塵よ積もって山となれ

□巣【いばしょ】
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「さあ、今日も我が輩は脳髄の空腹に悩んでいる。“謎”を探しに出かけるぞ!」
「もー、ネウロ! いい加減にしてよ!」

 元気いっぱいな脳噛ネウロに対して、桂木弥子はご機嫌斜めなようだ。

「こんなあちこちで待ち伏せされてたら、落ち着いてうどんも食べられないよ!」
「うどん?」
「そうなの、聞いてよ、椎名さん! ネウロったら、私がうどんを堪能していたら店の天井に張り付いてこっちを見てるの! 思わずうどんを吐き出しちゃったよ!」
「そっか。それは可哀相だな」
「でしょ!」

 いや、俺が可哀相だと思ったのは、吐き出されたうどんとそれを食事中に見てしまった人間と、後片付けをしなければならないおばちゃんであって、あんたじゃないんだけど。

「ふむ」

 脳噛ネウロが顎に手を当てる。

「確かに我が輩も、いちいち貴様らを探しに行くのは面倒くさい。どこか決まった場所に呼び出せれば都合がいいな」
「いや、そういうことじゃなくてね」
「安住の地か……名探偵役である桂木弥子とその助手が常にいるべき場所……」

 しばらく考え込み、やがてぱぁっと表情を輝かせる。ただの人間がやれば何かいいことを思いついたんだろうと推測できるが、悪魔がやればおまえ一体どんなエグいことを考えているんだ、と聞きたくなる。

「決めたぞ、ヤコ、椎名! 我々は探偵事務所を開くのだ!」
「なんかひどい想像してない?」

 いや、やはり聞かないほうが身の為なんだろう。俺はそっと口を閉じた。

「ていうか、事務所なんてそう簡単には開けないって! 魔界とはルールが違うんだから!」
「そうなのか?」
「第一場所は? それにお金! 手続き! こっちではそういうのを持つには信用がないといけないの!」

 桂木弥子が次々に言葉を畳み掛ける。さすが人間、下界のプロだ。え? 馬鹿になんかしてないって、全然。

「化け物のあんたにあるの? いくら見た目はごまかせてても」

 口元にドリンクのストローを近づけながら振り返り、悪魔が本来の姿をしているところを目撃する。桂木弥子の目が見開かれ、それから思い切り口に含んだジュースを噴き出した。うわきたねえ。俺は泣きそうになる。

「ちょ、何正体出してんの! 見た目も誤魔化せてないじゃん!」

 慌てて辺りの人間がこちらを見ていないか確認してから小声で言う。「おっと、」と悪魔が顔に手をやり、顔を元に戻す。

「椎名さんも何とか言ってやってよ!」
「ええっと、はい、ティッシュ」
「あ、ありがとう……ってそうじゃなくて!」
「ダメだよ、人間の口内には雑菌がたくさんあるんだから、口に含んだものを吐き出したら辺りが人間の雑菌で更に汚れちゃうでしょ」
「あ、すいません……」
「まったくもう」

 顔を赤らめいそいそと汚れた顔や服を拭き始める桂木弥子に、肩をすくめてみせる。それから、俺はもしかしたら人間に対して酷いことを言ってしまったかもしれないと不安が頭をもたげた。

「その、女の子なんだから、あんまり恥ずかしいことはしちゃダメだよ」

 適当にフォローを入れれば、桂木弥子はぽかんとした表情でこちらを見、それからバっと顔を背けた。え、俺何かしたっけ?

「話は後だ、ヤコ、椎名」

 声をかけようとしたところを脳噛ネウロに邪魔される。

「この建物から“謎”の気配がしたのでな。うれしくてついつい戻ってしまった」
「え……ここで事件が?」
「そうだ。鮮度が落ちているので、なかなか気配を感じなかった」

 悪魔の言葉を受けて、すん、と空気を吸い込むが、悪意の臭いは感じなかった。だが悪意への執念は俺よりもこいつの方が強い。それに人間でないから、嘘をつくこともない。おそらく本当に、この寂れたビルの中で殺人事件のようなものが起こったのだろう。

「鮮度って?」
「事件発生から時間が経ったということだ」

 脳噛ネウロは説明しながらエレベーターに乗り込む。迷うことなく「4」と書かれたボタンを押せば、機械は動き始める。

「迷宮入りのような事件か、あるいは発覚すらしてないのか」
「どちらにせよ、面倒じゃない?」
「人間ならばな」

 悪魔が不敵に笑ったとき、チンという軽い電子音が鳴り、扉が開いた。途端にカビと煙草とすえた悪意の臭いが鼻につく。うう、気分が悪い。それに「早乙女金融」と書かれたプレート。非合法のヤミ金を絵にしたような状況だ。この中にいる人間は、どうせロクな人間じゃない。

「ネ、ネウロ」

 桂木弥子もそう思ったらしい。引きつった顔で「このドア、開けるのやめない?」と提案した。

「やばげな方向、の……会社では……?」
「開けなくてもいいが」

 悪魔ががしりと人間の頭を掴みドアに押し付ける。

「開けないと顔がつぶれるぞ」

 悪魔はそれ以上に野蛮だった。

「……うん。開ける」

 人間は大変非力だった。

「……ま、まあ、仕方ないよね。開けないと、事件は解決しないし、うん」

 俺はこれから更にきつくなるであろう人間界の臭いと悪意の存在に身構えながら、桂木弥子と自分を励ます言葉を呟いた。

「私は事件なんか解決しなくていいんだけどね」

 彼女はブツクサ文句を言うと、深く呼吸をし、ドアを軋ませながらゆっくり開けた。
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