ニンゲンの世界

□驟雨の隙間風
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 きっと僕らは、人間だから。


『驟雨の隙間風』


 雲行きが怪しくなり始めたのは、二人が現世に帰ってすぐのことだった。
「雨降りそうだな」
 空を見上げながらポツリと呟いたのはきおである。どこか不安げな声に、りゅうもつられて空を見上げた。
 時刻は夕暮れ時、西の空は赤く染まっているが、東からは巨大な灰色の雲が近付いてきている。
「何か、嵐になりそうだね」
 この季節なら煩く鳴いていそうな昆虫の声がしないのは、驟雨になる前兆だ。辺りを見渡してみても、避雷針となりそうなものは無い。あるのは、遥か遠くに豆粒ほどの大きさで見える古びた小屋がひとつ。他は見渡す限り見事に草原だ。
「どうする、力、使うか?」
 きおがりゅうの顔を覗き込みながら尋ねた。さっきの不安そうな声とは裏腹に、いつもの明るい調子が戻っている。
 ちょっと待って、――顔が近い。
「――いいっ、そんな気ぃ使わなくて!」
 逃げるように反射で叫んだ。顔が赤くなっているのがばれないように横を向く。
 そうじゃなくって。何でこうも素直じゃないんだ、僕は。自分のことを思って言ってくれてるのは分かっているのに、素直にありがとうと言えない自分が忌々しい。
 本当は力を長時間使用すれば、きおが疲れるから嫌なだけなのに。そう言えば恩着せがましい気もするが、憎まれ口を叩くよりはマシだ。
 そっか、ごめん、ときおが笑顔を崩さず謝った。どうやら怒ってないらしく、ほっと息を吐く。
 もともときおは滅多なことでは怒らないが。
「じゃあ、あそこに行って雨宿りするか」
 雨が酷くならない内に、と何でもない風に言いながらするりと肩に手を回す辺りが、格好良過ぎてやっぱり悔しかった。
 だが口を開けばまた憎まれ口を叩きそうで、黙ってこくりと頷いた。


 数十分後、二人は扉の前に立っていた。空は大分暗黒に染まってきているが、まだ雨は降っていない。
 りゅうは拳をぎゅっと握り締め、肩の震えを必死に堪えた。さっきあれだけ盛大に明言したのだ。――あれをただの強がりにするわけにはいかない。幸い震えは見られさえしなければ隠し通せるレベルだ。後はきおが気付いていないのを祈るばかりだ。
 きおが扉を数回叩いたが返事はなかった。どうやら誰もいないらしく、りゅうはほっと息を吐いた。
 鍵はかかっておらず、調べてみると、井戸や暖炉など生活に必要なものは一式揃っていることが分かった。掘り出し物の毛布は、冷え込むだろう夜を考えればありがたい。ただし全部に埃が大量に積もっており、ここ最近は使用されていないらしかった。
 一晩過ごすのに必要なものの清掃を終えたのは雨の降りだす一歩手前で、空には既に稲光が走っていた。
「大丈夫かな、この家」
 戸を開いて空を仰ぎながら、不安そうに呟いた。一先ず雨風はしのげたが、落雷や豪雨になればすぐに倒壊してしまいそうなのが不安の種だ。
 足音が近づいてきて、背後にきおの立つ気配がした。
「大丈夫だって」
 ぽん、と頭に温かい手が置かれる。りゅうを安心させるためだと分かったが、きおの触れた部分に熱が帯びるのは免れない。
「何かあったら俺が守ってやるから」
 事も無さげに言うきおがとてつもなく格好良くて、なんとなく負けた気になって黙り込んだ。
 きおが離れかけて振り返る。
「ほら、早く入って寝るぞ。疲れてるだろ今日は」
 だがりゅうは振り向く代わりに、前を向いたまま答えた。
「先寝てて。僕はもう少ししてから行くから」
「そんなとこいたら風邪ひくぞ。もうすぐ雨降るし」
「待って、もうちょっと。僕さ、嵐になる前のこの感じ好きなんだ 」
 昔から、何故か嵐が好きだった。周囲の皆は雷が恐いとか何とか言って、全員で固まって悲鳴を上げたりしていたが、りゅうだけは一人わくわくしながら窓に張り付いていたのを覚えている。
 嵐が好きだというより、嵐になる直前の空気が好きだという方が近い。急に雲が集まり、空気が冷え始める。ピンと張りつめて、まるで世界が変わったみたいで。
「後ちょっと、雨が降り始めるまで」
 コツコツと足音が近づいて来て、ふわりと柔らかいものが肩に掛かった。驚いてその動作の主を見上げる前に、隣に温かみが滑り込む。
 今のシチュエーションは想像するだけで顔がかあっと熱くなったが、なんとなく突き放す気にならなかった。
 その後土砂降りになり意識が途切れるまで、ずっと隣の温かみは消えなかった。
















2007/09/29 21:45

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