love me.
□おじちゃんに、
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「ユキ、もう体大丈夫なの?」
コンビニにデザートのアイスクリームを買いに行く途中のことだ。夜の道は寒くて暗い。コートの前をかき寄せて、身を寄せ合い歩く。わたしがユキに話しかけると、彼は「ああ」と微笑んだ。
「あんたのおかげだ。ありがとな」
「う、うん……」
そのユキのありがとうに、胸が痛くなる。ユキの病気がずっと続いたらって思った自分に、ありがとうって言ってもらえる資格なんかない。わたしは少しだけうつむいた。
「どうした、如月」
すかさずユキが顔をのぞき込む。わたしは動揺してしまい、思わず目をそらしてしまった。これではますます怪しいと思い、慌てて笑みを浮かべてなにもないことをアピールする。
「ううん、何でもない!」
「何でもなくはないだろ」
ユキが顔をしかめた。
「役に立つって言われて喜ばないなんて、変だ」
「そ、そうかなあ」
声が裏返る。うそをつけない自分に一瞬いらいらしてから、はっと気付く。なんてことを考えたんだろう。うそをついていいことなんて、あるわけないのに。
「何か悩んでることでもあんのか?」
「ううん、そんなことない」
「……如月」
ユキが低い声を出し、ぴくりと肩が跳ねる。
「ほ、本当だよ!」
「嘘、つくのか?」
ユキにじっと見つめられ、うっとうめく。こう言われてしまえば、わたしの罪悪感はうじうじ動くことをユキは知っているのだ。ごめんなさいと言って、心の内を全てさらけだしてしまいたい衝動にかられる。それを、わたしは抑えた。
言ったらどうなる? ――嫌われるに決まってる。
「本当になんでもないから」
わたしはふいっと目をそらす。そうか、とユキがつぶやいた。彼の目は、どこかさびししげだった。胸がずきっと痛む。わたし達は会話もなく歩き続けた。沈黙が痛い。いつもなら、どんなに下らなくても、そこに話があるはずだし、なかったとしてももっとおだやかな空気が流れていた。こんなに痛くて苦しくはない。わたしは何度か喋りかけようとして、やめた。ユキもちらちらと何か言いたそうに視線を向けてくる。
「如月」
「ユキ」
同時に呼びかけ、顔を見合わせる。
「何だよ、如月」
「いやいや、ユキから」
「いや、特に大したことじゃないんだけど」
ユキはそう前置きをすると、わたしをまじまじと見つめ始めた。居心地が悪くなって身をよじったその時、ユキがどこかさびしそうに口を開いた。
「あんたも、大人になってきてるんだなって思って」
「お、おとな……?」
言葉が頭の中でぐるぐる回る。そのユキの言葉の意味に気付いた時、わたしはすっと自分の指先が冷たくなるのを感じた。
「ち、違うよ!」
自分でも必死な声が出た。
「何でそんなこと言うの!?」
「ちょっと、落ち着けよ」
ユキが驚きながらもわたしをなだめる。
「あんたこそ、何でそんなに怒るんだよ」
「さ、最初に質問したのは、わたしだよ! ユキこそ、質問に答えてよ」
「別に。ただ秘密を作るっていうのが大人への第一歩ってよく言うからな」
「言わないよ!」
「ああそうか、あんたさっきから俺に突っかかってきてるけど、反抗期なのか」
「意地悪しないでよ!」
「あんたが誤魔化すのやめたら、やめるよ」
「そんなの……」
言ったら、嫌われる。けど、言わなくても、やっぱり嫌われる。じゃあもう、どうすればいいの。わたしはため息をついた。目的地であったコンビニが目の前に迫ってくる。わたしは一歩ふみ出した。自動ドアがさっと開く。自分が魔法を使ったような気分になって、わたしはいつもならにこにこ笑う。けれど、今日はなんだかそんな気分にはなれなかった。
「……ユキ?」
ふとおかしいと感じ、振り返る。ユキは自動ドアの前に立ったまま、こちらへやってこない。まるで、なにか妙なものを見て、気がかりになったまま行動するべきかそうしないべきか、迷っているようにも見えた。
「お店、入らないの?」
そこに立ってたら、冷たい風が入ってきちゃうよ。そう言ってわたしはちらっと後ろをふり返った。レジのところに立っている店員のお姉さんがけげんそうにこちらを見ている。ああ、悪い、とユキがぼんやり言った。
「悪いけど、如月、すぐ戻ってくるから、アイス選んでて」
「え? でも、なんで?」
わたしは妙に焦ってしまう。
「どこ行くの?」
「悪者退治」
「悪者?」
「ま、俺も正義の味方ってわけじゃないけど」
ユキが首をすくめて笑う。
「住み分けはきちんとしろっていうのがアニキのポリシーなんだ」
「ユキ、なにを言ってるの?」
今ほど、頭のよくない自分を呪ったことはなかった。ユキの言いたいことが全然分からない。まるで、ユキが遠くに行ってしまうような、そしてわたしは置いていかれてしまうような、そんな恐怖が湧き上がる。
「ユキ、」
「すぐ戻るって」
ユキは軽い調子でそう言うと、軽く手を上げながら背を向けて走り出した。わたしは待って、と言いかけた。置いてかないで。そんな言葉が飛び出しかける。その時、自動ドアが音を立てて閉まった。わたしは伸ばしかけていた手を下ろす。口を閉じた。ユキの姿は、もう、見えない。
ユキはすぐ戻るって言った。だから、大丈夫だよ。わたしは何度も何度もその言葉を心の中でくり返す。なんだか説得力がないなあ。わたしは溜め息をついた。いつもなら、ユキの言葉なら、どんなことでも信じてしまえるのに。もしかして、これも大人になった、ということなのかな。ユキの「あんたも、大人になってきてるんだな」という言葉を思い出し、わたしはうーっとうなった。ちがう、ちがうよユキ。わたしは大人になんかなってない。まだまだなにもできない子どものままなんだよ。だから、こんな風にわたしを置いていったりしないでよ。怖くて、さびしくて、どうにかなっちゃいそうだよ。
「……はあ」
わたしは大きくため息をつく。最近はほとんどずっとユキと一緒だったからか、ユキがいなくなるととても心細い。店員さんが注文したソフトクリームを渡してくれる。わたしはそれをユキとわたしの二人分受け取り、設置されていた椅子に座り込んだ。
「どこ行っちゃったの、ユキ」
ぽつりとつぶやいてみる。返事はない、けれど。
――「悪者退治」
ふと、ユキの言葉が蘇った。わたしは急に胸がどきどきし始める。
「悪者って、」
その時、おかしいけど、わたしの頭にはこの間テレビで放送されていたワンピースのことが浮かんでいた。赤い鼻の海賊の船長が主人公のルフィやナミをいじめていたあのシーンだ。檻の中に入れられ大砲を向けられたルフィが、ユキと重なる。わたしはぶるっと身震いをした。ユキが危ない、かもしれない。
静かにいすから立ち上がる。足の裏に床がきちんとついている感覚がなくて、わたしますます不安になった。けれど、こうしている間にユキがひどい目にあっていたら。そう思うと、じっとしてなんかいられなかった。わたしは出口へ走り出す。自動ドアの開きが遅くて、音を立ててぶつけてしまう。ソフトクリームが服とドアに少しついた。店員さんが後ろであっと声を上げる。構わず、外へ飛び出した。
ユキがいなくなった方向へ走る。ユキ、ユキ、と何度も声を上げる。辺りをきょろきょろ見渡しながら、何度も何度も声を上げる。道行く人がわたしに視線を向けたけど、構わずわたしはさらに走る。
ふと、足を止めた。どこからか、妙なにおいが流れてくる。まるで、お肉を焼いているみたいな、でもそれにしては焦げたような苦みも含んでいる、そんなにおいだ。でもおかしい。もうとっくに夕食の時間は過ぎているのに。わたしはくんくんと鼻から空気を吸い、においを少しずつたどっていった。においが段々強くなるにつれて、わたしの足も段々速くなっていく。気持ちが焦ってどうしようもない。はっと目を上げれば、うっすらと煙のようなものが、とある路地から流れ込んでいるのが見えた。わたしはぱっと駆け出した。
「うおっと」
「あうっ!」
路地へかけこもうとした瞬間、誰かと思い切りぶつかる。わたしは弾き飛ばされ、しりもちをついた。持っていたソフトクリームが手から離れ数十センチ先の地面にぼとりと落ちる。わたしはああっと声をあげた。
「火火火、すまないねえお譲ちゃん」
くらくらする頭を振り頭を上げると、黒いキャップを目深に被った男の人が笑いながら手を差し出してくれた。顔は帽子に隠れていてよくわからないけど、雰囲気からするとおじちゃんみたいだ。口にはたばこをくわえ、煙がゆらゆら立ち上っている。「あ、ありがとうございます」とわたしはなんの考えもなく、ぼうっとしたままおじちゃんの手を握った。ぐいっと引っ張られ立たされる。
「この辺りは危ないからな、夜道には気をつけな」
「え、あ、ありがとう」
若干とまどいながらも頭を下げる。その時、ふと思った。あれ、なんでわたしこんなところにいるんだっけ、と。なんでかな、なんでかな。ぐるぐる思い出そうとしているうちに、ふと、煙が目に入った。おじちゃんのたばこの煙よりも、もっと大きくて黒い煙。わたしは、吸い込まれるように、入ろうとしていた路地へ目をやった。
そして、目を疑った。
「……あ」
人が倒れていた。うつ伏せの状態で、背中からは火がくすぶり煙がもうもうと立ち込めている。その薄くて珍しい髪の色には見覚えがあった。黒っぽい半袖も白いズボンに身を包んだ長い足にも。わたしは一歩踏み出す。足になにかこつんと当たった感触があり、わたし下へ目を向ける。ひしゃげた、白い縁の大きなサングラスだった。