love me.

□お菓子食べて。
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「ユキユキ!」


 息を切らせて部屋へかけこめば、ソファのところに座っていたユキがこちらを振り返った。


「どうした、如月」
「はい、これ、ハッピーバレンタイン!」


 ユキの隣に勢いよく倒れこむと、小さな箱を差し出した。中にはユキが好きと言ってくれた手作りのプリンが入っている。前にあげたものとは違って生クリームをふんだんに入れているし丁寧に作った。今回はかなりの自信作だ。ぜひユキに食べてもらいたい。わたしは満面の笑みでユキを見た。ユキは「そっか、バレンタインか」と嬉しそうに笑った。


「あんたが作ったの?」
「うん! 食べてくれたら嬉しいんだけど……」
「食うに決まってんだろ。ありがとな」


 ユキは膝の上に置いていたチョコを隣に置いた……え、チョコ? わたしははっと気付き、ミニテーブルへ置かれたチョコレートを見る。チョコレートの器の中に更にチョコレートが入っている。繊細で丁寧な仕上がりだ。趣味というだけではここまで上手く作れないだろう。わたしは恐る恐る「ユキ?」と声をかけた。


「ん」
「どうしたの、このチョコ」
「あぁ……」


 ユキは黙り込む。それからただ一言、「探偵からもらった」と返した。探偵――そう言われてわたしの頭に一人の女の子が思い浮かぶ。


「う、うそ……やこちゃんから?」
「そうそう、探偵から。それがどうかした?」


 ユキは特に意識していないようだ。そうだよね。わたしは深呼吸する。やこちゃんはユキと知り合いっぽかったし、ユキにチョコをあげてもおかしくない。なんでわたしは、ユキが他の女の子からチョコレートをもらうことを考えなかったんだろう。急に恥ずかしくなった。やこちゃんのこのすごいチョコの後に、ただカップにつめただけの工夫も何もないプリンを渡すってどうなんだろう。自信がなくなってくる。


「ど、どうもしない、けど」
「ふーん。で? あんたはくれねーの? 俺にチョコ」
「チョ、チョコじゃないん、だけど……」
「別に構わねーよ」


 ユキはためらっているわたしの手から箱をさらうと、丁寧に箱を開け始めた。ふたを取ると少し驚いたように目を見開いたが、何も言わずにカップを開けるとつけておいたプラスチックのスプーンですくい、口に入れた。胸がどきどきする。ユキは黙ったままだ。わたしは勇気を振りしぼると口を開いた。


「お……おいしい?」
「んー」


 ユキはすくい再び口に入れる。そしてしばらく味わうように口を動かした後、静かに開いた。


「探偵のチョコの方がうまいかも」


 ユキの言葉に胸のえぐれるような衝撃を受ける。あんたの方がおいしいとか言われるとは思ってなかったけど、まさかここまできっぱり言われるとは思っていなかった。


「ていうか、バレンタインなのに何でプリンなんだよ」
「……う」


 まったくだ。何でチョコじゃなくてプリンにしちゃったんだろう。恥ずかしさのあまり顔が赤くなる。でも、チョコにしたところで、おいしいという言葉をもらえたかと言われたら、確信を持つことはできない。わたしはテーブルに置かれたチョコレートを見る。丁寧というよりは精密と言っていいほどの出来栄えで、手作り感がまったくない。本当に丁寧に丁寧に作ったんだろうな。やこちゃんの、ユキへの思いがそこに現れている気がした。
 でも、でも。わたしだって、頑張ったよ。ユキのために、おいしいって笑ってもらうために、頑張って作ったんだよ。いらだちのせいか、頭の真ん中がきゅうとしまる。今までで一番の仕上がりなんだよ。なのに、なのに。
 なんで、やこちゃんが。


 ――「探偵のチョコの方が美味しいかも」


 ユキの言葉が頭の中で再生される。ずきん、と胸が痛んだ。喉の奥が狭く感じられた。頭が段々熱くなってくる。苦しい。悲しい。嫌だ、助けて。意味のない言葉が浮かんでは消える。空気を求めて口を開いた。気管がどうしても震える。視界がぼやけた。
 どうしちゃったんだろう、わたし。はじめての感覚に、とても怖くなった。


「俺はこっちの方が好きかなぁ」


 ユキの何気ないつぶやきが耳に飛び込んでくる。わたしはもう我慢できなくなった。涙が目の端からこぼれる。わたしは顔を手で隠すと下を向いた。何で泣いているのか、どうしてこんなに悔しいのか、分からなかった。けれど、このままじゃ体がばらばらになっちゃうんじゃないかと思うくらい悲しかった。いてもたってもいられない。
 ぷっと、なにかを噴き出すような音がした。頭に柔らかいものが当たる。まるで手で頭を撫でるようだった。わたしは顔を上げた。ユキが笑って、わたしの頭を撫でていた。


「如月。よーく見てみな」


 ユキが脇に置いたはずのチョコをわたしに見せる。とまどいユキを見つめると、チョコレートのプレーを押し付けられた。受け取り、じっと見つめる。本当に完成度の高いチョコレートだ。文字まで彫ってある。ユキLOVEとかかな。少し怖く感じたけど、気になり顔を近づけた。C、H、O、P、I、N……なにこれ。首をかしげると、ユキが「まだ分かんないのかよ」と笑った。


「どうみてもこれ、商品だろ」
「……え?」


 言っている意味がよく分からない。わたしは眉をひそめた。ユキは「ごめん」と笑い、陰になって見えなかったところからとある箱を取り出した。わたしはそれを見てあっと声を上げた。


「探偵にもらったってのは嘘。これは買ったの。あんたと一緒に食べようと思って。食べたいって言ってたの、これだろ?」
「う、うん……」


 それは、いつかワンピースを見ていた時にユキに食べたいと話した市販のちょっと高級なチョコレートだった。覚えていてくれていた嬉しさと、ユキのいじわるだったという安堵感がわき上がった。


「う、うそでよかったぁ……」
「まあちょっとやりすぎたかな。でも手作り感とかないし、食べたいって言ったのあんたなんだから、気付けよそれくらい」
「だって、」


 ユキに言われたら、どんなことでもそう信じちゃうに決まってるじゃない。そう反論しかけたわたしの口の中にユキがチョコを突っ込む。わたしはびっくりしたが、口の中に広がる甘い味に体の緊張がほぐれていくのを感じる。


「おいしい……」
「普通のチョコにしては高いからな。ま、でも、あんたのくれた奴の方が断然うまいけど」
「うそ、さっきは、」
「さっきのが嘘」


 やわらかく微笑まれて、思わずどきっとする。ユキのこういう表情はあまり見ないから、かなりレアだ。


「今まで食べたどんなプリンよりも好きだよ。もちろん贔屓目に見なくてもうまい。あんた、これ頑張って作ったんだろ?」


 分かってくれていた。胸がじんと熱くなる。わたしは小さくうん、とうなづいた。


「俺の為?」


 ユキが少し遠慮がちに、けれどかすかに期待しながら訊ねる。なんだか恥ずかしかったけれど、わたしはしっかりユキの目を見て「そうだよ」とうなづいた。ユキがほっとしたのかよかった、と笑った。


「嬉しい」
「わたしも」


 そっと同意する。


「今までで一番の出来だったから、気に入ってもらえなかったらどうしようって思ってたんだけど、気に入ってもらえたようで、よかった」


 ユキがああと声を上げる。


「だから泣いたのか?」
「……うーん?」


 突然の質問でよく分からないわたしはあいまいに返事をする。これを受け取ったのか分からないけど、ユキは「そっか」とうなづいた。


「俺はてっきり、探偵に嫉妬したのかと思ったんだけど」
「――しっと?」


 一瞬分からなかったわたしは頭を働かせる。しっと、しっと……ああ、嫉妬のことか。理解したわたしに、ユキが少しだけ眉を吊り上げてみせた。


「そう。俺があんたよりも探偵の作ったチョコの方が美味しいし好きって言ったから、悔しがってんのかと思って」


その言葉にとても納得した。そっか、わたしは嫉妬してたのか。ユキにおいしいって、こっちの方が好きって言ってもらっていたやこちゃんに。正直、今まで誰かを嫉妬したことはなかった。羨ましいとは思っても、なぜ自分じゃないんだろうと悔やんだり、その対象を恨んだりしたことはなかった。
 けど、わたしは言われたいと思った。おいしいって、こっちの方が好きって。言ってもらえなくて、とても傷ついた。そして、ほめられたやこちゃんに強い苛立ちを感じた。苦しかった。悲しかった。誰かを恨んだり悪く思ったり、そういうことがこんなに苦しいものだとは思わなかった。
 わたしは顔を上げ、ユキを見た。その真剣な表情に気付いたのか、ユキが笑みを引っ込める。わたしは淡々と思いを吐き出した。


「悔しかったよ。それに、悲しかった」


 もっともっと、本当はいっぱい言いたいことはあった。これっぽっちの言葉だけでは、全てを伝えきれない気がした。けど、あまりぐちぐち言ってユキを困らせたくはないし、それに自分の心の狭い部分を見せるのも嫌だった。言葉にならずぐちゃぐちゃになっている思いのかたまりをぐっと飲み込み、わたしは代わりにこれだけ言った。


「もう二度と、こんないじわるはしないでね」


 ユキが少し後悔したような、ばつの悪そうな表情を浮かべた。


「悪かったよ。もう二度としない」


 それを聞いて安心してしまうなんて、われながら単純だと思う。けど、ユキの言葉ならいくらでも信じることができてしまうのだ。わたしは小指を立ててそっと左手を突き出した。


「約束だよ」
「ああ」


 ユキが小指を差し出す。わたしは絡め、ゆびきりげんまんの歌を大きな声で歌った。気分がすっきりしたので、わたしは笑った。それで更に少し元気が出た。ユキも陰のあった表情を明るくさせた。わたし達はすっかり仲直りをした。
 その後、ユキはプリンを再び一すくいし、口の中に入れた。それから本当に幸せそうな表情を浮かべた。


「うまい」


 その表情を見ているわたしまでもが、幸せな気分になってくる。ユキに、こんな幸せな表情をさせてあげられて、嬉しい。飛び上がりたいくらい気分が弾んでくる。さっきまで苦しかったり悲しかったりしていたのがうそみたいだ。


 ――「そりゃあ、恋したら苦しいとか悲しいとか思う時もあるだろ」


 ふと脳裏でユキの声が再生されて、わたしはびくっと肩を跳ね上がらせた。芋づる式に次の言葉も思い出す。


 ――「苦しいって思ったり悲しいって思ったりするのも、きっと大事なことだし、それにあんたといる時の楽しさは、苦しさ以上のものがある」


 わたしはそっと胸を押さえた。どきどき音が鳴っている。ユキに聞いた恋の特徴が当てはまっている、なんて。頭が少しくらくらした。息を大きく吸い、自分に今一度問いかけてみる。わたしは、ユキに恋しているのかな? ユキのことが、すき、なのかな?


「……すき」
「え、何?」


 ユキがこっちを見る。わたしはううん、なんでもないと首を振った。そう、とちょこんと首をかしげた後、再びプリンを食べ始めるユキを見て、わたしは思った。
 わたしは、ユキのことが、すきなのかもしれない。

 to be continued.
 

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