子犬のワルツ

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「よっ、久しぶり、柚子」

警視庁近くのカフェの窓際の席。久しぶりに会った匪口はいつも通りの笑顔を浮かべてみせている。緊張なんてしていないとばかりに装っているけど、彼がこの店に入る前に木の陰からじっとこちらを見つめてソワソワしていたことを、私は知ってて気付かないふりをしてあげている。

「元気そうで何よりだ。おまえの活躍は知ってるよ」
「そりゃ、ネットストーキングしてたらそうでしょうね」
「楽しかったろ?」
「私たちらしいとは思ったわ」

ははっと笑う匪口の顔を見て、心の片隅が緩む。何にせよ、彼に会えてとても嬉しい。匪口は注文したコーヒーに口をつける。用件は何かと切り出さず、私の心の準備が出来るのを待ってくれているのだ。

「今日呼んだのは2つ用件があるの。まず、あんたに謝りたい」

ようやく私は切り出し、こちらを見る匪口に頭を下げる。

「あんたが刑事になるって聞いた時、素直に喜べなくてごめん。あんたが私から離れちゃうと思って、裏切られた気持ちになったの。でも、あんたの人生なんだから、あんたの選択を尊重した上であんたの友人を続ければよかった」

僅かな沈黙。それから匪口が怪訝そうに私を覗き込んだ。

「おまえ本当に柚子? あの、無愛想で人間の感情の機微全てに鈍感で自分の兄貴以外はどうでもいいと豪語してた早坂柚子? 実は怪盗Xだったりしないよな?」
「何一つ間違っちゃいないけどムカつくわね」
「ってのはまあ、冗談で」

匪口がふと真面目な顔になる。

「許すよ。おまえが銃を突きつけたのも、1人で突っ走って勝手に絶交したのも、その後おまえの兄さん達に脅されたのも、連絡が一切つかなくなったのも」
「随分ねちっこいわね……てか脅されてたの?」
「あのシスコン野郎……今でも腹立つよ」

首を振って冗談だと笑ってみせる。

「でも、今になって分かったけど、やっぱり俺は俺なんだよね。やっぱハッキングは止めらんないし、スーツはかったるいし、色々されても離れてても、おまえのことは好きなままだ」

真っ直ぐ私を見つめ、匪口は一筋の寂しさを滲ませて笑った。

「俺も、ちょっとおまえに脅されたくらいで日和るんじゃなかったよ。次同じこと訊かれたら、血まみれのおまえをキスしてみせるくらいは言わないとな」
「キスしなくていい。誰か殺そうとしてたら、その前にあんたが止めて」

少し眉を釣り上げてそう言ってみせれば、匪口がひええと声を上げる。

「おまえ、本当に変わったな。良い女っぽくなったというか」
「ぽくなったは余計よ」

前と同じようにむくれてみせると、やっと匪口は安心したように笑った。

「….…で、もう1つの用件は?」
「あんたの頭を貸して欲しいの」

私は別れてから起きたこと、これからやりたいことを話した。匪口は少し複雑そうな顔をして黙って聴いてくれた。

「俺から離れてる間、楽しそうにしてたってことが分かったよ」
「はあ? 何をどうしたらそう思うわけ?」
「別に。ただ、学生時代は精々俺とかバイト先くらいでしか交流してなかったのに、随分色んな人と仲良くしてるみたいだなーって」
「別に良いじゃん」
「良いよ、良いけど悔しいの」
「あんただって警察で色んな人と知り合って仲良くやってるでしょーが」
「そうだけど、おまえ以上に話の合う奴はいなかったよ」

その言葉で今まで匪口に募らせていた寂しさが一気に霧散する。どうしよう、嬉しくてたまらない。気持ちを落ち着かせるように、私は無表情を装う。

「……そう」
「あ、嬉しいんだ?」
「べ、別に」
「ふーん」

匪口は急にニヤニヤと上機嫌になる。私は何で気持ちがバレてしまったのかソワソワする頭で考えを巡らせた。

「ま、いいよ。それで? 俺はどうすればいいの?」
「兄さんの企みを暴きたいから、一緒にハッキングしてほしい」
「おいおい、ハッキングは犯罪だぜ?」
「ダメ?」
「ダメに決まってんだろ」

そう言いながら匪口はパソコンを開く。

「ダメか。ダメならしょうがないね」

そう言いながら私は彼の隣に座った。こうして肩を並べるのは、数ヶ月ぶりのことだった。




「やっほー柚子、元気してる?」
「相変わらず軽いわね」

そして、ホテルの自室にやってきたXを私はいつもの様子で迎え入れた。さすがに3度目となると、慣れてはくる。世紀の大悪党がこんなノリでいいのかとは毎回思うけど。

「もー聞いてよ、柚子。ネウロを殺そうと計画練ってるのにさ、うちのアイが怪しまれてるからそろそろ色んな奴に「なっとけ」ってうるさいんだよー。せっかく面白いアイデアを思いついたのにさ」
「アイ?」
「ああ、俺の……パートナーというか、色々やってくれる人がいるんだよ」
「ふうん」
「斉藤銃一と堀口のおばあちゃんは”死んだ”から、これで大分楽になると思ったんだけどなあ」

やけに死にたがっていた初期の彼を思い出す。あれは成りすますのが面倒という理由だったのだろうと、今なら分かる。

「斉藤銃一のことだけどさ」

私は言葉を選びながら口を開く。

「色々調べて、ようやく分かったよ。あんたは久兄じゃなくて、四ツ橋商事の男を殺そうとしてたんだね」

一瞬彼の動きが止まる。

「でも兄さんはあんたの気配に気づいてた。あるいは情報が漏れていたのかもしれない。だから、四ツ橋商事の人間を庇ってわざと撃たれた。四ツ橋商事の人間に恩を売るために」

Xの感情を読み取ろうと彼の瞳を覗き込む。

「兄さんは、四ツ橋商事と手を組んで、麻薬にでも手を出そうとしているんじゃない? 違う?」

一瞬の沈黙。やがてXが足を組んで私を見た。

「どうしてそう思ったの?」
「あんたが前に言ったでしょ。久兄を狙って撃ったわけじゃないって。じゃ、ターゲットは久兄以外の人間に絞られる。つまり、望月信用調査の他の人間か、四ツ橋商事の人間に。その会食には、山内部長がいる。彼の担当するエリアは中米地方。中米地方と言ったら、麻薬の原産地で有名だし、長畑建設は麻薬を売り捌くことで利益の大部分を確保している。大方、法律や社会の目が厳しくなっている暴力団紛いの長畑建設にブツを流すよりも、警察OBの後ろ盾がある大企業望月信用調査に流した方が安パイだと思ってそちらと手を組もうとしたんだと思う。ヤクザは裏切り者を許さない。だから」
「殺そうとした」

Xは、よく出来ましたとニコニコ笑う。

「そうだよ。俺は長畑建設に雇われて、裏切り者の山内を殺せと命じられた。今の長畑建設には、四ツ橋商社と手を切られちゃうのはかなりの痛手だからね。でもあんたの兄さんは身を呈して山内を守った。表からは会社の規模が違いすぎて切り崩せない。切り崩すなら裏からだ。だから、あんたを襲った男はあんたを盾にして早坂部長から手を引くように仕向けようとしたんだよ。でも、情報通の早坂久宜はそんな情報を事前に得ていた。あんたの下の兄さんの方はそんなこと教えてもらってないようだったけどね。俺は実はあんたの上の兄さんから3倍のギャラをもらって買収されたんだよ。もっとも、あんたの兄さんはその後あんたの弟を使って俺を殺そうとしてたけど」

我が兄ながら裏の顔が恐ろしすぎる。情報を握る者は利用し殺す。身内にすら全ては明かさない。けど、彼の計略はここで留まるような底の浅いものじゃない。

「……ていうのが表向けの話だよね」
「は?」
「あんたを逆に買うほどの財力があるなら、暗殺を止めさせるなり、雇い主を殺させるなりすればいい。失敗して変なところを撃たれたらそれこそ大惨事なのに、そんなリスクをわざわざ取ったということは、それだけの目的があるということだと思う。麻薬じゃない、他の何かが」
「ふーん?」
「調べてきてよ」
「俺が? なんのために?」

私は”報酬“をつらつら述べる。Xは面白そうにそれを黙って聴いていた。

「なるほどね。俺は良いけど、それだとあんたの今のご主人様を殺す時期が早まっちゃうんじゃない? それはいいの?」
「その程度であいつが死ぬとは思えないから」
「ふーん。大した信頼だね」
「別にそんな関係じゃない。事実あいつが規格外ってだけ」
「ふーん。……悪くはないけど、報酬としては少し物足りないな」
「いくら欲しい?」
「お金じゃないんだよ」

オーナーの時、情報料を釣り上げるだけ釣り上げたくせに、よく言うよと私は鼻で笑う。

「じゃ、何が欲しいの」

そう尋ねるとXは少し奇妙な顔をした。自分でも何が欲しいのか、言語化を躊躇っているような、それでいて少し期待するような。
しかしそんな隙も一瞬のことだった。

「考えとくよ」

Xはいつものように悪戯っぽく笑ってみせると、登場時と同じくらい軽やかにその場を去ったのだった。

(20190917)
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