ユキ連載BOOK

□普通にして。
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「は、話ってなんですか」
「安心しなさい。悪い話じゃあないから」


 アニキはガチガチに緊張して強張った如月の肩を軽く抱き、椅子に座らせた。安心させる為にしているんだろうけど、アニキがやると逆効果だ。


「君の仕事のことについてなのだがね」
「はっ! い、嫌ですよ、麻薬を運べ、なんてのは!」
「じゃあ人体実験のモルモットになるってのは?」
「それも嫌!」
「やれやれ」


 アニキが溜め息をついてみせる。


「好き嫌いの多いお嬢さんだ」
「そんなことないもん! 納豆と野菜以外なら食べられるもん!」
「へぇ。じゃあレバーは?」
「う。レ、レバーは……」
「食えるんだよなぁ? さっき自分で言ったもんなぁ?」
「う……た、食べられる、よ」
「ふーん。……うそつき」
「う、うわぁぁぁん!」
「ユキ、話が進まないからお嬢さんいじりは別の時にしなさい」


 笑いをこらえる俺をアニキが呆れたようにたしなめる。


「お嬢さん、今日は君に渡すものがあって呼び出したんだ」
「渡すもの?」


 目をパチクリさせた彼女に、アニキが胸ポケットから出した封筒を握らせる。


「開けてごらん」


 いぶかしむ様な如月だったが、アニキが優しく促すと、手間取りながらも封をあけた。逆さにして乱暴に振ると、ピン札がヒラヒラと落ちてきた。


「な、何ですか!」
「こら、お金を粗末にしてはいけないよ」


 アニキに言われ、あわてて俺と屈んでかき集める。


「君の記念すべき初の給料なんだから」


 その言葉で彼女は動作を止めた。


「……えーっと、ごめんなさい。もう一回言ってもらってもいいですか?」


「君の記念すべき初の給料なんだから」
「丘陵?」
「あんた馬鹿なくせによくそんな言葉知ってたな」
「九両?」
「そこでなぜ江戸時代に戻る」
「旧領!」
「なんのだよ」


 ぼそりと突っ込めば、「イギリス!」という言葉が満面の笑みと共に向けられた。


「ス、ス……スイス」
「またス? うーん……スウェーデン?」
「あ、如月の負け」
「あぁー!」
「ユキ、彼女の悪ふざけに乗るな」
「悪い、アニキ。こいつがあまりにも意味わかんないから」
「意味わかんないのはそっちですよ」


 如月がムっとした表情で言い返す。


「何ですか、急にお給料なんて」
「急じゃない」


 アニキが冷静に口を挟む。


「君が入社してから、もう一ヶ月だ。給料を支払うには丁度いいだろう?」


 その言葉に俺は少し意外性を感じた。なんだ、まだ一ヶ月しか経っていなかったのか。もっとずっと昔から一緒にいる気がしてた。


「その給料ってのが理解できないんですよ。わたし、何もお仕事してないのに」
「そう思うなら、もう少し我々に対して従順になってくれないか。今の君は何かあるたびにすぐ脱走しようとして非常に面倒だ」
「い、嫌ですよ! っていうか、何で面倒だと思う相手に給料なんか払っているんですか!」
「面倒で素行に問題があったとしても、仕事さえきっちりこなしてくれていれば、何の問題もない、というのが私の方針だ」


 かき集めた紙幣を如月に差し出すも、彼女は受け取らず、困った表情を浮かべていた。


「わたし、お仕事した記憶ないですし、まだ何にも役に立ってないから受け取れません」
「やれやれ、君は本当に面倒だな」


 アニキが深々と溜め息をつく。


「いいか、君はただの駒なんだ。駒にすべてを教える義務がどこにある?」


 駒、という言葉に俺は少し胸が痛んだ。駒、という言葉はあんまりじゃないか。


「君が何をどう感じようと関係ない。これは命令だ。受け取っておきなさい」


 ユキ、とアニキが目で合図する。俺は意思を汲み取り、かき集めたお金を如月の手に無理やり握らせた。その際こっそり表情を盗み見ると、如月は潤んだ瞳で、アニキを睨んでいた。


「話はそれだけだ」


 それは退出許可を意味する言葉だが、命令と同じ有無を言わさぬ口調だった。如月は最後にアニキを一睨みすると、俺には目もくれず、踵を返して出て行った。


「あいつ、泣いてたぜ」


 ドアが大きな音を立てて閉まったのを確認してからポツリと呟くと、アニキは口元を歪めて笑った。


「知っているよ。だが、大したことじゃない。子供は自分の思うとおりにならないとむくれるものだ」
「むくれ……?」
「あのお嬢さんが駒呼ばわりされたことに傷ついたのだと思ったのならユキ、おまえはあの子のことをまだよく理解していないということだ」


 じゃああんたは、あいつのことを理解できているとでもいうのかよ。
 一瞬、滅多に抱かない反抗心が膨れ上がり、あわてて押さえつける。どうしたんだ。俺らしくもない。アニキの言うことはいつだって正しい。そうだろ?


「納得できていないみたいだな」


 そんな俺の心情などお見通しだとでも言うように、アニキがフッと笑った。


「思い出してみろ。あのお嬢さんは最初、自分から手駒を志願したんだぞ」


 あ、そういえば。その時の場面を思い出して納得した。同時にアニキに対する面白くない感情が嘘のように引いていく。


「彼女は確かに面白い存在だし、役に立ってくれてはいるが……たまに見せる生真面目さや融通の利かなさはいただけないな」


 半ば独り言のように呟くと、アニキは振り返って俺を見た。


「もう行っていい」
「え?」
「子供が落ち込んだ時には、慰め役が必要だろう? そしてこの場合、その役目は私じゃない」


 アニキがからかうように、更に口の端を吊り上げる。


「さっきからうずうずしているように見えるが、私の気のせいかね?」


 ……いいや、気のせいじゃないさ。


「もちろん仕事は後できっちりやってもらうからな」


 だから、今はあの子を追いかけなさい。そんなアニキの声が聞こえた気がして、俺はニヤっと笑った。長年一緒にいたからか、アニキの言いたいことは大抵分かるし、時々心の声すら聞こえてくるようだ。
 あいつのことも、それくらい分かりあえたらいいのに。


「さんきゅ、アニキ」


 俺は早足でドアへと向かうと、急いで部屋を出た。ドアが閉まったのを再び確認すると、俺は軽く走り出した。
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