love me.

□高く宣言して、
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 体が重い。喉もからからだ。それに何だか息苦しい。俺の体はどうしてこんな状態なんだ。怪訝に思い、直前の記憶を順番に辿っていく。様子のおかしかった如月、背後で閉じられたコンビニの自動ドア、突っ込まれた自動販売機、顔中に怪我を負い気絶した女、煙草の先を血で濡らす男。投げつけた挑発、男の呟き。


 ――「裏の人間のくせに、警察なんかに肩入れしやがって」


 記憶が一気に流れ込む。そうだ、俺は葛西と対峙して、でも暗器のトリックを一発で見破られて、代わりに熱い炎を体にぶち込まれたんだ。
 思い出した途端、悔しさと情けなさが湧き上がり、俺はいてもたってもいられなくなる。無理矢理目を開ければ、俺にとっては眩しい世界が視界に飛び込んできた。思わず呻き声を漏らす。


「目が覚めたか」


 聞き慣れた声が鼓膜を揺さぶり、俺ははっとする。視線をずらせば、ベッドの脇の椅子に座りノートパソコンを膝の上に乗せているアニキがいた。アニキは安堵したように顔の筋肉を緩めると、パソコンを閉じた。


「……アニキ? どうして俺……あ!」
「まだ動くな」


 背中に走る痛みに顔を歪めれば、そんなアニキの声が振ってくる。


「大火傷を負っているんだ。大人しくしていろ」


 自分の体に視線を落とせば、見覚えのない病人服を纏っており、目に見える部分には白い包帯が大袈裟に巻かれていた。俺はそろそろと体を動かす。急に動かない限り、痛みは走らない。その代わり、今までが嘘のように体が重い。肺の中にある空気を吐き出しベッドに寄りかかった。それから、ふと如月の姿がないことに気付く。


「如月……如月は?」


 あいつのことだ、泣きそうな顔でベッドに寄り添っていてもおかしくない。なのに、ここに如月の姿はない。トイレなどでたまたま席を外しているのだろうか。それとも、学校だったり昼寝だったりしていないのか。窓から差し込む明るい光に目を細めれば、アニキが困ったように肩をすくめる。なかなか口を開こうとしないアニキに、鼓動が段々速くなっていく。


「あいつに何か……あったのか?」
「落ち着け、ユキ」


 アニキが強く制し、俺は自分の気持ちを落ち着けようと深呼吸をした。が、速まる鼓動は一向に落ち着く気配を見せない。焦れた俺は再びアニキに「如月は?」と聞いた。アニキは重い口を開く。


「分からない」
「分からない、だって?」
「こっちが聞きたいくらいだ」
「どういう意味だよ! 如月は無事なのか?!」
「無事なのは確かだ。彼女自身から連絡があったからな。おまえが火傷を負ったということと、警察に事情聴取を受けていることを訊いた。だが、私が病院についた時にはもう既にここにはいなかった」


 事情聴取も放り出して、どこかへ行ってしまったらしい。そう言うと、アニキも途方に暮れたように溜め息をついた。その顔色はいつもに比べて悪いように見える。俺は心配になり「アニキ、」と声をかけた。


「俺はどれくらい寝てた?」
「四日だ」
「四日……」


 道理で体のあちこちが重いわけだ。眉根を寄せる。


「その間、アニキは、その……犯人探しとか、してたわけ?」
「やられっぱなしは性に合わないからな」


 俺が勝手に首を突っ込んだせいで、アニキを疲れさせている。嬉しい反面、胸がちくりと痛んだ。


「その……悪い」
「悪い? なぜおまえが謝る。悪いのは葛西善二郎だ」
「もうそこまで調べたのかよ」


 俺は葛西と対峙したときのことを思い出す。あいつは俺に警察の肩入れをしているとなじったが、それは違う。俺は別に、葛西を血眼になって探している警察の手助けをしてやろうと思っていたわけではなかった。ただ、煙草の自動販売機のところで普通の女に暴力を振るう姿が目に余ったし、それに“お母さん”を心配する如月の姿も頭の片隅にあった。それだけだった。


「確か電話越しでお嬢さんは無事だと言っていたが、おまえが守ってあげたんだろう?」
「いや」


 そういえば、どうして俺とコンビニで別れたはずの如月が、俺の負傷を知っていたのだろう。


「俺は一旦如月とコンビニのところで別れたんだ。だから、如月と葛西が接触するわけねーんだけど」
「だったら、なぜお嬢さんはおまえが病院に行ったことを知っていたんだ」
「……やっぱ、俺の後を追ってたのかな」
「現実的に考えればそういうことになるな」
「それで葛西にやられてる俺を見て、びびったとか」


 デートの最中にチンピラ共を叩きのめしたあの時のことを思い出す。呆然と俺を見つめていた如月の姿が脳裏に浮かんだ。


「まあ、暴力の嫌いなお嬢さんのことだ。ショックを受けたと考えるのが妥当だろうな」
「やっぱ、仲の良かった奴が死んだ同然にやられてたら、ショック、受けるよな」
「相当酷いショックをな」


 アニキの淡々とした言葉に俺は顔を落とす。あのまま、葛西を放っておけばよかった。変なポリシーに拘らず、如月にいいところを見せようともせず。
 嫌われてしまった。とうとう俺の恐れていたことが起きてしまった。すう、と体の芯が冷えていく。


「なあ、アニキ」


 怖々と、だが縋りつくようにアニキに問いかける。


「如月は仕事場には一切来てねえの?」
「ああ。連絡すらない。家に連絡しても留守だ」
「……やっぱ嫌われちまった、のかな」
「それはないだろう」


 アニキは否定したが、その後「だが」という言葉を持ってくる。どきりとし、話の先を知りたい気持ちと知りたくない気持ちの狭間で心が揺れる。


「だが?」


 アニキは言葉を選びながらゆっくり話す。


「おまえのことを、避けてはいるかもしれないな」


 何だよ、それじゃ嫌われちまったのと同じことじゃんか。俺は心の中でそう呟くと、自嘲するように笑った。


「そりゃ、そうだよな。あんなグロっちいもん見せちまったもんな。普通、びびって何も出来なく、なるもんな」


 今まであいつが見せてきてくれた笑顔や悲しげな表情、拗ねたような横顔が次々に過ぎる。そして、怯えたように俺を見つめる視線が脳裏に蘇る。ずしりとした重い痛みが胸を襲った。


「もう、あいつに会えなくなるのかな」


 アニキは何も答えない。俺はふっと笑った。


「それは……、嫌だな」


 別れる直前の喧嘩を思い出す。あの時、何だか如月が遠くに行ってしまうような、そんな不安を抱いていた。大丈夫だ、と自分に言い聞かせて寂しい気持ちを堪えていた。まさか、こんなに唐突に別れが訪れるなんて。


「なぁアニキ、どうすればいい?」


 答えは期待していなかった。ただ、俺より賢いアニキに訊く以外に、俺は何をすればいいのか分からなかった。


「……やれやれ」


 アニキが大袈裟に嘆息してみせる。


「おまえもお嬢さんも、本当に手を焼かせる」


 そんなこと私に訊くな、と返ってくると思っていた俺は、予想外の言葉に驚く。


「どういう意味だよ」
「お互いがお互いを好きと思っているなら、互いにそれを伝えて晴れて恋人同士、二人は結ばれてめでたしめでたし、それでいいじゃないか」
「お互いを好き……?」


 まるで、如月が俺に好意を寄せていると言いたげな口ぶりに混乱する。


「気付かないのも無理はないな。おまえは最近、自分のことでいっぱいいっぱいになっていたから」
「ちょっと待てよ、それってどういう」
「そのままの意味だよ」


 意味が理解できず、さらに食い下がろうとした途端、控えめなノックの音が聞こえる。俺達はぴたりと会話を止め、ドアの方へ注目した。しばらく何の音沙汰もなかったが、やがてゆっくりと開かれる。遠慮がちに足を踏み出し、扉を閉めた人物の顔を見て俺は息を呑む。


「如月……」


 彼女はそんな俺をちらりと見て、それから目を逸らすようにアニキにじっと視線を送った。呼吸が苦しくなる。


「やあ、お嬢さん」


 アニキは何事もなかったかのように自然に挨拶する。


「ご無沙汰していたね。何か我々に用かな」


 椅子を勧めるが、如月はそれに応えず真っ直ぐアニキの方へ歩いていく。それから鞄からファイルを取り出すと、ずいっと手渡した。アニキはファイルをぺらぺらと捲る。中身が気になり、何とか見ようと身をよじったがうまくいかない。そんな俺に気付いてか、アニキが流し読み終わった後のファイルを俺に渡す。
 腕を動かすたび背中に走る引きつるような痛みを無視して俺はページを捲る。それは、最近葛西が起こしている火災テロのまとめ資料だった。何がどこでどのような手口で行われたかが分かりやすく書かれており、その対策法とこれからテロに遭う可能性の高い現場のまとめ、それぞれの対応などが事細かに記されていた。桜の紋章を見て、警察の、それも極秘資料だということが分かる。
 なぜ、これを如月が持っているんだ? 俺は眉根を寄せ視線を送る。


「これは、どうやって手に入れたんだね?」


 アニキが俺と同じことを訊ねる。如月は真面目な顔をしたままどこか挑むように「お母さんから」と答えた。


「まさか、譲ってもらったわけではないだろう?」
「コピーの手伝いを申し出て、その時少し余分に刷ったんです」
「コピーの手伝い?」


 話の掴めない俺に、アニキが質問を重ねる。


「君はこの四日間、一体どこにいたんだ?」


 一呼吸置いた後、如月は口を開いた。


「警察署です」


 何でそんなところにと言いかけ、ファイルが目に入る。まさか、如月は、このファイルを手に入れるために。


「……ほう」
「お母さんに入れてもらいました」
「笛吹がか?」


 俺は信じられず、つい大声を出してしまう。いくら娘を溺愛していたとしても、笛吹が公私混同するとは思えない。一般人を捜査に入れるなんて足手まとい以外の何物でもないし、捜査に首を突っ込ませれば危ない目に遭うことくらい目に見えている。


「あの笛吹がか?」
「お嬢さん」


 アニキの表情からは笑みが消えていた。


「一体どうやって笛吹に入れてもらった?」
「ただちょっと……」


 この時、如月は俺をちらりと見た。一瞬、顔が歪められた気もした。だが、次の瞬間には顔のこわばりは取れていた。彼女は微笑んでみせる。


「ただちょっと、一人でいるのは怖いから、一緒にいさせてとわがままを言っただけですよ」


 その表情や口調、言葉に俺は何とも言えない妙な違和感を感じる。穏やかに見つめる双眸、緩やかにあげられた口端、ちょこんと傾げられた頭。どこも不自然ではないのに、如月がその表情を見せることに引っかかりを覚えて仕方なかった。
 アニキは俺と同じことを考えているのかいないのか、じっと如月に視線を注いでいる。やがて、にやりと意地悪そうに口の端を吊り上げた。


「つまり君は、笛吹を利用したわけだな」
「悪いですか? 利用することのなにが悪いんですか? 役に立てるなら、そんな素敵なことはないでしょう? 少なくともわたしはそう思っています」


 如月は半ば自分に言い聞かせるように呟くと、「それに」と付け足した。


「わたしだって、葛西善二郎に復讐してやりたいんです」
「ふく……っ」


 今までの如月からは全然考えられなかったような言葉が飛び出し、思わず言葉が詰まる。隣を見れば、アニキもサングラス越しでよく分からなかったものの、驚く色を隠しきれていなかった。


「でも、わたしじゃ絶対無理なんです。全然力不足なんです」


 如月が毅然とアニキを見つめ返す。それは笑っているようにも泣いているようにも怒っているようにも疲れているようにも見えた。


「だからね、早坂さん。わたしの代わりに」


 アニキの大きな手が、如月の頭の上にぽん、と置かれた。


「いいや」


 ゆっくり首を振る。如月が目を見開いた後、食い込むようにアニキを見つめた。しょんぼりしたように肩を落とすと思っていた俺は、その様子を見て思わず肩を強張らせてしまう。


「皆で、だ」


 ふと、声が降ってきた。え、と如月が戸惑うように目を細める。俺もアニキの顔を伺うように顔を上げた。アニキは、威厳に満ちた声で再び宣言する。


「仕返しは皆で行くぞ、如月」


 その言葉に、俺はあっと声を上げかける。今、アニキ、如月を名前で呼んだ。いつものように気取ったお嬢さん呼びではなく。彼女の方を見れば、やはり俺を同じように驚き目を見開いていたものの、次第にアニキの真意が分かってきたのか、表情が柔和なものへと変化していく。口を開きかけたが、すぐに閉じ、代わりに大きくうなづいた。俺はその光景を見ていて、心に温かいものがなだれ込むのを感じた。もう何があっても大丈夫なような、葛西が相手でも勝てるような、そんな根拠のない自信が湧き上がってきていた。
 だから、忘れてしまっていた。如月に感じた違和感を。いや、と言われて一瞬如月の瞳に過ぎった仄暗い怒りの色を。

 to be continued.


(20110410)
 

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