文
□ささくれ
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隣でジローが豪快なくしゃみをひとつ。街灯の白い明かりが垂れる透明の鼻水を映し出した。たちまちジローは身体を震わせて上着の前を引き寄せる。
「う〜、さみぃぃ!」
「ばーか、そんな薄着で来るからだ。風邪引くぞ。」
「はは、平気ヘーキ。ばかゎ風邪引かないっていうC。」
鼻をすすり、へへっと明るく笑う彼は、いつものジローに戻っていた。その様子を見ていたら、なんだか安堵して、同時に冷静になれた。
何でジローは此処にいる?
何でジローを巻き込む必要がある?
寒いって言ってるのに。
本当に風邪を引くかもしれない。
だめだ、やっぱり帰そう。
俺はしばらく黙ってから、ジローに向き直った。ジローが不思議そうにこちらを見ている。
「帰れ。」
ところがその一言はまるで無効であるかのように、いや、逆にその一言が引き金であったかのようにジローは全く反応を示さなくなった。顔をしかめたのは俺の方だった。こうして、ふたりでいる間、ふとした瞬間に見せるその表情。何を考えているのか解らないその表情。
いつもと違う。
いつも一緒だったのに。
俺は知らない。
こいつのこんな顔。
「馬鹿は風邪引かねぇなんて迷信信じてる奴こそ馬鹿だぜ。」
俺の心が騒めき、波が立つ。なぜ、これ以上俺を不安にさせようとするんだ?
「首を突っ込むのは勝手だが、これ以上お前を巻き込むわけにはいかない。だから…」
そのとき、何かが俺の喉をしめつけた。肺の奥から押し上げられるようで、まるで息ができない。
自然と途絶えた言葉。
鳴り止まない耳鳴り。
見開いた目。
勝手にテンパって、うまくジローの目も見れないままにひとりで喋り続けていた俺は、相当惨めだった。
でもそりゃないだろう。
お前の目に、今の俺はどう映っていたんだ?
俺の目には、俺の知らないお前が映ってる。
解るんだ。
お前、泣いてんじゃねぇか ジロー。
「…何、泣いてんだよ。」
目を見張る俺の瞳に映るのは涙で瞳を曇らせたジローの泣き顔で、そこに射す街灯の無機質な白光が、ジローの視線を眩しくさせる。
俺は言葉を無くしていた。
すっかり頭が真っ白になっちまった。
「何って?」
「…。」
ジローは潤んだ瞳を地面にして、こちらには顔を向けようともしない。けれど言葉ははっきりしていた。
「勘違いしないで。これは単なる親心だからさ。」
「アン?何言って…」
「跡部は正しいよ。オレがおかしなだけ。」
そう言ってジローはパーカーのポケットに両手を突っ込むと、大きく深呼吸して空を勢い良く振り仰いだ。溜まった涙が零れるだろうと思ったが、一筋も零れなかった。なぜかジローが怒っているんじゃないかと、そう感じて少し緊張した。
「そろそろ眠いかも。」
目を擦りながら呟くジロー。俺ははっと我に帰り、口を開いた。
「・・・そうだな。もうお子様は寝る時間だぜ?」
いつものように馬鹿にした事を言つてやると、ジローはふっと微笑んだ。
許してくれたようだった。
ジローの笑顔にいつも何かしら温かいものを感じるのは、きっと、気のせいじゃない。そんな気がした。
「そうだね…うん。少しだけ、眠い。でも平気。」
そう答えたジローを俺は別にどうにかしたいと思ったわけじゃなくて
ただ大切にしたいと思ったんだ。
この世でただひとりの
ともだちのように。
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