定色
□未練
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「すみません。もう店を閉める時間でして。」
飲み屋の主人が申し訳なさそうに眠っていた乱菊を起こした。
気がつけば一緒に飲んでいた面子も、誰一人残っていない。
「冷たいわねぇ。」
言いながら体を起こした。途中で酔いつぶれた後輩を送って行けと急かし、自分は一人飲み足りず残ったのだったと思い至る。
ふと気がつけば、何故か大き目の肩掛けが掛けてあった。上質のもの。
誰だろう。
「ねぇ、親父さん。これ、誰が掛けてくれたんだろ」
主人に聞いてみたが、知らないとの返事だった。
まぁいいか。
夜更けの街に出る。
人通りも少なく、乱菊は身震いした。
「うぅ。寒いわね。」
体を包む織物。優しい匂いがした。
ギン。
そんな筈無いわよね。
乱菊は頭を横に振る。
もう、長い間、姿すら見ていなかった。彼が三番隊の隊長になってからろくろく話もしていない。
自分が副隊長になってから、少しずつ何故か距離ができ始めて。
いや、違う。何故かは判っている。彼が距離を置いたのだ。訳は知らない。
それを知りたくなくて、自分も何も言わなかったし、追う事はしなかった。
はっきりした拒絶をされたくなかった。
自分の心が持つ筈がないと知っていた。
懐かしいと言える位、彼の匂いなど遠くなっていたから、不思議に思いながらその布に頬をよせる。
間違いなく彼の物だと思って、掻き抱いた。
部屋に戻ってベッドに横たわり肩掛けを掲げながら物思いにふける。
はっきりさせないから、こんなにも自分が囚われてしまっているという事は解っていた。
彼の態度は何時だってどちらとも取れる微妙さで、自分の都合の良いように受け取っていれば良い、とは思っても、一度置いていかれた身にはそのように無邪気に思う事は出来なかった。
自分から彼の元に飛び込んで行くことも出来ず、知らぬ間にこんな状況だ。
「らしくないわね。」
一人ごちる。
たまに、見つめられているのかと錯覚する事もある。
しかし、実際には目が合うことも無く、自分の自惚れにため息が出る。
「なんて、未練がましい。」
いつも、そんな自分に嫌気がさしていた。さっさと振り切って前を見れば良いのにと、頭では解るのだ。
ただ、心がついていかない。
私がこんなに臆病者だなんて、他には誰も知らないわね、と笑った。
そう、ギンの他には。
卑怯な男。
そう思ったら不甲斐なくも涙が出た。
気がついたら、外は明るくなり、鳥の声が煩いほど響いていた。
近頃では、眠りも浅く、目覚ましなど必要なかったのに、今日はぐっすり眠っていたようだ。
ああ。
肩掛けをみて思う。
ギンの匂いか。
不思議なものだ。あんなに心を乱すだけの存在の筈なのに、ほんの少し包まれていると感じるだけで安心して、熟睡できるなどとは。
暫く眺めていた。
うわ。やっちゃった。
少し慌てた。
よだれだかなんだかわからない染みが着いている。
このままじゃ返せないわね。
ひとつため息をついて乱菊は起き上がった。
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