ユキ連載BOOK

□なぐさめて。
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 炎が頼りない光で空になった酒の缶を照らし出す。これだけ飲んだにも関わらず、俺の体は冷え切ったままだ。指先を炎に照らし暖めながら、俺はぼんやりと考えた。本来ならこのライターは、俺が尊敬して止まないある人の煙草に火をつけるためのものだ。だけど、火をつけるべき煙草は、ここにはない。煙草の持ち主も、ここにはいない。
 今ここじゃ、用途を失ったこのライターには価値がない。
 それじゃあ俺は――俺は、どうなんだろう。
 ブルリ、と震えて俺は震えながらライターを持った手を自分の体に引き寄せる。微かな温かさは俺の体を温めるにはまだまだ足りない。もっと、もっと火を。俺の願いが届いたかのように、炎がゆらりと揺れ、より一層大きな光を放ち――そして、消えた。


「……くそっ」


 急いでライターをカチカチ言わせ、点火させようとしたが、オイル切れなのか小さな火花が飛ぶだけで、あの安定した光で辺りが照らされる事はなかった。


「……寒い」


 抵抗できない、あの寒さが俺に容赦なく襲い掛かってきて、俺は自分の体を抱え込んだ――


「ユキー?」


 間延びした声が不意に響き、部屋の電気がつけられた。ハッとして声の主を振り返ると、そこにはパジャマを着て目をこすっている如月の姿があった。


「あーよかった、ユキで。真っ暗なのに誰かいる感じだったから、サダコだったらどうしようかと思った」
「あんたか。何の用だ?」
「え、いや、別に用はないけど……」


 用はない。その一言が、俺の胸をギリギリと締め付ける。


「じゃあ、部屋に戻れよ」
「え……」


 戸惑ったように、如月が瞳を揺らめかせた。


「でも…――」
「いいから、行け、よ」


 俺は如月から顔を背け、新しいビールの缶を開けるとそのままグイっと煽った。口の端から少し零れそうになる。如月はしばらく迷ったように黙ったように立ち尽くした後、恐る恐ると言った様子で口を開いた。


「ねぇねぇユキ、それ、お酒?」
「あぁ、まぁ……」


 俺は適当にうなづき、体を縮みこませた。足りない。熱が、足りない。


「へぇー、いいないいなー」


 ずりずり。如月が遠慮がちに、でも確実に俺との距離を縮めていく。


「あんた未成年だろ」
「いーじゃんいーじゃん、ユキだって未成年なんだし」
「誰かさんと一緒にすんなよ。俺はもうとっくに成人迎えてんだ。今年でもう二十二だぜ」
「そ、そんなぁ!」
「何にショックうけてんだよ」
「もっと若いかと思ってた……ごめんね、ユキだなんて馴れ馴れしく呼んで。これからは早坂幸宜(22)って呼ぶから安心してね!」
「何人を犯罪者みたいに扱ってんだよ」


 いつの間にか隣に座っていた如月の頬をぎゅうーっとつねってやると、如月は涙目になりながらだってだってと繰り返した。


「だって、ユキは犯罪者じゃん! あと早坂さんも! ……は!」
「今度は何を思い出したんだ?」
「わたし、帰らなきゃいけなかったんだ! というわけで、バイバイボンジュールアニョハセヨー!」
「圧倒的におはようの類が多いぞ馬鹿」


 襟首を猫のようにおさえつけ逃亡を予防する。


「ばかじゃないもん!」
「こんな真夜中に出て行こうとすることが馬鹿のすることじゃなくてなんなんだよ?」
「だって……」


 このままじゃ埒が明かねぇ。俺はアニキみたいに話を逸らして忘れさせることにした。


「酒、飲む?」
「えぇ、いいの?!」
「あんたが望むなら」


 未成年に酒を勧めるのは法律違反だけど、それこそ元々犯罪者な俺には今更な話だ。それに、何となくこいつと喋っていると、この寒さを忘れることが出来そうな気がして。俺は気前よくうなづいていた。


「ありがと、ユキ! わたし、一度お酒飲んでみたかったんだよね」
「そいつは意外だな」


あんたみたいな潔癖症は、未成年が飲酒なんて、とか何とか言うと思ってた。そう何となしに呟くと、如月は顔を赤くさせて動揺した。まるで嘘がばれた時のような慌てぶりだった。


「う、わ、わたしだって何かを忘れたいときがあるんだもん!」
「よく言うよ。三分以上物を覚えていられたためしがないくせに」
「うっ……!」
「今度からあんたのことニワトリちゃんって呼んでやるよ」
「えぇー、ヒヨコのほうがいい!」
「よし、ニワトリ決定な」
「よし、忘れよう! ユキの意地悪なんか今すぐ、わき目も振らず、即刻忘れてやる」


 プシュっと新しい缶を開けると、如月はグイっと呷って……あれ、時間長くね?


「お、おい、いつまで飲んでるつもりだ!?」
「っはぁ、」


 口を離したときにはすでに、缶の中は空になっていた。


「馬鹿かあんた。慣れない奴が一気なんかすんなよ」
「だって、全然忘れらんないだもん」
「酒は忘却薬じゃねーんだよ。一口飲んだら片っ端から忘れるなんて、そんな馬鹿な話あるか」
「そうなの? わたし、大人は嫌なことを忘れたくて、お酒を飲んでるんだと思ってた』


 珍しく馬鹿という言葉に反応を見せなかった如月は、すっと俺の目をまっすぐに見つめた。


「少なくとも、ユキは、そうじゃないの?」


 ――ずきん。胸がつかれたような痛みが走った気がして、俺は慌てて手を胸に当てた。


「あんた、何で……」
「あれ、当たった? 正解? ピンポンピンポン?」


 嬉しそうに笑うと、如月は少し身を乗り出してテーブルの向こう側に置いてあった缶に手を伸ばした。


「じゃあ、二人で競争しよー! 名づけて、どっちが早く忘れられるか競争!」
「そのまんまじゃねーか」
「うぅ……!」
「ネーミングセンスねーな、あんた」
「うぅぅ……!」
「ま、いーや」


 如月から缶を受け取ると、俺はニヤっと笑ってみせた。


「あんたを酔っ払わせてみるのも面白そうだ」
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