love me.

□覚悟を決めて、
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 やってきた救急車に乗せられ、病院に連れて行かれた後、わたしはユキとは違う部屋でやけどの手当てをしてもらった。おなかに感じるひりひりした痛みが、どこか別の人の体のもののように感じられる。


「よっぽど恋人を助けたかったのねえ」


 看護婦のお姉さんはそう言って、わたしの頭を偉い偉いと撫でてくれた。お医者さんは、もうこんな危ないことはしてはいけないとわたしを優しく叱った。わたしは半分聞き流していた。心は、治療中のユキの体に持っていかれっぱなしだった。ユキは救急車で運ばれている時もぐったりしていた。あのまま、もしユキが目を覚まさなかったら。考えるだけで吐きそうになった。


「失礼します」


 ノックの音が響く。お医者さんがどうぞとうながした。わたしは振り返り食い入るようにドアを見つめた。ユキの治療をしていた先生が手術結果を伝えに来たのかもしれない。けど、部屋に入ってきたのは、お医者さんとは明らかに違う、スーツ姿の男の人と女の人だった。男の人は、前髪を真ん中で分けていて、なんとなく元気そうな印象がある。女の人は、短い髪の毛が似合っていてかっこいい感じがあった。


「私達は、こういう者ですが」


 女の人が颯爽とこちら側へやってきて、ポケットから物を取り出す。それは、昔お母さんに見せてもらった警察手帳とそっくりのものだった。悪いことはなにもしていないはずなのに、胸のざわめきが止まらない。


「警察の方ですか」


 お医者さんは慣れたようにうなづく。女の人がわたしに目を留めた。


「今回は随分動かれるのが早かったですね」
「連絡をいただいたので」
「連絡?」


 お医者さんが、看護婦さんになんのことだと目で訴える。看護婦さんは「以前、大火傷を負った患者が現れたら連絡がほしいとのお願いがありましたので」と伝える。


「今警察では、とある犯人を追っていまして、火傷を負った患者さんから、その手がかりが得られればと思ったんですよ」
「そういうことなら」


 お医者さんがわたしに目を移した。


「今こちらの患者さんが現場にいたので、この子さえ良ければ。ただ、精神的に疲れているかもしれないので」
「もちろん配慮します」


 女の人がわたしの顔を覗き込んだ。


「ごめんなさいね。ただ、犯人の情報はできるだけ早く集めたいので。協力してくれませんか?」


 わたしはからからに渇いた口を開けた。


「……犯人を、捕まえるために?」
「犯人を、捕まえるために」


 女の人がしっかりうなづく。葛西善二郎の、ばかにするような笑い声が聞こえた気がした。ぐらりと、体の中で熱が揺れる。ユキの、ボロボロな体が目の前に浮かぶ。すうっと熱が消えていく。体が空っぽになる。


 ――「わたしに、なにができる?」


 頭の中で、そんな声がした。わたしはふらりと立ち上がった。


「あ、あの。協力、させてほしいです」


 女の人がにっこり笑った。


「あの、でも、ちょっと電話したいところがあるんです」
「いいですよ、電話してからでも」


 お姉さんがポケットから携帯電話を取り出し、はいと差し出す。わたしは少しうろたえた。


「え、あ、」


 ここで、早坂さんに電話しなくちゃいけないのかな。警察の人がいるところで、裏稼業をしている早坂さんに。迷うわたしに、「どうかしました?」と女の人が尋ねる。


「あ、の……」


 外で、電話してきてもいいですか。そう言いかけて、わたしは口を閉ざす。首をふって、「なんでもないです」と答えた。ここで外で電話したいと言って、怪しまれるのが怖かった。疑うような視線で問い詰められたら、わたしはどんなヘマをするか分からない。女の人は、そうですか、と言っただけだった。わたしはううーっと考えると、以前がんばって覚えた電話番号を一生懸命思い出しながら、ボタンを押した。頭の中でどうしようどうしよう、と焦る声がぐるぐる回る。電話が通じた。


「もしもし」


 いつもより少し早口な早坂さんの声に、わたしはますます緊張する。


「あ、あの。如月、です」
「ああ、お嬢さんか」


 早坂さんがどこか安心したように電話越しで笑った。わたしはちらりと女の人を見た。女の人は、男の人と口げんかをしていた。


「石垣さん、看護婦さんの足をじろじろ見るの、やめてください! 失礼ですよ!」
「おまえには分からないのかよ! ナースに生足だぜ? もちろん俺的にはメイドとか学生服の方が好きだけど、たまに見ると、やっぱり興奮するんだよな!」
「この変態!」
「いってえ! 先輩に向かって何するんだよ!」


 多分、こっちの会話は聞こえていない。わたしはそれを確認すると、「あの、」と切り出した。


「ユキが、火傷を負わされて、今、病院にいるんです」


 返事はない。怒っているのかな。わたしは怖くなったけど、話を続ける。


「それで、これから警察の人とお話をしなくちゃいけないんですけど……」


 なにを話せばいいですか? どこまで話していいですか? わたしは言葉をにごして、早坂さんの答えを待つ。早坂さんはしばらく黙った後で、「ああ、」と答えた。意外と、普段どおりの声だった。


「君は大丈夫なのか? 怪我はしていないのかね」
「わたし、ですか?」


 そっとうつむく。こんなの、ユキの怪我に比べれば。


「大丈夫です」
「そうか。それはよかった」


 早坂さんはおだやかに言うと、「その件だがね、」と話を元に戻した。


「君が体験したとおりのことを、そのまま話せばいい。で、ユキの身元に関して聞かれたら、小学校の時よく遊んでもらった人で、たまたま会っただけだと答えなさい。詳しいことは知らない、と言い張って粘れば、後は私が引き継ぐから」
「引き継ぐ?」
「弟の状態が心配だからね。私も病院に行くよ。どこの病院だ?」


 わたしは病院の名前を口にすると、早坂さんはくり返して確認した。それから「すぐ行く」と伝えると電話は静かに切れた。わたしはぼーっと携帯電話を見つめる。早坂さんは、わりと普通の口調だった。だけど、本当はものすごく怒っているんじゃないかな。なんとなく、そう感じた。


「電話は終わりました?」


 女の人がわたしの顔をのぞき込んでくる。わたしははい、とうなづいて女の人を見上げた。さっきまで看護婦さんの足をにやにや見ていた男の人も、今度はまじめな顔をしてわたしの方を見てくる。


「それじゃあ、場所を変えましょうか」


 お姉さんがわたしの肩を抱く。二対一だからか、なんとなく心細くなってきた。





「ええと、彼とはどんな関係で?」


 用意されたのは、学校の応接室のような、立派な部屋だった。そこで二人と向かい合って、わたしは喋っていた。


「えっと、小学校の時、よく遊んでもらった人で。たまたま会ったんです」


 何度も頭の中で練習したせりふを、ゆっくり言う。間違えずに言えて、ほっとする。


「本当にそれだけですか?」


 女の人が首を傾げる。わたしはどきっとした。


「え、な、なんで?」
「いえ、ただとてもショックを受けているから、もっと親しかったのかと思って」


 女の人が言っていることは正しくて、わたしの顔は赤くなる。つい、強い口調で言ってしまった。


「ひ、人が燃えているところを見たら、誰だってああなりますよ!」
「そうだぞ新入り」


 男の人が、かばうように言ってくれる。


「まったくおまえは鈍感なんだから」
「先輩は黙っててください」
「何だと!?」
「嫌な気持ちにしてしまったならごめんなさい」


 女の人は、本当に申し訳なさそうに謝った。わたしは慌てて首をぶんぶん振り、「わ、わたしもごめんなさい」と頭を下げた。


「それで、今更で申し訳ないんですが」


 女の人が話を戻す。


「ええと、あなたの名前は……?」
「如月です」
「苗字は?」
「笛吹、です」
「うすい……?」


 二人が顔を見合わせる。少し不安になった。


「あの人と名前似てるな」
「ええ、そうですね。でも、今はそれどころじゃありません。とりあえず話を聞かないと」


 女の人が言い聞かせるように呟くと、「如月ちゃん」とわたしを呼んだ。「は、はい」と慌てて姿勢を正す。


「被害者の名前は?」
「早坂幸宣、二十二歳です」


 彼とお酒を飲んだ時、ふざけて犯罪者呼ばわりをしたことを思い出す。胸がきゅっと痛くなった。


「彼とはどこで、何時頃再会したんですか?」
「え、と……」


 家からずっと一緒だったけど、そういうわけにはいかない。別のことを言わなくちゃ。けれど、頭が働かない。


「と、時計は見てませんでした……場所も、よく、分かりません」
「分からない?」
「あまり、この辺に詳しくないんです」


 本当と嘘が混ざる。女の人が少し怪しむようにわたしを見た。


「じゃあ、何であなたはそこにいたんです?」
「う……」


わたしは首を縮みこませた。


「ま、迷子に、なってて」
「迷子……」


 女の人は口の中で繰り返すと、「まあいいです」と首を振った。


「それで、彼と会ってどうしたの?」
「アイスを食べに行こうって話になりました」
「何で?」


 男の人が口を挟み、女の人が「黙っていてください、石垣さん」と睨みつけた。


「そんなことは重要じゃないんですから」
「むっ」


 男の人が口をとがらせる。わたしは少しほっとした。ここからは本当にあったことを言って大丈夫だろうと思い、わたしは一生懸命話し始める。


「それで、コンビニに入ろうとしたとき、ユキがアイスを選んでてって言って、どっか行っちゃったんです」
「どっか?」
「悪者退治だって言ってました」
「悪者退治」
「で、一人でアイスを選んでいたんですけど、急にユキが心配になって、ユキの行った方向へ走っていきました。そしたら、煙のにおいがしたので、そっちの方へ行ったんです。そしたら、葛西善二郎にぶつかったんです」
「葛西善二郎!」


 そこで、興奮したように、石垣さんが叫んだ。


「これで決まりだ、新入り! この事件の犯人は葛西善二郎だ!」
「落ち着いてください、石垣さん。……如月ちゃん」


 女の人が、わたしを見た。今度ははっきりと、けげんそうな色が現れている。どきっとした。なにかまずいことでも言っちゃったのかな、と不安になる。
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