MUSIC*NOVEL
□僕の知らない君
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あれから6年。
上條弘樹は、晴れてM大文学部の助教授となった。
声は、あの日から実家に帰って数週間で普通に話せるようになった。
その時の母の『ほら私の云った通りでしょう?』とでも云いたげな得意顔は、今でも鮮明に覚えている。
声が出なくなった理由は、もう考えたくもないけれど。
胸に空いた穴はいつしか弘樹の感情を蝕み、ほとんど笑うことがなくなった。
厳密に云うならば、笑えなくなったのだ。
それは何故か。
(・・・・もう、俺に笑顔は必要ないから)
研究者になるという夢は叶ったものの、まだまだ自分には知らないことがたくさんある。
他の事にうつつなど抜かしている場合ではない。
家も引越し、携帯も変えた。
完全に断ち切った繋がりに寂しさを覚えている余裕すらないほど、弘樹は仕事に忙殺されていた。
また、6年の月日は、あいつを記憶から少しずつ削除してくれた。
最初は名前を呼ぶことを止めた。
次は想うのを止めた。
長い長い時間をかけて、あいつの存在を記憶から消そうとした。
一生かかってもいいとすら思った。
それぐらい、あいつの存在は大きすぎた。
それだけなのだから。
「―――上條?次、講義じゃないのか〜?」
はっとして、ここは大学の研究室の自分の席だと気付く。どうやら物思いに耽りすぎていたらしい。
腕時計を確かめると、講義の時間が数十分前に迫ってきていた。
「あ、すみません。じゃあ失礼します」
「待て待て上條。お前、珍しく最近ぼーっとしてないか?体調でも悪いのか?」
「いえ、正常です。すみません。これから気をつけます。そんなことより、教授はデータが消えた文書をまた書かなきゃならないんでしょう?明日までなのに」
「そうだったな。しかし、それとお前の体調管理は別問題だ。」
「・・・・ガキじゃあるまいし、大丈夫ですよ。じゃ、失礼します」
また問いただされるのは御免だったので、教科書と必要な資料を持つと、そそくさと研究室を後にした。
上司の宮城教授は何かと弘樹の様子を気にかけている。
弘樹の過去を知るはずもないのだが、観察眼が鋭いため、見透かされたような事を云われた時は無意識にどきりとしてしまう。
(あれから6年も経ってるのに・・・なんでまた)
まだ、自分は思い切れないのだろうか。
もう、声すら思い出せない人間をまだ想っているのだろうか。