第一章
□冷たい瞳
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その日、少女は誘拐された。
そして連れて来られたその場所は、何もない部屋だった。
生活感が感じられない。
虚無。
生きていく為だけに必要な物が、ただ置かれただけの部屋。
それでも唯一。
たった一つだけ。
異質と言ってもいいモノが部屋にはあった。
アコースティックギターが、リビングの隅に立て掛けられていたのだ。
「…さて、と」
食材が入ったビニール袋をクゥは台所に置く。
つい先程。
といっても三時間程前なのだが、クゥは誘拐された。
親友のミナトとの下校途中にである。
「えっと…フライパンは……」
ガサゴソと色々戸棚を漁ってフライパンを見付ける。
フライパンもキッチンも、とても綺麗に管理されていた。
というより、一度も使われていないのかもしれない。
ついでにその他の調理器具を取り出して“ハンバーグ”作りに取り掛かる。
何故誘拐されたクゥがハンバーグを作る事になったのか?
というと、誘拐犯――フェルマータと呼ばれた男が、この部屋に辿り着いた瞬間にいきなり倒れてしまったがきっかけであった。
焦ってオロオロしている(クゥの力じゃ運ぼうにも運べず)と、この部屋の隣に住んでいる綺麗なお姉さんが偶然通り掛かって、助けてくれたのだった。
――以下、その時の会話です。
「ちょっとあんたたち、そこで何してるの?」
「はっ!? えっと!? その急に倒れちゃって!!」
「…急に?
…ちょっと見せて」
「…あの?」
「ああ、あたし?
この部屋の隣りに住んでるの。
医者とかって訳じゃないけど、知識なら少しあるから。
………。
うん、疲労が溜まってるだけね。
ベットで安静にしてたらその内良くなるわ」
「本当ですか!?」
「ええ。
ほら、ベットまで運ぶわよ」
以下、省略。
「ありがとうございました」
「いいわよ、お礼なんて。
それより彼氏が起きた時の為に何かご飯でも作ってあげたら?」
「へ?
あ、えと、はい。
そう思ってさっき冷蔵庫確認したんですけど、…何もなくて」
「なら、あたしの部屋からいくつか持って来てあげるわよ。
ハンバーグの材料とかでいい?」
「いいんですか?
すみません、お願いします」
「了解。
ちょっと待ってて、直ぐ持ってくるから」
以下、微略。
「はいこれ」
「ありがとうございます」
「いいのよ、彼氏によろしくね」
「はい!
…ところであの、どこかで会った事ってありますか?」
「そうね。
実はあたしも気になってたのよ、あんたの彼氏。
…どこかで会ったような」
「へ?」
「ん?」
「いえ、違います違います。
わたしとあなたが、です」
「…あたしとあんた?
………。
…他人の空似、じゃないかしら」
「そうですか。
なんだか変な事を聞いちゃってすみません」
「気にしなくて、…いいわよ。
じゃ、あたしは部屋に戻るから。
頑張れ女の子!」
親指ぐっ!
――以上、その時の会話でした。
時間にして、今から丁度三十分程前の出来事だった。
ハンバーグをフライパンで焼く作業に取り掛かると、良い匂いが鼻を通ってお腹に溜まる。
(…そういえば、誘拐されてから、まだ何も食べてませんね)
―――と。
「…アンタ、そこで何してる訳?」
フェルマータがベットから起きてきたようだった。
「ハンバーグですよハンバーグ。
もうすぐ出来ますから」
「…いや、そうじゃないでしょ。
何で逃げなかったのさ?」
「え?
だって、協力するって言ったじゃないですか?」
「…まさかアレ、本気だったのかい?」
「ええ。
それに、もしわたしが逃げちゃったりでもしたら、あなたはミナのところに行くでしょう?
ミナを危険には出来ませんから」
とは言ってもミナの事だから、怪我して血だらけになってでもこの場所を突き止めて、無理矢理にでも乗り込んできそうですけどね、なんていかにもありそうな事をクゥは思った。
「…ふん、案外バカじゃないみたいだね」
「当たり前ですよ!
これでも頭は良いんですからね!」
「ところでそのハンバーグの材料。
買ってきたのかい?」
「いえ。
お隣りさんから譲っていただきました」
「…隣?」
「はい。
綺麗な方でしたよ。
あ、そうそう。
『彼氏によろしく』って言われてました」
「…………。
…アンタ、それ意味分かって言ってる?」
「“フェルマータさんによろしく”って事でしょう?」
「…間違ってはない。
けどやっぱり、訂正。
アンタバカだよ」
「失礼な!?
これでも成績はいいんですからね!」
「…天然とか、よく言われない?」
「…天然?
ああ、天然って美味しいですよね。
けど、わたしは養殖も割と好きですよ」
「…天然バカ」
「なんでですか!?」
話してみると、意外と。
異常だと思っていた少年は、普通の少女であるクゥとなんら変わりがない事が分かった。
どこにでもいるような少年だと。
ハンバーグを皿二つに盛り付けて、リビングのテーブルに置く。
二人はお互いに向かい合って座布団の上に座る。
「えへん!
割と自信作です」
「見た目は美味しそうだけどね見た目は」
「…むぅ」
フォークを器用に使って、ハンバーグを一口食べるフェルマータ。
…ドキドキドキドキ。
(…そういえば、ミナ以外の人に御飯作るの初めてです)
クゥはそわそわしながらフェルマータの感想を待つ。
「………、ふ、普通」
「そう言いながらフォーク全く止まってませんよっ!」
むしろがっついているようにしか見えない。
一瞬でハンバーグの半分が消えてしまった。
「お口に合ったのなら良かったです♪」
「………。
ねぇ、アンタさ」
「はい?」
「僕が、ミナト…って言ったっけ。
アイツにした事、怒ってない訳?」
ミナトにした事。
クゥの頭の中で傷付くミナトの姿が蘇った。
「…お、怒ってますよ。
そんなの当たり前じゃないですか!
あなたのした事は許される事なんかじゃありません!」
すると、フェルマータは小さく笑った。
まるで、向けられている憎しみという感情が、心地いいかのように。
それこそが、自分に向けられるべき感情だと言うように。
「じゃあさ、アンタ何でこんな事してんの?
許せない僕に対してさ」
「…それでも」
許せない。
許す事なんて出来ない。
それでもクゥは。
「あなたが助けを求めている事くらいは、あなたのその冷たい目を見れば分かります。
だから、わたしはあなたを助けます。
それがわたしにしか出来ない事だと言うなら、尚更です」
「…ッ!?」
ガタンと机がひっくり返る程勢いよくフェルマータは立ち上がった。
(……お、怒らせちゃいましたか…?
…えとえと、何か話題を転換出来る物は――)
ふと、アコースティックギターが目に入った。
「…フェルマータさん、ギター弾けるんですか?」
「………」
返事はない。
「…少し、触って見てもいいですか?」
言ってクゥは、ギターへと手を伸ばしてみる。
「……るな」
「え?」
「触るなッ!」
びくん! と反射的に手を引く。
怖かった。恐かった。
感じた事の無い恐怖がクゥの背中を駆け抜けて行った。
「……す、すみません」
「………」
フェルマータは何も言わず。
踵を返して、玄関から部屋を出て行ってしまった。
………。
「………、ハンバーグ、片付けよう」
机から落ちてしまった残り半分のハンバーグと皿を、クゥは片付け始める。
「…あれ?」
ふと、アコースティックギターの隣に紙が落ちている事に気付いた。
「…楽譜?」
なぜだかそれは、とても懐かしくて、とても暖かいようなモノだと、クゥは感じた。