子犬のワルツ

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彼はそのまま厨房に入っていく。中には店員もおらず、捜査の喧騒が遠くに聞こえるだけだった。
ドアを閉めて彼の元に警戒しながら近づく。

「言いなさいよ。あんた、何て言ったの」
「何も言ってない。面倒だし」
「そんなの信じられるわけないでしょ」
「君は、俺が違法射撃場に出入りしていることを他の人間にバラそうと思うかい?」

虚を突かれた私は一瞬黙り込む。そんなこと、考えつきもしなかった。

「その手があったか」
「こら」

笹塚さんが呆れたように溜息をつく。

「君がすぐには俺を陥れようとしないのと同じように、俺も別に君達を売ろうなんて考えてない。出世にもそんなに興味はないしね」
「そんなの、信じられるわけない」
「そういう気持ちもよく分かる」

笹塚さんが冷蔵庫の張り紙をぼんやり眺めながらこちらにゆっくり歩み寄る。

「俺も君のことを信じきれてないからね」

その言葉にどきりとするが、負けじと彼を強く睨む。

「別にあんたに信じてもらいたいなんて、」

言いかけた瞬間に風がぶわりと割れる。咄嗟に上半身を逸らそうとしたが、背中に壁がある。笹塚さんの体が思ったよりも近い。突き飛ばそうとして逆に両手首掴まれてしまう。

「っ、このっ、大声出すわよ!」
「あの日俺がどれだけ心配したか分かる?」

その言葉に彼の股間を蹴り上げようとしていたことも一瞬忘れる。

「いつになく鬼気迫った様子でひたすら撃つわ、兄さんのためならと自暴自棄になるわ。あんたの兄さんの様子も只ならぬ様子だったし、その後ばったり消息は途絶えるし……調べても君の情報、全然出てこねーし」
「調べる?」

正直笹塚さんからしてみれば単なる顔見知り程度の存在だろうと思っていたので、そこまで心配されていたことや手を尽くされていたことに、戸惑いを覚える。それと、心配させたことへの罪悪感も。

「それに関しては……ごめんなさい。心配かけたことに関しては、反省してる」

目線を伏せて小さく頭を下げる。笹塚さんは一瞬だけ目を小さく見開いたが、すぐにいつまの無表情に戻る。

「ダメ。前は君に騙されたからね。君の”ごめんなさい”と”危ないことをしない”は信用しないことにしてる」

ずきり、痛む胸に腕の力が緩む。彼の手が私の両手を掴んだまますっと下げていく。
ふと。スカートの中に何かが侵食する感触がした。

「ふっ、あっ、」

足元に吹き込む風のひやりとした感触に、心が一瞬無防備になる。太腿に括り付けていた銃をするりと抜き取られた。

「やっぱりね」

笹塚さんが私からすっと体を離す。

「君のことだから、どこかしらには持ち歩いていると思ったよ」
「……へ……変態!」
「何とでも言えば。ああ、でも、さっきみたいな声は出さないほうがいい」
「出したくて出したわけじゃない!」
「意外と初なのは可愛い一面だけど、心配だな」

殴りかかろうとした瞬間、彼が厨房の扉を開け放し、捜査する警官たちが目に入る。さすがに警察の前で暴力沙汰を起こすほど馬鹿じゃない。

「あんた……こんな意地悪して、武器奪って、それでも刑事?」
「刑事である前に俺は俺だよ」
「銃を取られたら、どうやって身を守ればいいのよ」

その時、笹塚さんが背中越しにちらりと視線を寄越した。

「……頼ればいいだろ」

その眼差しが少しだけ寂しさを孕んでいるような気がして、私は一瞬言葉をなくした。捜査へと戻っていくベージュの背中を見ながら、彼はあの言葉を言う時、なぜ寂しそうだったのか分からないままだった。




「考えても見ろ。今回の爆弾はこの携帯に埋め込まれていたんだぞ。建物に置いたり他人の鞄をすり変えたりするのとは訳が違う。組み込むには長い時間を要するはずだ」

現場に戻ると、笛吹警視が周りの警察官に推理を披露している最中だった。

「つまり、たまたま被害者と居合わせた程度の者に、この犯行は不可能! 長い時間一緒にいて改造のチャンスを狙えるような、顔見知りのセンが濃いということだ。そして、この犯行カード――」

 笛吹警視が証拠の鉄製のカードを取り出した。ヒステリアが犯行跡に残すというそれは、ピンク色の背景に犬のイラスト、お洒落なイタリック体で書かれた英語のメッセージ……あれ、綴り違くない?

「衆人環視の中これを置いた度胸は褒めてやるが、今回はこの狭い店内を選んだのが運のツキ。必ず誰かに姿を目撃されているハズだ! 無差別に爆破をしてきたあいつが、今度は知人に手を出した……いや、案外ヒステリアはこの男一人を殺すための煙幕として、無差別爆破を繰り返した、という可能性も十分ある」

なくはないだろうけど、自分の技術をひけらかすような多種多様な爆発方法や自分の存在を強くアピールする名刺の作成を踏まえると、その線は薄いような気もする。まあ動機の推察なんて私には門外漢にも程があるけど。

「ともあれ親しい知人をあたるんだ! その中に必ずいるはずだ! さっきまでこの店に目撃されている奴が!」
「果たしてそうでしょうか」

熱の入った笛吹警視に水を差す者が1人。

「先生に命じられて店内の人から証言を聞きましたが、あなたと違って先生は、犯人を顔見知りとは断定しませんでしたよ」
「……何ィ?」

 桂木弥子の頭を鷲掴みにしたネウロが笑い、笛吹警視の神経を逆撫でする。

「被害者は、最後の電話でこう言っていたそうです」

 ――「切るぞ! 電波わりーから電池減んのはえーんだよ!」

「おそらく電池切れの警告音がしていたのでしょう。本人にとって予想外の電池の消耗。彼はそれを電波が悪いせいだと思った。ですが、この店内の電波状況は概ね良好。電池の減りを早めるほどとは思えません」
「何が言いたい?」

 ネウロは携帯の部品をずらし、電池パックを取り出してみせる。

「携帯のパックは、ワンタッチで取れます。機種さえ合えば、すり替えに数秒もかかりません。ちなみに犯人もこの場にいた確証はありません。少々カードをお借りしましたが」
「え……あ!!」

 胸ポケットに手をやり焦る笛吹警視。

「貴様、いつの間に!!」
「この軽くて丈夫な金属製のカード。携帯のバッテリーと実に近い大きさです。これもついでにフタの裏に仕込んでおけば、爆発と同時にその場に舞い上がる。わざわざトイレの隙にカードを置く必要がない」

ネウロの推理の方が現場の証拠や状況に踏み込んでおり、説得力がある。笛吹警視も心の底ではそう思っているのかもしれない。ただ、一瞬唇を噛んだ後「その推理にも確たる物証はないだろうが!」と怒鳴る。

「私の推理が正しいならば……犯人は知人だ! そして、この男を殺すことで犯人の目的は達成されているハズだ!」

 笛吹警視が人差し指を突きたて「つまり」と胸を張って宣言する。

「奴はもう爆弾は仕掛けないッ!!」

 その時、地の揺れるような爆音が響き渡り、彼の背後の窓から、大きな爆発が起きるのが見えた。写真で見たきのこ雲が浮かび上がるのと同時に、笛吹警視の眼鏡がずれおちる。

「……おやおや。1日に2発とは、今日の”奴”は随分と調子が良いようですね。どうです、笛吹警視?」

店内が静まり返る中、ネウロだけが余裕を崩さない。

「名探偵の先生にヒステリアの事件を任せる気は、まだ起きません?」

(20190721)

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