ユキ連載BOOK

□ここにいて。
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「それじゃあユキ」


 彼女と握手していた手を離すと、アニキは仕事用のパソコンを開けた。


「私は少し仕事をしなければならないから、おまえはその間このアジトをお嬢さんに案内してやってくれ」
「了解」


 俺ではなく、このガキに見られちゃまずい内容なんだろうな。そう察した俺は短く答えると、如月の首を猫のように引っつかみ、部屋から出た。


「ちょ、痛い痛い!」
「暴れんな」
「放して!」
「分かった」


 ご要望通りに放してやったら、予想通り大きな音を立てて地面に墜落した。


「うわぁぁん、痛いよぉぉぉ!」


 某猫型ロボットアニメに出てくる眼鏡少年並みの洪水率に、俺は顔をしかめて耳をふさいだ。


「うるせぇ……」
「ばかばかー! 急に放したらおっこちちゃうに決まってるでしょー!」
「あんたが放せって言ったんだろ」
「う……ば、ばかー!」
「あんたがな」
「わたし、ばかじゃないもん!」


 どこからどう見ても、馬鹿にしか見えませんが。


「わたしにだって名前、ちゃんとあるもん!」
「いや、別にそういう意味じゃねーよ」
「あ、まだわたしの名前言ってなかったね。わたしの名前はね、如月っていうんだよ! 食べることと寝ることと遊ぶことが好きなの!」
「ちっとも興味なかったけど、馬鹿丸出しの自己紹介をしてくれてありがとう」
「うわぁぁん、ばかじゃないってばぁぁぁ!」


 再び赤ん坊のように泣き始めるガキ――じゃなかった、如月。




 ――「わたしのこと、利用して」
 ――「捨ててくれても構わないから」




「どう考えても、普通じゃないよな……」


 漫画か何かに影響されて、怪しい職場に就職したがる奴は、いないわけじゃない。でも、今時高校生にもなってこんなに馬鹿丸出しな言動をする奴はいないし、 自分を利用してなどと懇願する奴はもっといない。アニキはまるっきり疑っちゃいないみたいだが(顔に出していないだけかもしれないが)、俺としてはそうすんなり納得できない。というより、ここまで馬鹿だと「演技じゃないのか」って疑いたくなる。
 何か裏があるんじゃないか。そう、考えたくなる。
 例えば、こいつの母親に唆されて、潜入捜査でもされているんじゃないかとか、敵対組織からのスパイなんじゃないかとか。可能性は、いくらでもある。油断は出来ない。それでも。


「……来いよ、案内してやる」


 俺の口は気さくなことを言い、手ははぐれないようにと小さな手を掴んだ。
 腹の底では疑っていることはおくびにも出さない。そんな、表裏のある振る舞いをする自分に、それをまったく悪いと感じない自分に、苦笑いが出た。
 だって、そうだろ? この世界じゃあ食うか食われるかだし、それにこんなの、誰もがやってることだ。


「わーい、ありがとー!」


 満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに繋がれた手を握る、あんたみたいな奴の方が珍しいんだよ。だから、こっちも疑いたくなるんだ。そう、胸の中でそっと呟いた。


「今いたところが仕事場な。普段アニキと俺が働いてる場所。で、こっからが俺たちの個人スペースだ」


 俺は非常口と書かれたドアを開け、階段を下りていく。もちろん、彼女の手は握ったままだ。


「非常口って地震の時以外は使っちゃいけないんじゃないの?」
「誰も非常口の向こう側に人が住んでるとは思わねーだろ。だから、万が一警察や敵対組織かなんかに攻められても、裏から逃げ出せるってわけ」
「そっか! あったまいーね!」
「あんたはすんげー頭悪そうだよな」
「え……えぇぇ、そんなぁ!」


 ガーン、という効果音が聞こえてきそうなほどの反応に、俺は溜め息をつく。いちいち面倒くさい奴だな。


「早く入れよ」


 ドアを開け、視線で促す。俺達の家に他人を招き入れるのは、初めてじゃない。けど、俺達の家から無事に出てこられるのは多分こいつくらいのものだろう。


「こっから先は靴脱げよ」
「あ、うん。お邪魔しまーす」


 うなづき、座り込むと一足ずつ脱ぎ、きちんと靴を揃え、端の方に寄せた。しかも俺の分まで。正直こいつがこんな繊細な面を持ち合わせているとは思っていなかった。まぁ、警察の娘だし、躾には厳しかったりすんのかもな、と一人納得する。


「うっわ、何にもない!」


 ……前言撤回。


「勝手にドア開けんな」
「ぎゃっ!」


 部屋のドアを勝手に開けてわーとか言っている如月の襟首を摘み、猫のように引っ張っていった。


「ねぇねぇ、あれ誰の部屋?」
「教えてやんない」


 ただの空き部屋だが、さも重要な部屋のような雰囲気を醸し出してやると、案の定如月は不満たらたらに顔を歪めた。


「えー、そんなぁ!」
「ここはアニキの部屋。またさっきみたいに勝手に入ろうとすんなよ」
「意地悪ー」
「ここがトイレ。場所は教えたからな。漏らすなよ」
「漏らさないもん!」
「どーだかな」


 からかうように言うと、如月の目にブワっと涙が溜まった。もし、これも演技だとしたら、まじで凄い。俺は密かに感心した


「……んで、ここはリビング」
「わぁ、テレビおっきー!」
「そのテレビは主に情報収集用だから、あんたの好きそうなアニメとかは見せてやんねーからな」


 テレビに駆け寄り目をキラキラさせる彼女の後を追いかけながら念を押したが。


「ねぇねぇ、何かDVD持ってない?」
「……全然俺の話きいてねーだろ、あんた」


「持ってないの? しょうがないなぁ、じゃあわたしのトムジェリ貸してあげるよ」
「いらね」
「えー、そんなぁ!」


 またまたオーバーな反応を返される。俺は溜め息をついた。


「あんた、いちいちそんな叫んで疲れないのか?」
「あ、お昼寝の時間忘れてた!」
「幼児かあんたは」
「いいえ、けふぃあです」


 こいつ、絶対ケフィアが何か知らない。そう確信しながらも、俺はそれ以上の追及をやめ、代わりにソファを指差した。


「眠いんなら、寝れば」
「え……いいの?」


 まぁ、騒がれるよりはましだろうしな。そう考えうなづくと、待ってましたと言わんばかりの勢いで如月はソファへとダイブした。


「うっわぁ、ソファふっかふかー!」
「おい」


 ソファの上でピョンピョン跳ねていたガキの襟首を再び摘み上げ、地面に下ろす。


「ピョンピョンすんな、埃が立つだろーが」
「えー、いいじゃんいいじゃん。だって、今日は、お誕生日じゃない日なんだから!」
「……は?」


 誕生日じゃない日? 俺の思考は一旦止まり、それからまた再び動き出した。


「誕生日、じゃなくて?」
「そう。今日はお誕生日じゃない日!」


 誕生日、なら特別な日と表現することは分からなくもない。だけど、誕生日じゃない日は、誕生日以外だ。特別以外だ。つまり、普通だ。平凡な一日のひとつ。 そんないわゆるその他大勢のうちのひとつと表現されるべき普通の日を、なぜ特別に扱うのか、分からなかった。


「誕生日じゃない日は、特別なのか?」
「うぅん、特別じゃない」
「じゃあ誕生日は? 誕生日はあんたにとって特別か?」
「うぅん、誕生日は特別だよ」


 なんだ、概念的には全然おかしくないじゃん。価値観が同じだったことに安堵しつつ、俺は更に質問を重ねた。


「特別じゃないのに、何でわざわざ誕生日じゃない日、なんて呼んでんの?」
「だってだって、」


 その時、ずっと笑みを絶やさなかった如月の顔がやっと悩ましげに歪んだ。本日最初の真剣な表情に、思わず俺は息をつめた。


「お誕生日以外にも日はいっぱいあるのに、お誕生日以外の日にちは全然大事にされないのって、何か不平等じゃない?それじゃあ他の日にちが可哀想でしょ?」


 ずっと笑顔だった奴が急に真面目な顔になってさ。それで、誕生日以外にも日にちはいっぱいあるとか、そんなのは平等じゃないとか、真剣な顔で言われてみろ。


「……っぷ」
「え?」
「はははは!」


 これで笑うなって方が無理だろ。


「ちょっと、ねぇ、何で笑うの?」
「いや、悪ぃ……ただ……」


 さっきの真剣な表情は、確かに一つだけお菓子を買ってやると言われて、必死に考え迷っているガキの顔に見えなくも無かったな。そう心の中で付け加えると、余計笑いが止まらなくなってしまった。


「……あは」


 笑い転げてる俺につられたのか、へらりと頬を緩める如月。それを見た俺は更に笑ってしまった。


「勘弁してくれっ、……笑い死にしちまう!」
「え、何々、何がそんなに面白いの?」
「いや……要するに、誕生日以外の日も大切にしたいってことだな? だから、普通の日じゃなくて誕生日じゃない日って呼んでる」
「そうなの!」


 理解されたことが嬉しいのか、満面の笑みでうなづく。 俺は再び笑ってしまいそうになるのを堪えながら話を続けた。


「じゃあ、あんたは今まであった誕生日じゃない日の特徴全部覚えてるんだな?」
「……え?」


 如月の笑顔が強張る。


「覚えてるんだろ? ひとつひとつ大事にしてきたなら、その日どんなことがあったか、覚えてるはずだぜ?」
「え……あ、あぁ、まぁね!」


 微妙に俺から目線をそらす。そうは言ってみたものの、焦っていることがバレバレだ。


「そっか、じゃあ昨日はどんな日だった?」


 そんな彼女の様子には気付かないふりをする。悪戯心がむくむくと頭をもたげた。


「き、昨日はねぇー……あ、そうだ、オムライスを食べたよ!」
「おとといは?」
「おととい……はねぇー……お昼寝が出来なかった……」
「その前の日は?」


 にやついてしまいそうになるのを必死で堪え、俺は質問を重ねる。


「えーっとね、えーっとね……あー……うー……」
「ほら、早く言えよ」
「き、昨日は……じゃなくて、おと……あ、あさって……?」


 冷や汗を流し、口の中でもごもご呟く。完全に混乱しているな。


「言えねーの?」
「う……」
「何だよ、全然大切に出来てねーんじゃん」
「そんなこと、」
「ないって? じゃあ、何で忘れるんだよ」
「うぅ……」
「ほらな」


 俺は意地の悪い笑みを浮かべ、どんどん追い詰めた。


「要するに、あんたは誕生日じゃない日も特別に扱ってなかったんだよ」
「だ、だって……」


 如月の目が段々潤んでくる。とどめだ。俺は口を開き、大抵のガキが嫌がるであろう単語を呟いた。


「――うそつき」


 ぶわっ。如月の目から涙が溢れた。
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