子犬のワルツ

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「おまえか、柚子」

一仕事を終えた後、下の階の空き部屋に寄ると、吾代さんがしかめ面で片手に発泡酒を持って出迎えてくれた。

「こんなに遅くまで仕事か?」
「まあ、そんなとこ」
「あんの化け物、夜遅くまで年頃の娘を連れ回しやがって」
「何、心配してくれてんの?」
「馬鹿! んなわけ……」

言いかけてふと、黙り込む。

「……ったりめーだろ」

少し真面目な声色で真っ直ぐ見つめる。

「今までどれほど危険に首突っ込んできたと思ってんだよ。1ヶ月も連絡取れない状態で死ぬほど心配させた挙句、全身傷跡だらけで帰ってくるなんざ、俺はもうごめんだぜ」
「それはごめんってば。もうしないよ、心配させるようなこと」
「信用できるかよ」

その言葉、つい最近も聞いた記憶があるな。私はつい口の端を緩める。

「おい、何笑ってんだよ」
「あんたら、拘束プレイで思考回路まで似てきちゃったわけ?」
「はあ?」
「1ヶ月前にあの射撃場であんたと一緒に手錠かけられた男がいるでしょ。あの人と今日たまたま会ったんだけど」
「あのスカした野郎とか?」

吾代さんが顔を歪める。

「そう。あの人もあんたと同じこと言ってたものだから」
「ああ、あいつーー」

吾代さんと笹塚さんは、高血圧と低血圧、熱血と冷静。例えるならば火と油だ。彼が口を開いたとき、気の合わない彼の悪口でも言うのかと思った。

「ーーあいつも、すげー心配してたぜ」

だから、ぼそりと彼がそう呟いたのは、少し意外だった。

「引きちぎれるわけがねーのに、無理やり手錠を引きちぎろうとしてた。手錠を外された後はあちこちに電話して、駆けずり回ってた。10日経った頃に、裏の世界でも特に危ないって言われてる情報屋で一度偶然会ったこともある」

裏の世界で危ないって言われてる情報屋に、刑事の彼が? 後ろ暗いことをすれば足を引っ張られて出世から遠ざかるかもしれないのに。

「刑事のくせに……」
「あいつ、警察なのかよ? 通りで気に食わねーと思ったぜ」

吾代さんがムカつくとばかりに顔を歪めたのも一瞬だけだった。

「….…まあ、でも大した問題じゃねーだろ」
「そう、かな」
「知らねーけど。警察だってただの職業だろ。それだけでそいつの全てが決まるわけでもあるまいし」

まっ、気に食わねーことには変わりないけどな。そう冗談めかして毒突く吾代さんは、ただどこか寂しそうな表情を浮かべていた。
彼の反応に物足りなさを感じ、私は唇を尖らせる。

「でも、あの人が刑事だってずっと黙ってたの、許せない」
「おまえだって、この事務所でバイトしてたことずっとアニキどもに黙ってただろーが」
「う」

それを言われると私は弱い。軽く睨んだが、吾代さんはどこ吹く風だ。

「じゃ、たとえばだけど、俺が刑事になったらおまえどう思うよ?」
「あのね吾代さん。小卒は刑事にはなれないんだよ」
「たとえばの話だよ! ……それで俺のこと嫌いになるか?」

現実味の全くない話に、しかし私は顔をしかめ精一杯想像してみる。

「うーん……多分、嫌いには……ならないけど」
「だろ」

少し安心したような彼は、なにかを誤魔化すかのように一気に缶を呷った。

「おめーがこうやってグズグズ恨めしく思ってんのは相手に期待しすぎてるからだ。相手の好き嫌いや許せる許せないがあるのは人間だからしゃーねーけど、あいつにはあいつの人生があんだからよ、部分的に切り捨てるか全部受け入れるかしてどうにか割り切った方が気持ち的に楽だと俺は思うぜ」

期待。現状にぴったりの言葉に私ははっと顔を上げる。確かに私は匪口にも笹塚さんにも期待をしすぎていたのかもしれない。こんなに仲良いんだし、ハッキングに通じているなら、今後もずっと仲良く一緒に悪戯したり仕事でも手を組んだりできるかなとか。銃の腕がこれだけすごいならさぞかし裏社会でも大活躍の人間に違いない、今後も師匠として困った時はアドバイスが欲しいとか。自分の望む理想像を、彼らに押し付けて、失望していたのかもしれない。

彼らにだって過去の経験や現在の考え、未来の展望がそれぞれあってしかるべきなのに。

「……最低だ」

「従順で大人しい妹」像を強要されて息苦しさを感じていたのに、私は他の人にはなにも考えずに同じことをやってしまっていたことに、今になって気付くなんて。

「んな顔すんなって。別に今まで通り接すりゃいいだけの話だ。あいつが刑事だろうが何だろうが、おまえを大切に思ってることには変わりはねーんだろうからよ」

髪の毛をぐしゃぐしゃに撫でられ、私は目を細める。吾代さんのこれは、ぶっきらぼうで少し力が強いけど、昔から安心できた。けどふと見上げた彼の笑顔はどことなく寂しげで、私は何となく、吾代さんにも「頼れる兄貴分」という理想を押し付けてしまってやいないだろうかという不安が頭をよぎった。

「あんた、いつのまにそんなに大人になっちゃったの?」
「うるせー俺は元々おまえより年上だぞ」

からかってみせると彼は私の脇腹を小突き回す。痛いと叫び彼の脇腹にパンチを入れたらモロに入ったらしく、悶絶していた。

「あ、ごめん」
「てめぇ……っ! この野郎……っ!」

やばい。私は上の階へ退避しようとし、襟首を掴まれ、私はぎゃあと叫びつつ、こっそり目を細め彼を観察する。彼が気を遣っていないか。意外と責任感の強い彼は、そうと見せずに気を遣うのがとても上手いから。




よく晴れた、気持ちの良い天気だった。
私はネウロの指示に従い、クイーンメアリーズホテルの前に立っている男を迎えにきた。

「……柚子ちゃん」

張り込みをしていたであろう笹塚さんは私を見て、少し呆れたような表情を浮かべている。

「君は本当に懲りないね。いくら言っても危険に首を突っ込んでばかりだ」
「そうね」

想像通りの反応に、私は少しだけ笑ってしまった。

「でも、諦めて。私は大人しくしていられない性格なの。能力だってないわけじゃないし、与えられた仕事はきちんとこなしたい。誰がなんと言おうと、自分の好きなようにしようと思う」
「まさか開き直るとはね……」

頭に手を当て、はあと溜め息をつかれる。

「危ない目に遭ったらどうするつもり?」
「ネウロがいるしあんたもいる。その辺の銃を持つよりよっぽど心強いわ」

両手を広げ武器なんて持っていないとばかりにアピールをすると、笹塚さんがじっと感情の読みにくい瞳で見つめ、息をついた。

「その目は反則」
「どの目?」
「その信じきっているような目。一体どういう風の吹き回し?」
「……お互い様だと思うことにしたの」

エレベーターへ歩き出す私を笹塚さんが追いかける。

「どこに所属して何してようが、あんたはあんただし、私は私。完全に白黒つけることは出来ない。思ったように生きるから、あんたも後ろ暗いことだろうがなんだろうが、好きなようにすれば良いじゃない。……って考えた方が色々都合がいいと思って」

「……馬鹿なこと言うなって言いたいとこだけど……これじゃ何を言っても聞きそうにないな」

隣に並ぶ笹塚さんが、もう諦めたとばかりに首を振る。私の言葉が、彼のスタンスにマッチして、届いた証拠だ。私は頬を緩める。きっとこれが、人として受け入れ合うってことだ。悪くない感覚。兄さん達ともこうやって妥協し合えたら良いのにとも思うが、きっと彼らには彼らの言葉があり、別の説得を考える必要があるんだろう。
それより今は目の前の仕事に集中しないと。

「楽しみだね、刑事さん」
「何が?」
「相手の土俵の上で完膚なきまでに叩き潰すのが」

エレベーターに乗り込むと、笹塚さんが僅かに顔をしかめた。

「その笑顔はやめて。怖い」
「失礼。上司に似ちゃったのかも」

エレベーターが展望台のフロアに止まる。ホールでネウロ達と落ち合うと、しばらく私達は人々が立ち替わっていく様を黙って見守っている。そして。

ネウロがふと歩き出すと今にも閉まりそうなエレベーターの扉に手を突っ込んでゆっくりとこじ開けた。

中には驚いたような表情を浮かべる利用客が数人。ただネウロが動いたからには、この中にヒステリアが、いる。

「犯人は……おまえだ!」

桂木弥子の手が、エレベーターを指し示す。顔のひきつるエレベーターの乗客を見渡し、私は思う。

犯人、証拠、自供の場、そして狂言回しのネウロ。カードは揃った。笹塚さんの革命のスタートだ。
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