本編

□エピローグ
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ガタンッ


体が傾く。


プシューッ


空気の抜ける音。



あれ、なんだっけ?


重い瞼をこすり、傾いた体をシートに手を付け支える。

急に影が落ちる。

顔を上げると、荷物を抱えたおばさんが立っていた。

まだ状況を把握しきれないでいると、おばさんの顔はさらに険しくなる。


え、僕何かした?


助けを求めるようにおばさんの向こうを見ると、通学中の学生や、通勤中のサラリーマンでごった返している。


――次は青坂、青坂。
  お降りの方はお知らせください。


アナウンスが入る。

頭が左右に余計に揺れているあの運転手の声だ。

そうか、ここはバスの中か――


席は僕の座っている席以外空いておらず、あろうことかそのど真ん中で占拠している形となっている。

僕は急いで横につめ、軽くご婦人に頭を下げた。

空気と漏れ出す「すみません」は、なだれ込んで座る人の波に消される。

ぎゅうぎゅうに窓ぎわに押し込まれたおかげで頭はすっかり冴え、もう寝ることはなさそうだ。


とは言っても、本当に長く眠っていた気がする。


スケールのデカイ夢を見たような…でも、思い出しても途切れ途切れで、良く分からないものだった。

ただ、この世界より楽しく、かけがえのない…いや、違う。

なんかこう、ホラーとかゾンビとかそういう類の胸がモヤモヤするものだった気がする。

じゃなきゃ、こんな『夢で良かった』なんて思うはずがない。


うん、きっとそうだ。

そしてそれは、昨夜見たテレビのせいだろう。


モヤを吐き出すように息を吐き出し、窓の外を眺める。



――あれ、赤い鳥居がない


ふと、そんなことを思った。

バスに乗ってすぐ通過するものが今更見えるはずもない。

まだ寝ぼけているのか。


バスが停まる。

立っている人達は揺れ、慌てて手すりに掴まる。


ドアが開いて、出るより入る数が多く、バスはすし詰め状態となった。


汗の匂いや香水の匂い。

人の生きている匂いが混ざって鼻につく。


この時期には効きすぎた冷房。

冷ますと言うより、冷やすという感じ。

デカタオル持ってくれば良かったと口を尖らせ、身を縮める。


バスが発車し、高校前とアナウンスが入る。

自分で押すまでもなく、少し控えめに『止まります』のボタンが鳴る。

今更ながら行きたくないなぁ なんて憂鬱になる。

しかしこの制服姿だ。

降りずにいたらサボりだとすぐバレてしまう。

これ以上、周りの目に晒されるのは御免だ。


また、息を吐き出す。


どうか噂が広まっていませんように。

変わらぬ学校生活が送れますように。


そんなぬるい願いを胸に、僕はバスを降りた。




同じ場所を目指して、友人と話しながら、携帯を眺めながら、下を向いて嫌々、そんな様々な青年の群れにまぎれ、何を思うでもなく、進む。

晴天とも言えない、うすい雲のかかった空。

少し涼しい、強い風。

渦巻き舞う、葉。

蝉の声も、心成しか寂しげだ。


もう夏も終わりだなぁ。

だからと言って、特に何もないけど。

時間は進むし、夏はまたくる。

茹だるような暑さも、蒸すような湿気も、あの、耳を刺す蝉の声も。


ただ、今年は川を泳いだり、魚釣ったり、いつもより充実していたなと、胸に広がる満足感に頷く。

来年も同じようにとはいかないだろう。

これは、繰り返されない夏だ。


もちろん目標を掲げて、しっかり計画を立てれば叶えられなくもないだろう。

しかし…彼とはもう、ん?彼?

誰だろう。

いや、そもそも僕は何処でそんな体験をしたんだ。

これも夢の中だったとしたら、すっかり区別がつかなくなっている自分が恐ろしい。



まぁ、いい。

夢だからこそ体験できたのだから。


家族と、友人と、恋人と思える人物と楽しい想いを共有するなんて、現実の僕では有りないのだから。

むしろ有難いことだ。


起きてちゃ望みもしない、夢物語。





歩幅が狭くなる。

前が詰まっている。


いつも以上に人が密集している校門。

何か声が聞こえる。


生徒会のあいさつ運動かと思ったが、こうして詰まることはない。

だとしたら抜き打ちの服装チェックか。


前髪をつまむ。

んー、アウトだな。


ハサミがあれば待っている間になんとか出来るが、そうそうそんなものを持っているはずがない。

素直に注意されてしまおうと、あくびをしながら順番を待った。

しかし、一向に前へ進まない。

そんな中、女のかなきり声。

空に白い物が舞う。

「大人しくしなさい!」と男の声がした。

生徒達がどよめく。


先で起こっていることはここからでは見えない。

背伸びをしてみても変わらなかった。



「何?」

「さぁ」

「なんか女が暴れてるんだって」

「なにそれ」

「こわぁー」



前の会話が耳に入る。


なるほど、不審者か。

こういうことって本当にあるんだなと、少しざわつく胸をなでる。


風に乗って、ばらまかれた紙がこちらに流れてきた。

すぐ前の男が、それをジャンプして掴んだ。



「なんだこれ」

「キシ…シキ、シシキ…?」



自分の名前を読まれ、反射でビクッと体が動く。

間から覗き見ると、明朝体の文字の羅列が目に入った。




 『2年3組 岸式 獅季(キシシキ シシキ)は

   中学の頃 一人の男子生徒に

    執拗ないじめを繰り返し

     自殺へと追い込んだ

      人殺しである』



その文から、この事態を把握する。

山田の母がこれを配っているところを、警備か教師に取り押さえられた。

そんなところだろう。


本当にやったんだな。

けど、こんな目立つやり方を取るとは思わなかった。

もっと影から噂を流し、じわじわと僕の首を絞めていくのかと思っていたので、とても驚いた。

これでは、広まるのは今日の午前中だろう。

ということは、僕の日常もそこまで。

とても短い。



やはり帰ろう。

もう、ここにいたくない。


一歩後ろに下がる。

他の生徒にぶつかる。

「いって、何こいつうっざ」と聞こえるように呟かれる。

目立ちたくない僕は急いで静かに立ち去ることばかりを考えていた。


しかし、ビラを見ている生徒がこう言った。



「つか誰?岸なんとかって。」

「知らねぇー」

「てかマジたりぃー早く教室行きたいんですけどぉー」

「おばさんマジめいわく」



それだけだった。

彼女がやったことの効果はそれだけ。

校門を塞がれ、足を止められたことへの文句。

ビラに書かれていることも、僕の名前も、なんの興味も示されない。

僕は、こんなことに怯えていたのか。


彼女は、これで僕を追い詰められたと、苦しめることが出来たと、満足するのだろうか。

これが復讐だというのなら、草葉の陰から覗く山田はきっと、苦笑していることだろう。





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