小説

無く泣く
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「足りない」

これほど何かが足りないと思ったのは初めてだ。日常の中にあった何かが、何かが無い。
少年は考える。しかしこれといって思い付くモノも無い。
無い、無い、無い。
それもそのはず。少年はそれが自分にとってかけがえのない存在だと言う事に気付かず、気付いたとしても認めようとしなかったから。
だから何かがわからない。
少年は何もわからないまま。胸が痛む理由も、この物足りなさの意味も、自分がそれを認めようとしないわけも、何も。
認めてしまえば楽だというのに、強情なのは昔からの事だ。

「イライラする」

目の前の机を力任せに蹴り上げると、部屋に入って来た人物にちょうどぶつかった。
だとしても謝る気は無い。それを狙っていたのだし、中の状況も考えず入って来た方が悪いんだ。

「お久しぶりですね…だというのにいきなり机にキスさせるなんて、つれない人だ」

机にキスという表現が彼の人物像を浮き彫りにする。なかなかの詩人というか…変人、今までのもろもろ合わせて変態だ。

「あなた生きてたの」

「勿論、今の私は幻影ですがね」

「ふぅん、そんな事どうだっていいよ」

あぁ、何て事だ、彼が入って来た瞬間物足りなさが吹き飛んだ。胸の痛みが和らいだ。少年は、認めざるをえなくなった。
あの"何か"が彼だという事を。

「私に会いたかったでしょう?」

「…噛み殺されたいの?」

「クフフ、わかっていますよ。君が私に会いたかった事」

「だから?」

「おやおや、嬉しいからって涙なんて流さないで下さい」

流してなんか…無いと言いかけた時、確かに自分の目から太股に、雫が落ちた。
何故、僕は泣いているんだろうか。

「泣かないで」

その言葉とともに、頬にキスの雨が降る。
涙を拭うような優しい口づけが、少年の硬く冷たい心を溶かしていくものだから、少年はいつしか子供の様に泣いていた。





あの時、桜の花が惑わせて、僕を君の前にひざまづかせた。
きっとその時から、君が欲しくて堪らなかった。
でも僕はそれを認めなかった。





目の前から無くなって、また現れて、泣いて。





無く、泣く。










2009.09.19 Airu


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