狼と修羅

□愛の町
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「おーい、ねぇ、隼飛さん、ちょ…ちょっと待って!」

 名指しで呼び止める声に隼飛と鎖牙が振り向くと、一人の青年が息を切らして駆けてきた。好青年と言っても障りのない顔立ちの持ち主は、つい先程まで滞在していた町で案内人を頼んでいた若者だ。


『愛の町』


 今回一人と一匹が訪れたのは、ごくありふれた平和な町だった。
 ただ、恋愛に異常なまでの執着があることを除いては。
 その町はどの隠れ里からも離れた所に位置し、忍の影響もなく周りを山でぐるりと囲まれており辿り着くまでの道のりは遠いが、誰の目も気にせずのんびり過ごせる。噂によると各国の殿様がお忍びで訪れているらしい。もちろん愛人つきで、というのは公にはされていないが全員承知の事実である。
 しかもそのほとんどがこの町で即席に作られるというから驚きだ。そういう金持ちは気分が良い分羽振りも良く、田舎町にしては景気も悪くない。お金もある、環境は最高とくれば暇を持て余すのは当然の成り行きで、結局人々が夢中になったのは、どれだけ経験を積もうとも先の予想がつかない恋愛だった。
 人々は常に愛を求め、そのせいで命を落とした人間は数知れない。それでも人々は諦めることなく執着しているのだからこれは尊敬に値する。
 男か女か区別のつかない隼飛でさえ、その両方から行く先々で声を掛けられた程だ。しかも、その両方の意味として。隼飛としては理解し難いものである。
 そんな町で案内役を頼んだのが、この青年だった。領主の息子だというこの青年は、裕福なせいか暇を持て余していたようで、とある飯屋で自ら案内役を買って出た。町中を回遊していたらしく、道には詳しかった。その上、顔も性格も程々に良く顔も広いため、案内役にはもってこいであった。隼飛と鎖牙が調査に奔走している間もあまり首を突っ込まず、その役をこなしてくれていた。
 その青年が、今更何の用だろうか。

「何かご用でしょうか。礼金なら机の上に置いて来た筈ですが」
「いや、そうじゃないんだ。少し話があって」

 息を切らして駆けて来た青年は、こちらに屈託の無い笑顔を向けた。この笑顔で、いったい何人の女を落として来たのだろう。
 もちろん隼飛にその一人へ入る気は更々無い。

「それは仕事の依頼、という事でしょうか」
「いやそうじゃなくて、話があるんだ」

 そこまで言うと、青年は何か大仕事に取り掛かるかのように、ゆっくり深呼吸をした。

「僕と、結婚してくれ!」
「……はい?」

 思わず怪訝な声を出す。

「僕と一生を共にして欲しい、僕に相応しい女性は君しかいないんだ!」
「だってよ、どうすんだよ」

 横からの楽しそうな揶喩は鎖牙だ。
 黙ってろ、と軽く睨んで諌めると、鎖牙はつまらなさそうに肩をすくめた。

「断ります」

 こういう勘違いも甚だしいものは、はっきりと断っておいた方がいい。だがそれでも笑顔を崩していないのだから、これは大したものだろう。

「あ、違うんだ、今すぐってわけじゃないんだよ。両想いでないと結婚なんて意味が無いしね。とにかく後半年、いや後3ヶ月、ここに残って欲しいんだ。精一杯君を愛するよ」
「…………」

 どこからくるその自信は。話に「断られるかもしれない」という前提が入っていない。流石にここまでの自信家は見たことがない。ちょっとした珍獣だ。
 隼飛が呆れて黙っていると、それを迷っていると取ったらしく青年はさらに続けた。

「君を愛してるんだ!君を幸せに出来るのは僕だけだ、一生大切にする。君の為なら何だってする覚悟だよ!」

 青年がこちらに向かってパチンと片目を瞑った。気持ち悪い、と思ったがこれは口に出さないでおく。中身も相当気持ち悪いので、わざわざ変えようのない見てくれをけなしてやることもない。替わりに、

「ならば、」
「何だい?」

 笑顔で聞き返してきた青年に、こちらも極上の笑顔を作ってやる。隼飛の笑った顔を見たことが無いこの青年の目には、きっと本当に嬉しそうに映るだろう。

「死ね」
「え?」
「私の為なら何でもするのだろう。ならば私の為に死ね」

 ここに来て初めて青年の笑みが凍りついた。だが構わず笑顔のまま続ける。

「今私と結婚してからお前が死ねば、遺産がたっぷり手に入る。お前は私と結婚出来るし、一生傍ににいる事も可能だ。一石二鳥ではないか」
「そ、そんなっ無茶な…」
「無茶?では、何でもすると言うのは嘘だったのか。私の為に生きるという事は、私の為に死ぬという事だ。その程度の覚悟も出来ないようで、愛だの恋だのとほざくな。自分の為に生きられない様なやつに、興味は無い」

 青年は真っ青になっていた。何も言い返して来ない。というより言い返せないように叩いているわけだが。一生トラウマになるような極上の笑顔付きで。
 それに、と今度は真顔で付け足す。

「私より弱いやつに私を愛する資格など無い」

 これを留目に、凍りついたままの青年を残して、隼飛と鎖牙はゆっくりと立ち去った。
 そして跡には、たった今初めて失恋という経験をした青年が立ち尽くしていた。



















2007/10/21 12:02

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