歌モチーフ

□深淵/小野大輔
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 ああ神様、どうか……どうか彼を連れていかないで……
 やめて……僕の傍で、いつものように憎まれ口を叩く彼を……
「──返して!」
 自分が放った寝言で起きた。
 時計を見るとまだ午前四時。
 今までのことは全部夢なのか、と疑って枕元のアルバムをめくる。
 無い、無い、無い。
 どこを探しても、彼がこの世界に存在したという記録が残っていない。
 彼と二人で写っているはずの一年前の海辺の写真にも、五人そろっているはずの写真にも彼だけがいない。
 神様……どうか、早くこの悪夢から醒めさせてください。
 彼のことが僕の記憶からも消えてしまう、その前に。


 特別な想いなんか要らなかった。
 俺はあいつと一緒にいられるなら他に何も望むべきではなかったのだ。
 静かに目を閉じ神経を集中させると自分の鼓動に共鳴する拍動が聞こえた。
 そこに手を当て、確かなその音を聴く。
 俺は、それを自分一人のものにしたかった。
 許されるはずがなかったのに……一緒にいるだけで、充分だったはずなのに。


 無機質な電子音が静かな部屋中に響いた。
 非通知用の、あまり嬉しくないコール音。
『仕事です』
 たった一言だけ伝え、その役割を終えた電話は一方的に切られた。
 仕方がない。
 彼のいない世界を守るために、僕はそこへ向かった。


 最近、大人になったとよく言われる。
 そうなのかもしれない。
 あいつの優しさを受け止められるくらいには、俺も成長したんだ……


 そこへ向かう途中、最も逢いたかった人に逢った。
 焦げ茶色の髪、面倒くさそうに歩く歩調。
 間違いない、彼だ……
 ありったけの大声で彼の名前を叫びながら必死で追いつこうと走った。
 追いついた僕に待っていたのは絶望だった。
 イヤホンを片方だけ外し、僕のほうを向いた男性は明らかに彼ではなかった。
 彼はこんなに人を見下すような話し方はしない。
 こんなに冷たい目をしていない。
 間違えてしまった詫びを言いながら、羞恥と後悔の念を感じて走る。
 もうこれで何度目だ。
 その度に勘違いで彼を侮辱してきた。
 彼と他人を見間違えるなんて失礼にもほどがある。
『俺の記憶では《神人》なんてもう死んだから……今は俺の傍にいて』
 あの夜あなたが言っていたわがまま、今僕が言うことは許されないのですか……?
 あいつがいなくなって……俺だけが残されて、もう一年経つ。
 時々、どうして痛かったのか解らなくなる。
 逢えないことが辛いんじゃなくて……忘れることが何より辛くて、怖い。
 忘れる、と考えただけで胸の奥がえぐられるような思いがする。
 でも結局何も出来ず、何も出来ないのは周囲のせいだと逃げていた。
 気が付いたら願っているだけで適えようとしない自分がいて、俺はまた恐怖でいっぱいになった。


 この想いは誰にも知られてはならない。
 知られてもいい唯一の人は、ここにはいないから。
 誰かに相談したいとも思う。
 そうすれば自分の負担が軽くなるのだとも。
 でも、言えない。
 この気持ちを共有するのはひとりだけで充分だから。
 同じ空の下にいるのなら、と願って紙飛行機にした手紙も届くことはないだろう。
 ふたりは同じ空の下にはいないから。
 このまま悪戯に月日を重ね、おそらく前の幸せな生活は夢で見るだけしか出来ない。
 あのときは一生戻らない。
 あれ以上の幸せを望んでしまった自分が悪かったことくらい解ってる。
 人生で初めて愛を捧いだ人に向かって語りかける言葉はいつも同じだ。
 流した涙の意味を……愛が消えてく意味をずっと忘れないから……だから、せめてそっちの世界で、

「幸せになって」




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