塵よ積もって山となれ

□食【忌まわしい】
1ページ/9ページ


 駅にたまっている人間共を見て「気持ち悪い」。ただ一言そう言っただけで、俺は親父である神様に、背中から生えていた白くて立派(らしい)翼をむしりとられた。
 超痛かった。こんなのってない、理不尽だ。だってそうだろう。犬や猫があんなにいっぱい、百匹も二百匹も密集してたら気持ち悪いだろう。虫だったら分かるが、人間は哺乳類だぜ。どう見ても繁殖しすぎだっつーの。

「だから、さっさと人間の数減らせばいいって言ったのに」

 そしたら地球温暖化やら何やらで悩む人間たちの苦しみも解決できるし、食料だって充分みんなに行き届くようになるんじゃね。
 そう言ったら、地上に堕とされた。
 別に俺は天使でいることに誇りを持っていたわけじゃない。白い翼は、ファッションセンスがバリバリ輝く俺には随分時代遅れだと思えたし、親父ともしょっちゅう意見が対立していた。
 でも、地上は最悪だ。空気は汚いし、食事もまずい。暑いし人は多いし、こんなところで俺はこれから暮らしていくのかと思うと、絶望しかない。地獄を慰問したときでさえ、こんなにやばくはなかったぞ。

「こりゃ、さっさと心を入れ替えたフリをして、天国に返してもらうしかないな」

 にこにこ笑って性格よさそうなことを言って、そんでもって週に二、三回の割合でじーさんばーさんに親切にすれば、きっと親父も許してくれる。でも、たとえば殺人事件の現場に一回居合わせてそこで犯人捕まえるほうが、コツコツ善行を重ねていくよりも絶対ポイント高い気がするんだ。
 それにこの方法なら、俺自身が犯人を見つけだし捕まえる必要はない。俺以外の誰かが推理し犯人を確保するだけでいい。それだけで、自然に俺の株は上がる。何て楽な帰還プランなんだ。俺天才。

「で、私を呼びつけたってことは」
「そういうことだ。“謎”が生まれる気配がする。行くぞ」

 そういうわけで今日も俺は、この二人の傍で何か殺人事件が起きるのを待っている。

「ね、じゃあせめてさ、先にこのたこ焼きを食べさせてよ」

 食べ物の入った袋を持ち上げ懇願するのは、人間の雌の子ども・桂木弥子。ネウロに手をつけられたばっかりに探偵役に奔走する羽目になった不幸な少女だ。いたって普通の良心的な女の子(親父はこういう少女に弱い)だが、たくさん食べるという恐ろしい性質も伏せ持っている。しかも今持っているものはタコだ。俺に言わせれば、タコなんて悪魔的な生き物を自分の体内に入れるなんてとんでもない。

「あつあつが一番おいしいんだから」
「ほう、そんなにうまいのか」

 そう言って彼女の手から袋を取り上げるのは脳噛ネウロ。主食を謎とする魔人で、わざわざ餌探しに地上までやってきた。……なんてのたまってはいるが、俺に言わせれば、悪意を喰い散らかすため地獄からやってきたただの悪魔である。

「そりゃもう! 究極レベルのたこ焼きよ?! 化け物のあんたには分からないだろうけど!」
「ふむ、究極か。我が輩も究極を求めている。最も複雑で、最も深遠で、すなわち最も美味な“謎”だ」

 二人の言葉を受け、少し考える。食べ物に究極という感覚は分からない。俺と地上の食べ物は絶望的に相性が悪いので、食べ物を賛美する気持ちも、そこに頂点を求める欲も理解できないのだ。
 まあ、理解する必要なんてない。俺としては、二人が上手く立ち回り、俺の周囲で殺人事件をバンバン解決してくれさえすれば、そして俺を天国に帰してくれさえすれば、どうでもいい。

「我が輩が喰いつくした魔界の“謎”にはなかったが、理論上は必ずあるはずなのだ。それさえ喰えば我が輩の腹を永遠に満たせる、究極の“謎”が」

 “理論上は必ずある”。“腹を永遠に満たせる”。ふと俺は考える。それ、死ねば手に入るんじゃね?

「きっとその究極の“謎”っていうのは、天国と同じくらい素晴らしいんだろうね」

 なんて内心の感想をオブラートに包み、純真を絵に描いたような表情で言う。ちなみに地上での俺のコンセプトは「純真で素朴で少し天然な好青年」だ。最初のちょっとした始動期間を除けば、ほとんど完璧に演じきれている。さすが俺。

「ほう、さすがは椎名だ。天国について随分詳しいらしい」

 脳噛ネウロがじろりとこちらを見る。しまった、天国という言葉は直接的すぎたか。反省するが、もう遅い。桂木弥子が不思議そうに首をかしげた。
 彼はどうやら俺が天使であることに気付いているらしく、ちょいちょい他の人間に俺の正体をバラそうと意味深な言葉を呟いてはこちらの反応を見て楽しんでいるのだ。せっかく人が無難に慎ましく生きていこうとしているというのに、その努力を無にするなんて、全く、なんてはた迷惑で最低な人格なんだ。地獄へ堕ちろ。いや、帰れ。

「ネウロ、言ってる意味が分かんないんだけど。何がさすがなわけ?」
「ね、意味分かんないよね、桂木ちゃん」

 肩をすくめ、顔を見合わせることで仲間意識を感じさせる。名前の最後にちゃんをつけ、親しみを作り出す。こうすることで、俺は知り合って日が浅いにも関わらず彼女の心をある程度懐柔することができている。それもこれも全て、俺の正体について妙な勘繰りをさせないためだ。

「まあ、彼はまだ地上に来て間もないから、会話の中にある比喩を見分けるのに慣れてないのかな?」
「そうだ、貴様と同じでまだ地上には慣れていないのだ……ということにしておいてやろう」
「ネウロったら、本当に意味分かんない」
「ならそのままいろ、ゾウリムシ」

 その言葉にむっとし、桂木弥子は頬を膨らませる。「大変だね、桂木ちゃんも」と労うように肩をぽんと叩けば、彼女は分かってくれる人がいて嬉しいと渇いた笑みを浮かべた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ