顔でした。ハルの一番好きな笑顔でした。

リボーンは白くなめらかな手で自分の口元を押さえ俯いてたが、その姿勢のままハルの持つ股引を目端で捉える。陽光に赤と白と緑が翻り、はらりと溶け込むのを、ずっとずっと捉えて離さなかった。


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