定色
□雲の上
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夏も終わりが近づいていた。
食べるものにはいつも困ってはいたが、季節柄飢えると言う事も無く、こうやって何とか奇妙な共同生活は続いていた。
二人の生活が長くなるにつれてギンの口数は少しづつ減って来てはいたが、もともと、乱菊もおしゃべりな方ではなかったから、穏やかと言えば穏やかな時を過ごしていた。
その日、ギンと乱菊は二人連れ立って、魚でも取ろうか少し遠出していた。
夢中で魚を追っていた彼の頬を涼しい風が掠った。体を起こして見ると遠くにあったはずの入道雲が思いもかけず大きくなっていた。
「あァ、雨が来る。夕立や。」
見る見る空中に広がって、こちらに向かってくる雨雲をみあげ、ギンはつぶやいた。
ゴロゴロ雷の音がする。
急激に辺りが薄暗くなり、稲光が強く光った。
「乱菊。平気か?」
彼女は大きく口を引き結んで、頷いた。
「急ぐで」
ギンは彼女の手を掴み、家路を急いだ。
ポツ
頬に大きな雨粒が当たった。
ポツポツ
いきなり前も見えないくらいの土砂降りになった。
何度も何度も稲妻が奔り、間を置かずすぐに大きく雷が鳴る。
その度に乱菊がぎゅうっと強くギンの手を握る。
柔らかな小さな手にこもる力に、なんだかギンは意味も無く切なくなって家路を急ぐ足を速めた。
小屋にたどり着いた頃にはもう二人はずぶ濡れで、あんなに暑かった辺りの空気も、冷え冷えとして凍えそうな位だった。
着替えもない。なけなしのもう一つの着物は洗濯して、外に干したままだった。
しばらくじっと考えていたが、意を決したようにギンが言った。
「このままじゃ風邪を引く。着物脱ぎ。」
外ではまだ激しく雨が降っていた。家の中の空気も湿った匂いがした。
乱菊は大きく目を見張って、固まっていたけれど、ギンはまったく意に介してないかのように急かして言う。
「着物脱いだらこの手ぬぐいで拭いて、さあ、はよ。」
自分もさっさと着物を脱いで体を拭いている。
「体拭いたら、はよ、布団に入って。雷さんにヘソ取られるで。」
「おへそ?」
「そや、雷さん来るで」
もうすでにギンは自分の布団にくるまって、顔だけ出している。
「あァ、見ィひんから。早ようしいや。」
そう言ってもぞもぞと後ろを向いた。
その時辺りが真っ白になるほど稲妻が光り、続けて小屋が震えるほど大きく雷がなった。
「!」
ヒヤリ
つめたくて滑らかな感触が背中に触れて、ギンは心底驚いて振り向こうとした。
冷たい手で止められる。
ガタガタと小刻みに震えながら乱菊が背中にしがみついていた。
何度も何度も小屋を振るわせる雷鳴。
その度に肩を掴む指に力が入る。
ギンは大きくため息をついたが、徐々に温かみの還ってきた乱菊の体を感じて少し安心したら眠くなってしまった。
ボクの布団に入れ、いうた訳じゃあらへんのやけど。まァええか。
快く暖かい布団の中で強く眠気に引き込まれた。
強い蝉時雨の音で目が覚めた。
後ろに居たはずの乱菊はもうすでに布団から出ていて、小屋の中はギン一人だった。
大きく欠伸をしてギンは起き上がった。
小屋の外に出ると、乱菊は雨に濡れた洗濯物を干し直しているところだった。
激しくヒグラシが啼いている。
空はあっけないほど晴れ上がっていて、雲はあちらこちらに千切れた様にかかっているだけだった。
その時、さっと風が吹いて、しずくが庭の柿の木の下にいたギンに降りかかった。
ハッとして避けたが少し濡れた。
「ちっ。」
思わず小さく悪態を吐いていた彼に、乱菊が声をたてて笑った。
眩しくて、ギンは思わず目を細めた。
..........
雷雲の中を勢い良く降りていく。
稲妻が体に纏わりつく。
なんや。痛うもかゆうもないし。
ギンは声をたてて嗤った。
神鎗が応える様に青白く光った。
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