love me.

□二人で雨の中。
1ページ/1ページ



「……くっそ」


 空を見上げ、俺は毒づく。家を出た時はどんよりと曇っていただけの空も、アニキから頼まれた“おつかい”を終えていざ帰ろうとした今となっては、ただひたすら重い雨粒を降らせ帰路を邪魔している。俺は目を細め辺りを見渡す。雨のせいで視界が若干悪い。この建物の周りには信号のない車道と、同じような素っ気無いビルが立っているだけで、近くに傘の買えるようなコンビニはない。
 駅まで走るか、適当に雨宿りを待つか。迷った俺の目に、ふと青が映った。傘だ。俺は何気なくそれを見つめていた。傘はだんだん近づいてくる。傘が傾けられ、中にいる人間の顔が露になった。目を見開く。


「如月」
「来ちゃった」


 えへへ、と笑うと如月が傘を持ち上げた。


「早坂さんから、傘を持ってむかえに行ってくれって」
「そっか」


 助かった、と俺は微笑む。


「ありがとな。……で、傘は?」


 傘以外はまんま手ぶらの如月に聞くと、如月は「……あ」と漏らしたまま黙り込む。そのいかにもしまった、という表情に俺は緩く微笑んだ。まあ、想定内だ。


「……忘れました」
「そんなこったろうと思ってました」


 彼女に合わせて敬語を使ってみせる。如月はしゅんと落ち込んだ。


「ごめんなさい」
「別にいいよ」


 本当に気にしていないように軽い口調で言うと、俺は彼女の傘の中に滑り込んだ。びっくりしたように如月が「うわ、ユ、ユキ?」と声を出す。


「近くのコンビニまでこうして歩けば、傘買えるだろ」
「う、うん」


 気を取り直したように何度もうなづく彼女に、俺は手を差し出す。


「傘貸せよ。俺が持つ」
「い、いいの?」
「俺の方が背高いし」
「そっか……うん、ありがとう」


 傘を受け取る際、一瞬手と手が触れ合う。如月に触るなんていつものことなのに、どういうわけだか少し緊張した。如月はもちろん何も感じていないようで早く行こうよ、とゆっくり歩き出す。俺も慌てて彼女に倣った。


「それにしても珍しいよな」


 水溜りを弾きながら歩いていると、ふと独り言が漏れてしまった。如月がん、と俺の顔を伺い見る。


「この季節に雨なんてさ」


 迷惑だ、と溜め息をつけば彼女が「本当だよね」と力強くうなづいた。


「どうせなら雪が降ってくれればいいのに」
「雪? あんた好きなの?」
「うん! きれいだし、雪合戦とかできて楽しいもん!」
「ふーん」


 俺は傘の下から降り注ぐ雨を見つめる。雨は確かにうっとうしいが、地に落ちた雨粒は下水道へ流れ消えていく。その点を考えれば、確実に降り積もり全てを消してしまう雪よりも俺はいいと思えた。雪は積もれば家屋を押しつぶす程の威力をも発揮する。その押しつぶされた家屋の中で恐怖に耐えながら縮みこんだことを思い出し、僅かに顔を歪めた。


「ユキは、嫌いなの?」


 感情を汲み取ったのか、如月がそっと問いかける。俺は「嫌い」と言い放った。


「え、そうなの?」
「俺の住んでたとこはすげー寒くて、雪もいっぱい降ったんだけどさ。遭難しかけたこともあって、あんま雪にいい思い出がない」
「そうなんだ。ユキなのに雪、嫌いなんだ……」


 如月がぼそっと呟く。その不意打ちの駄洒落に、俺は思わずぷっと噴き出してしまった。落ちていた気分が少しだけ、軽くなった。


「関係ねーだろ」
「そうかなぁ」
「でも、そうだな。雪ならコートについてもはたけば何とかなるよな。けど、雨は濡れたら結構ずっしり来るぞ。だから、もっとこっち来いよ」


「うぇ? う、うん」


 肩に手を回し引き寄せると、如月が俺を見上げ顔を赤くした。ぱっとうつむく彼女に、何だかこちらまで気恥ずかしくなってくる。普段ならもっとからかってやろうと思うところなのだが、今日はどうも調子が狂う。なぜだろうと考えて、この状況のせいだろうかと思ってみる。相合傘なんてしたことがない。他人のことを気遣いながら、濡れないように注意を払って歩く。相手の温度を肌で感じながら、傘の中で自分たちの世界を感じながら。こんなの、経験したことがない。そう意識した途端、心臓が少しずつ速くなっていくのを感じる。これが恋ってやつか。そう思うと、自分の単純さに少し笑ってしまった。
 その後しばらく俺たちは黙って進んだ。如月は緊張して黙り込んでいるし、俺は俺でこの、いつでも如月に触れてしまいそうな距離に戸惑っていた。いつも触れる時は全然意識していないのに、なぜこんな時だけ。自分の不器用さを垣間見た気がした。傘に落ちて砕ける雨粒の音がやけに大きく聞こえる。周りの、エンジンをふかして走る車の音や雑踏が遠くに感じた。


「不思議だ」


 俺は呟く。如月が顔を上げた。


「こうやってると、世界であんたと二人きりって感じだ」


 世界で如月と俺の二人きり。口に出してみると、それはなかなか魅力的に思えた。俺は少し気分が上がり、「なぁ、如月、」と話を振ってみる。


「あんたは俺と世界で二人きりになりたいと思う?」
「え?」


 いきなりの質問に戸惑っているようだったが、やがて真面目にうーんと考え出した。結論は意外とすぐに出たようだ。俺をまっすぐ見上げて口を開いた。俺は答えは分かっているような気がしたが、それでも少しばかりの期待は捨てられなかった。


「思わないよ」


 予想通りの否定に、俺は少しだけ胸を痛めた。分かっている。俺のことを愛しているわけではないことも、俺以外にも大切に思っている奴がいるってことも。


「だって、早坂さんとかお母さんとかやこちゃんとか笹塚さんとか、他の人とも一緒にいたいもん」


 俺の考えた問いと寸分違わぬ返答に、笑いさえ込み上げてきた。「やっぱそうか」と俺は呟いた。如月が「ユキだって、そうでしょ?」と首を傾げてきた。


「俺は、まぁそうだな、後はアニキだけかな」


 俺の中身は空っぽに近い。今までの俺の世界はアニキ一人しか映っていなかった。今は如月がいるが、やはりこの二人を抜けば後には何も残らない。空っぽだから、自分の中を無理矢理親しい人間全てで埋めてしまおうとする。普通の人間がする以上に濃密に激しく、相手を求めてしまう。それを世間では、異常と呼ぶ。
 ――如月の目にも、そんな俺は、異常に映るのだろうか。想像してみた。答えは分からなかった。けれど――如月に、拒絶されたくはない。


「やっぱ俺も世界で二人っきりってのは困るわ」


 俺は笑みを浮かべ、そう嘘をついた。如月が「でしょー」と相槌を打った。ふと想像した二人きりの世界のことは、もう考えないようにしよう。思考に蓋をした。


「第一お米作ってくれる人とかいないとだめだし、おかし作ってくれる人もテレビ流してくれる人も必要だよ」


 だが、考えないようにすればするほど、その情景は頭の中に侵入し俺の中で広がりを見せた。如月のいつも通りの微笑みが、笑い声が、涙が、拗ねたような表情が再生される。それらは全て俺の腕の中、他の奴は知らない場所、入ってこれない領域の中で行われる。俺のために、俺だけのために――


「そう考えたら、きっとみんな一人ひとりが大事で、欠かせない存在なんだろうね……って、ユキ?」
「……あ」


 俺ははっとして如月に視線を送った。彼女は不思議そうに俺を見つめている。


「どうしたの? 大丈夫?」
「……やっべぇ」


 言葉が零れる。俺は乾いた声でははっと笑った。全然気付かなかった。彼女が話していたことも、俺が彼女の話を上の空で聞いていなかったことも。そして、想像の世界にのめりこんでいたことも。
 俺は想像してしまっていた。監禁されて、俺だけを見て、俺だけに笑いかけて、俺の為だけに生きる如月を。そして、そんな彼女に興奮していた。そして、そうしてしまいたいと願ってしまっていた。


「どうしたんだ、俺は……」


 これが、欲情と言えるのだろうか。ただのセックスをしたいという願望以上のものがあるのではないか。少しだけ、自分は本当に狂っているのかもしれないと怖くなった。


「どうしたの、ユキ?」
「なんでもない」


 自分の中で、知らなかった感情が膨れ上がっていく。そんな恐怖を押し込め、俺は如月に笑いかけた。


「それより寒いし早く帰るか」
「うん!」


 如月が元気よくうなづき、俺たちは再び歩き出す。時々胸元に触れる彼女の柔らかい髪の毛が心地よかった。ふと途中でコンビニが目に入ったが、俺は見なかったことにした。代わりに抱き寄せていた如月の肩にますます力を込めて、その体温を感じ取る。いつものぬくもりだ。胸の締め付けが緩み、俺は少しほっとした。

 to be continued.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ