ニンゲンの世界
□無題
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記憶が流れ過ぎる――――暗転。
遠くに聞こえる他人の雑音――――暗転。
遥か昔創造の季より続く、深淵。
暗闇ではない、眩しいばかりの希望でもない。まるで汚れを知らない、真っさらな。
居場所。
ここは誰一人として邪魔も許されない、自分だけの居場所。誰一人として介入者を許さない、絶対的な力を持つ。
その中を永遠に漂う。身体もなく、感情の波もなく。あるのは、今までに経験したことのない、否、これ以上ないというほどの満ち足りた幸福感。
どこまでも広がっていける、無限大の可能性。全てが可能になる、世界で一番幸福な。
そこでぽっかりと目が覚め、目に映ったのは世界のどこからの距離も変わらない筈の、しかし果てしなく遠く見えるボヤけた空だった。一瞬ここがどこだか分からなかったが、やがて騒々しい物音でやっと現実に引き戻された。
そうだ、ここは。至福から引き矧がされた喪失感と、今日一日を思い憂鬱になった。
夢を、見ていた気がする。どんな夢かすら覚えてないが、とても幸せな夢だった気がする。今まで何度も見た記憶があった。
何度も見た夢は予知夢であるという都市伝説を聞いたことがあるが、それだけは伝説であって欲しくないと願ったのは一度や二度ではない。
永遠に眠っていたいと、何度願ったことか。きっと死んだらあんな感じなんだろうな、と普通に考えると恐ろしいことを思ったりもした。
しかし、現実はそう甘くない。
「おはよう」
不意に背後から、深く少し人を小馬鹿にしたような声がかかった。
もちろん声の主は分かっていたので答えたくなかったが、ある大人からのアドバイスを思い出し、葛藤の末渋々振り向いた。
「ああ、おはよう」
「――どうしたの、………泣いてるの」
少年のいぶかしげな問いで、やっと自分の頬が濡れているのに気づいた。
「……夢を、見てたんだ」
「夢?…そんなに悲しい夢だったの?」
言葉とは裏腹に、全く心配してなさそうな返答に少し苛立ちながらも、やはり男の言葉を思い出し、会話を続けた。
「……いや。凄い幸せな夢だった」
幸せだったから、そこから覚めてしまうのが無性に哀しくて、だだをこねる子供のように涙したのだ。
「そう」
自分から聞いたくせに、少年は軽々しく聞き流した。この少年がパートナーになってからはや数日、少年の性格は大分掴めてきたが、未だ馴染めず苛立ちを覚える事もしばしばだ。
気まずい空気が流れた(少年は意にも介していない様子だが)その時、ピリピリと電子音が鳴り、少年が身じろいだ。
「今日のミッションだよ」
「……ああ」
カチャリと開かれた携帯を覗き込む少年に返事はしたものの、話はほとんど入って来なかった。
ここが、俺の世界なんだ。あっちの幸せな世界ではなく。この淀んだ世界で俺は生きている。
そして、ふと思った。
俺は、この世界が嫌いなんだ。
けれど、今は。美しくも愚かなこの世界で、戦わなければならない。
素晴らしきあの世界へ、あの子と再び同じ世界へ、戻るために。
2007/09/23 20:01