子犬のワルツ

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「突然失礼してすみません」

ネウロが形式的に非礼を詫びる。

「先生がおっしゃるには、今このエレベーターに、爆弾魔が乗っているそうですよ」

エレベーターの乗客4名に戦慄が走る。

「ど、どういうことですの……この中って……大変なことじゃないの!」

日焼け止めの帽子を被ったマダム風の女性が慌てふためく。

「何ですか、爆弾魔って……いきなり失礼じゃないですか」

セーラー服に身を包んだ少女はいかにも生真面目そうな表情を不機嫌そうに歪める。

「ええ、そんなこと言われても……おーよしよし、泣かないの……」

若くて人当たりの良さそうな女性は腕に抱いた赤ちゃんを困った顔であやしている。
その隣には、髪の毛の長い色気のある女性が、おどおどと肩を縮こまらせていた。

「おや、全員女性ですか。しかし性別は関係ありません。先生が示している通り、皆さんのうちの誰かがヒステリアなのです」

ネウロはすぐには犯人を指し示さない。謎を解いた後の敗北感が増すように、じっくり確実に相手を追い詰めていく。それに対して彼女たちは各々の困惑を示した。

「なあ。本当にこの4人の中にヒステリアが混じってんのか?」
「ええ。とにかく、一回エレベーターを出て、女子トイレに行きましょう。面白いものを見せたくて!」
「面白いものって……ま、まさか爆弾じゃないでしょうね?」

平静を装えないマダムを先導するネウロは、「ははは、ご安心ください。大したものではありませんよ」と無邪気に笑う。

「ただ天井裏に巨大爆弾が仕掛けられてるだけですから」

女子トイレの天井裏から垂れている配線に全員が口をあんぐり開けた。

「ちょ、ちょっと待て、見つけたんなら早く言えって。処理班呼んだり、避難させたり……」
「犯人だって、自分の命は大切です。身の安全が確保されるまで爆破は控えるでしょう」

先生の推理を振り切ってこのホテルから出るまではね、と断ずるネウロと弥子ちゃんだけが冷静だ。もっともネウロのことだ、爆弾を直撃しても死にそうにないし、本当にやばくなったら魔界道具の1つや2つは使うんだろうけど。

「それで、この中に犯人はいると?」
「ええ!」
「何でその結論にたどり着いたのかは知らねーが、確かに4人とも連れもなしに展望台に来てるってのは、微妙に引っかかるな」

幾らか落ち着きを取り戻した笹塚さんが4人に視線を向ける。

「ちょ。ちょっと、そんな理由で私たちが容疑者? 私は高いところが好きなだけよ!」

マダムが泡を食いぎみに弁明する。

「ほら、私って見ての通りセレブじゃない? 洋服も立ち振る舞いも高いのが好きで、このビルも展望台もしょっちゅう来てるのよ。ねえ、そんなことより早く逃げましょうよお」
「そうですよ。何でこんな真面目な私を疑うんですか」

セレブに便乗し女子高生も自分の無実を訴え始める。

「言った通りこれから塾だから、リラックスしてからいこうと思ったんですよ。知ってます? 最近の受験戦争、どれだけストレスがかかるか……」

うんうん、分かるよ分かる。大変だよね。

「ねえ笹塚さん。この子だけ帰してあげない?」
「ダメだ。自分も真面目だったからって肩入れしないの」

小声の提案は即却下され、私はむうと口を尖らせる。

「だって、女子高生が犯罪に手出す確率なんて低いじゃない」

笹塚さんが黙って鏡を指差す。

「……」

私は黙って口を閉じた。

「それを言うなら私だって疑われる理由はないわ。この子に綺麗な景色を見せてあげたかっただけよ。綺麗なものだけ見せないと、この子悪い子に育っちゃうでしょ」

すやすや眠る赤ん坊を抱きしめる若い母親は見るからに善良そうだ。絵に描いたような理想の母親が眩しく見える。
そして、もう1人の容疑者は。

「……うう、ごめんなさい。爆弾って聞いたら涙が出ちゃって」

可憐な声を震わせながら、色気のある肌に涙を伝わせている。

「私の彼、殺されたんです……ヒステリアの爆弾で!」

冷たくされたこともあったけど私は大好きだったと彼女はしゃくりあげる。

「それで、悲しみを紛らわせたくてここに来たのに、よりにもよってヒステリアに間違えられるなんて!」
「なるほど、お気の毒です」

ネウロがいつもの興味ゼロな表情でさらりと流した。

「だけど、朝から入り口を張ってたけど、こんなでかい爆弾、誰も持ち込んだ様子はなかったぞ」
「ええ、実はこれ、昨日既にあったんです。起爆前に発見できたのはラッキーでした。信管は携帯を使った無線式で、解除には何重ものトラップを潜り抜ける必要がありましたが、先生をなめてはいけません、こんな作業はお手の物なのです」

私は思い出す。爆弾の構造をパズルのように解いていくネウロの姿を。

ーー「爆弾、あっさり見つけちゃったね。私的には良かったと思うけど、ネウロには何の謎もなくて不満じゃないの?」
ーー「何を言う。悪意と殺意に満ち満ちた複雑な迷路。この爆弾自体が立派な謎だ。柚子、来い。この構造もこれはこれで面白いぞ。これもすなわち、1と0の世界だからな」

「そして先生の狙い通り、信管を仕掛け直すため、あなたは戻ってきた。でしょう?」

その言葉とともに、桂木弥子は指を差す。赤ん坊を抱えた無害そうな若妻を。

「……じょ、冗談はよして! 何を根拠に、」
「根拠も何も、ずっと見てましたよ。あなたがそこのトイレから通気口に入り、信管を仕掛け直すところまでね」

トイレの個室の鍵の色に細工をして、空室に見えるように仕掛けておいたのだとネウロはのたまう。

「ご心配なく。2回目だったので、彼女を追う前に爆弾はすぐに解除できましたし、証拠だっていくらでも残っています。たとえばあなたの携帯」

トートバッグからひょいと携帯を抜き取る。

「発信履歴に片っ端からかけていけば、すぐに繋がるでしょうね。あなたの携帯からそこの爆弾へのラブコールが」

若妻の額に汗が伝い落ちる。周囲は固唾を飲んで見守るが、彼女の口からはついに反論が溢れることはなかった。

「……ああ。正体がバレて悔しがるべきか、喜ぶべきか」

沈黙を破って出てきたのはそんな言葉。

「うん、わかってる。当然喜ぶべきなんだよね」

そして、この場に似つかわしくない笑顔だった。

「私の中には1人の彼、本能が存在するの。脳の中のあらゆる破壊衝動を、掻き集めて組み立てた本能が。おお、よしよし」

赤ん坊をあやし、幸せいっぱいの笑顔で抱きしめる。桂木弥子が若妻ーーヒステリアの行動を怪訝に見守る。

「結婚して4年経つ。子どももこの子で2人目。私は旦那と子供を愛してるし、旦那だってそれは同じ。とっても平和な家庭……でもね、1つだけ問題があるの」

不意に彼女が犬耳カチューシャをバッグから取り出して、頭に装着するーーえ、犬耳カチューシャ?

「ほーら、高い高ーい……ぶっちゃけられないの!! 家族の前では本能の部分を出せないの!!」

そしてその豹変は突如起こった。ヒステリアは犬のような獰猛な表情を浮かべ、吠え散らかした。

「外に出したいの、この破壊衝動を!! 壊したくて壊したくて、仕方ないのよ!!」

桂木弥子が怒声に肩を縮める。驚いたのは、彼女が抱いていた赤ちゃんも同じ。おぎゃああと泣き始める子どもを高い高いの位置からゆっくり下ろし、聖母のような表情であやし始めた。

「おーよしよし。いい子いい子、泣かないの……ケンちゃんはいい子だ……よしよし……」

子どもが段々と落ち着きしやくり上げる。その様子を見ながら、ヒステリアは再びぽつりぽつりと語り始める。

「でもね。家族の前では良き妻、優しい母親でいなきゃダメ。私の中の本能なんて見せたら、この子だって悪い子に育っちゃうでしょ」

誰も同意する者はいない。容疑者とエレベーターに乗り合わせた3人の女性なんて完全にドン引きしている。

「だけどあなたは、どうしても破壊衝動を満たしたくて……」

桂木弥子は今までの話を頭の中で纏めながら、確認するように声をかける。

「家族の見えないところで、爆破を繰り返していた?」
「そーに決まってんじゃねーかあ!! やっぱ人間ぶっちゃけて生きねーと!!」

堪えきれなかったのか、溢れるように彼女の体から罵声が飛びだす。

「おまえらだって、本当にやりたいことがあるだろーが! それを隠すな! 取り繕うな! そんな姿は見てて苛々するし、自分でやってても苛々する!!」

赤ん坊が再び泣き始め、聖母モードに入るヒステリアを見て、私は思う。正直、一見人畜無害な彼女が爆弾を仕掛けていった時は驚いた。そして今、犬のように本能剥き出しで狂ったように叫び転がる姿も。普段とのギャップが大きすぎて、とてもじゃないが同一人物とは思えない。そりゃもちろん、誰しもある程度表と裏を使い分けて生きているとは思うけどーー

そこまで考えて私の脳裏に浮かんだのは、完璧だけどどこか温度のない笑顔を浮かべる久兄と、思う通りにいかないと加虐的な色を覗かせるユキ兄の姿だった。
久兄に関しては、分からない。なぜああも、兄弟に対しても高圧的で心を閉ざした秘密主義の男になってしまったのかは分からない。それが彼にとって幸せなのかどうかも。
ただ、少なくとも私は壁を感じてどうしようもなく寂しいし、近くで仕事をしているユキ兄はもっと強く孤独を感じていたはずだ。ユキ兄は私以上に兄さんっ子だし甘えん坊だったから、きっと辛かったと思う。実際、最後に見た時の暗い双眸や小さな背中から得た私の印象は、考えすぎなんかじゃないはず。
そうやって愛情に飢えたユキ兄が、身近な別のところで愛情を満たそうとした先がきっと、私なわけで。
その肝心な私が、匪口やら早乙女金融やらにうつつを抜かしていたから、強い所属と愛の欲求が彼の中で大きくなって、そしてーー弾けた。

ーーそういうことだったのか。ようやく理解できたよ、兄さん。ヒステリア
喚き散らす中、私は1人別のことに少しだけ思いを馳せて、笑った。

「カードの中に爆弾の場所のヒントを隠したのもそのため……おお、よしよし、泣かないの……あれに気付いた人たちは他にもきっといるはずよ。そしてその中には必ずいる。自分も衝動をぶっちゃけたいと思ってる人たちがね。だからこのビルを仕上げの爆破に選んだのさ!! そいつらがどこにいても見えるような……このド派手な目標をな!!」

その人達はきっと楽しみにしているから、気付いても黙っているのだと彼女は穏やかに言う。

「なぜなら見たいから。このビルがぶっちゃけることで、自分の心もぶっちゃけられるから……うるせー!! 人が喋る時は黙って聞けや!!」

突如赤ん坊に怒りの矛先を向けるヒステリア。赤ん坊がびっくりして逆に涙すら出ないようだ。

「みんな気付こう? 心の中の破壊衝動から目を背けないで。一緒にこの大爆破を見届けようよ。そして、心の中の本能をぶっちゃけさせましょうよ。私たちはみんな動物なの。そう。我々は皆……人間という品種の犬なんだ!!」

赤ん坊に向けて再び吠えるヒステリア。見兼ねた笹塚さんが考えた末、「途中から逆になってねーか? その子に向ける顔と俺らに向ける顔が」と突っ込んだ。

「はっ! ごめん、ケンちゃん、うっかりしてた!」
「……まあ、あんたの主張はよくわかんねーけどさ。今吐いた一連の台詞は自白と取っていーんだよな?」

携帯を取り出し、笹塚さんは笛吹警視に電話をかける。犯人を確保したこと、爆弾処理班と避難の手配の依頼。そして。

「……ああ、そうだよ。手錠はあんたがかけてくれ」

顔色ひとつ変えずに手柄をあっさり笛吹警視に譲ってみせた。

「手錠……笹塚さんがかけないんですか?」
「せっかく上司をぎゃふんと言わせるチャンスだったのに」

桂木弥子と私が解せぬと首を振るが、笹塚さんは「ん、まーな、指揮をとってるのはあいつだし」と少しも残念そうな表情を見せない。

「俺の印象も悪くならないし、そーいうもんさ」
「……ふーん」

私だったら、決定的に見せつけて上司をぎゃふんと言わせて状況を抜け出すけどなあと思う。まあ、笹塚さん自身があまり出世に興味がないというのもあるかもしれない。警察が徹底的な上下関係で組織されていることも一因ではあるかも。それか、笛吹警視があんまり嫌いじゃないとか、相手に対して……どこか遠慮しているとか。
気持ちの良いどんでん返しとまではいかないが、いずれにせよ、部外者の私が口を挟むことじゃないか。

「あらあら、もう手柄の話なんて、気が早いのね。まさか、これで解決と思ってるんじゃないでしょうね?」

そんな会話に口を挟んできたのは、他ならぬヒステリア、彼女自身だ。

「まさか、私の皆へのメッセージの集大成が、爆弾ひとつ設置して終わりなんて、それは本能に対してぶっちゃけが足りないと思わない?」

エレベーターの乗客がまさか、と嫌な予感に顔を歪ませる。

「こんな時に備えてもう一つ、予備の爆弾が作動を始めてるわ。ちょっとだけ威力が劣るのが残念だけど、これと違って、とっても解除しにくい場所よ。あなた方の貧弱な理性に、私の爆弾は止められない」

そう言うとヒステリアは挑発的に笑った。

「私は爆弾魔。だから私はカワイイ。私の名前はヒステリア。……絶対なる本能に従う忠実な犬よ」
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