子犬のワルツ

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この間の堀口氏の事件を通してXの特殊能力が露呈された。世間では連日テレビやネットで、専門家も素人もああでもないこうでもないと議論し、押し寄せる不安と戦っている。
それはそうだろう。自分の知人が実はサイコパスな連続殺人犯でしたなんてホラーにも程がある。Xは一度ユキ兄に擬態したが、あの時は本気で私を騙そうと思ってやったわけではないと思う。本気を出してユキ兄に化けられたら、私でも分かるかどうか。

「怪盗Xのことで皆さん不安になるのはわかります。警視庁でも今回の話を聞き、全力で捜査にあたっています。X対策として、友人・家族で合言葉を設定すると良いでしょう」

警視庁のアカウントも珍しく真面目に注意喚起を流している。私は少し考えると、リトゥイートし、それとは別に空リプライという形でそっと呟く。

「警視庁アカウントさんがXに乗っ取られた場合はすぐに分かりそうですね。こんなふざけた公式アカウントはなかなかありませんから」

呟いた瞬間から何人かからいいねが付き、同意するリプライが付く。匪口がエアリプライで落ち込んだ旨を呟いたのを見つけ、頬を緩める。匪口とは2人しか知らない秘密が多く、Xに成り済まされても何だかんだ見破れる気がする。各所にハッキングし悪戯した日々、冗談の数々、今もなお2人しか気付いていないであろうやりとり。懐かしさと共に切なさが込み上げてきて、私は溜息を軽くつく。最後の別れ際に絶交を突き付けた私が、これ以上の関わりを求めるのは虫が良すぎる話だ。
兄さん達や匪口との関係を見れば分かるけど、私はつくづく周りの人と人間関係を結ぶのが下手だ。最終的に自分の身勝手さで相手を傷つけ、遠ざけてしまう。

桂木弥子のようにもう少し他者に思いやりを持って素直に接することが出来れば、少しは変わったんだろうか。

「ただいまー!」

その時丁度、桂木弥子が勢いよく事務所に駆け込んできた。手には教科書を抱え、台所へと急ぎ足で向かっている。そしてあかねちゃんの本体の膨らみへと直行すると、教科書からあかねちゃんを取り出しセットしてからふうと一息ついた。

「はあ、危なかったー」
「……おかえり?」
「あ、柚子さん、ただいま!」

なかなかシュールな絵面だけど、桂木弥子にとっては日常らしい。何事もなかったかのように「あかねちゃんのバッテリーが切れそうだったから、慌てて事務所に戻ってきたの」と説明してくれた。うん、分からん。

「教科書にバッテリーを仕込み、アカネを外に持ち運べるように改良したのだ。ただ、バッテリー自体は単純なものだったからな、充電切れになる前に戻ってきたというわけだ」

ネウロがそう付け加えると、同意をするようにあかねちゃんがおさげを縦に揺らす。その様子を見ながら桂木弥子が「せっかく家でお風呂に入れてあげようと思ったのになあ」と溜息をついた。

「複雑化させればバッテリーの寿命も延びる」
「本当? じゃやってあげようよ!」
「やってもいいが、中の問題も複雑化して難易度が5倍になる」
「それはダメ!」

桂木弥子の変わり身の速さ。

「なんで私だけそんな高度な教育受けなきゃいけないの? ただでさえ赤点三昧だってのに」
「そうなの? 意外ね」

物事の本質をさっと掴むのがうまそうなものだけど。そう言ったら桂木弥子が頬を赤く染めた。

「そ、そんなぁ柚子さん、褒めすぎだよぉ」
「謙遜するなヤコ、この前ゾウリムシに勝つという快挙を成し遂げたではないか!」
「ああ……うん……思い出させてくれてありがとう……」

思い出して萎えたのか、しょぼんと桂木弥子が肩を落とした時。

「邪魔するよ」

ノックと共に、低い男性の声が飛び込んできて、私はびくりと肩を震わせた。妙に聞き覚えのある声だ。顔を上げた瞬間、桂木弥子の嬉しそうな顔とドアの傍に立つ人物が目に入った。

「あ、笹塚さん!」

扉が開いて露わになった長身はベージュのスーツに包まれている。色素の薄い髪の毛と瞳は、しかしどこかくたびれたような雰囲気を醸し出している。この人は、

「笹塚、さん?」
「……柚子ちゃん、」

同時に言葉を発しかけて、口をつぐむ。射撃場は裏社会の社交場。表で会っても知らないふりが暗黙の了解だ。だけど、私は何でここにいるのかと彼を強く視線で射抜き、彼は彼で前回の記憶が蘇ったのか、僅かに瞳を揺らめかせていた。

「あれ、2人とも、知り合い?」
「うん、まあ」

素性は知らないけど、銃の師匠だよ。この間はお互いに手錠をかけあうなんて駆け引きをしたんだ、だなんてとても言えない。
なぜここにいるのかという疑問と、無条件に湧き上がってきた会えて嬉しいという感情が、あの日の屈辱に押し流されていく。私が顔をしかめて言葉を濁せば、笹塚さんも話題を変えるかのようにレジ袋を持ち上げてみせた。

「事務所開いたらしいから一応挨拶しとこうと思って。一応祝い品」
「なんだろ……わぁ、たこわさ!」

た こ わ さ。女子高生も探偵も祝いも関係ないけど、本人が喜んでいるならいい……のか?

「俺がいつも買ってるデパ地下の。多分いけると思う」
「大好き! ありがとー笹塚さん! ご飯いくらでも食べれちゃう!」
「まーね、俺は酒のつまみにしてんだけど」
「うんうん、ビールともポン酒とも抜群なんですよねえ!」

一瞬場の空気が凍る。やがて、笹塚さんが懐に手を入れ、金属が微かに擦れる音がする。

「なんで知ってんの? まさか」
「いやいやいや! 親が言ってたんですよ……って、うわっ」

桂木弥子の手を引っ張り笹塚さんから距離を取らせる。

「油断しちゃダメ。こういうのは捕まったらお終いなの。捕まる前に逃げるのが一番」
「や、やだなあ、柚子さん、笹塚さんは冗談で言ったに決まってるじゃん……多分」

威勢良く庇うも、笹塚さんの手に握られた手錠を見て、小さく付け加える桂木弥子。

「さ、笹塚さんも、まさか本当に逮捕なんてしないですよね?」

桂木弥子が汗をかきながら放った言葉に、一瞬思考が止まる。

「……逮捕?」
「え」
「逮捕ってことは……この人、警察か何かなの?」
「警察っていうか、笹塚さんは刑事さんだよ」
「……へえ。笹塚さんて、刑事なんだ。……それは知らなかったなあ」

裏の射撃場に出入りしていたくせに、と言外に非難の気持ちを込めれば、笹塚さんは短く「まあ、一応」とだけ答える。私の刺々しい空気にネウロは高みの見物、桂木弥子はどうしたらいいか分からない様子だ。

「……そう」

まさかここでまた匪口と同じ目に遭うとは思ってなかった。私は腕を組みそっぽを向く。彼はどういう気持ちで射撃場に通っていたんだろう。女子高生を危ない目に合わせたくないなんて良い人ぶっておきながら私に射撃を教えて、いざ実際に襲撃に向かう私を「保護」しようだなんて。私を掌の上で転がして心の中で笑っていたんだろうか。刑事のくせに。

「別に良いけど。兄さん以外はどうでもい……」

言いかけて、口をつぐむ。以前はよく言っていた呪文のような言葉。今の状況でも兄さん以外どうでもいいなんて、言えるだろうか。

「……やっぱムカつく」

吐き捨て、笹塚さんを睨めば、彼は少し驚いたように眉を僅かに吊り上げた。

「どうしたの柚子さん。笹塚さんと知り合い?」
「さあ。彼に聞いたら」
「……まあ、ちょっとした縁がね」

曖昧な言葉で煙に巻くと、彼は「それじゃ」と帰る素振りを見せた。

「おや、もう帰るんですか。何か他に聞きたいことがあったのではないですか?」
「んー、あるっちゃあるんだけど」

ネウロの挑発的な目線から逃れるように、笹塚さんが目を逸らす。

「今日はいいや。この事務所、色々突っ込みどころがありそうだからさ。話してたらそっちの方に目がいきそうだから」

突っ込みどころの例の数々に心当たりのある桂木弥子はだらだらと汗を流す。

「あの、笹塚さん、違うんです、これには訳が」
「いーよ、別に。言いたかないんだろ」

ちらりと笹塚さんがこちらを見やる。

「仕事増やしたくないし、信用しとくよ」

学校もちゃんと行きなよ、と言い置くと扉へ向かう。私と擦れ違う瞬間、「何にせよ無事で良かった」と囁く。

「殺人容疑で逮捕する面倒を背負い込まなくて済んだもんね」
「そういう意味じゃ、」
「あんたの言葉なんて何も信じらんないよ、”刑事さん”」

そっぽを向けば彼はやれやれと溜め息をつく。頭を掻きながら去っていく彼の後ろ姿を見て、なぜか匪口との別れ際を思い出した。

「無表情で無愛想で何考えてるか分かんないけど……」

ドアが完全に閉まってから、桂木弥子が口を開く。

「でもいい人なのは分かるよね、笹塚さんて。優しい人」
「….…いい人?」
「うん。こっそり捜査に協力してくれたり、今だって私たちに隠し事ありそうなの感じてて、それとなく見逃してくれたし」
「どうかな」

桂木弥子ほど素直に受け取れず、私は憎まれ口を叩いてしまう。

「あの人だって刑事だよ。上から命令されたらこんな事務所いくらでも潰せるし証拠を揃えて逮捕するでしょ。職権乱用だってするだろうし、今敵じゃないからってこれからもそうとも限らないし、信用しないほうがいいよ」
「もー、なんか柚子さん笹塚さんに冷たくない?」
「こんなもんよ」
「ううん、絶対違う。言っとくけど、笹塚さん本当にいい人だから! 今までだって何度も捜査に協力してくれたし」
「あんたらの謎解きにフリーライドしたかっただけじゃない?」
「んもー、違うって! 柚子さんの分からず屋!」

足をバタバタさせる桂木弥子。余程笹塚さんを慕っているんだろう。気持ちは分からなくはない。私だって、射撃技術を的確に教えてくれる彼のことを、能力的にも人格的にも好ましく思っていた。斉藤銃一を殺そうとした時、止めようとしたのも百歩譲って親切心として受け止めても良い。それでも手錠の屈辱は許さないけど。

ただ、やっぱり刑事という立場にいながら裏の射撃場に出入りし、何食わぬ顔で接し続けていたのは腹が立つ。信頼していた相手にずっとナイフを隠し突きつけられていたようなものだ。むしろ今だって、お互いではあるけど弱みを握り合っているような状態。こんな状態でどう相手に気を許せと言うのか。

「まああの刑事がどうであれ、地上では人の弱みに付け込んだりしない者をいい人と呼ぶのだな」

ネウロが話に割って入る。

「魔界のいい人は少し違うな。人の傷口を嬉々として抉り出し再起不能にする奴がいい人だ」
「じゃあんたいい人じゃん!」
「何がどんな基準でそれがいい人になるんけ?」
「そうだ。いい人かどうかなんて、場所や状況によっていくらでも変わるものだ。そんなに気になるならその目で確かめてみるがいい」

ネウロの髪の毛がむくりと反応する。

「それって、」
「ああ。たった今、謎の気配が生まれた」

うっとりと舌なめずりをする彼の目は貪欲にギラついていた。

「最も我が輩は人の善悪には興味ないがな」

そう言う彼が座るのはかつての社長の席だ。刑事になった匪口を許せないと零した私を諭した社長の呆れ顔を思い出す。私が小さなことに拘りすぎてるだけなんだろうか。もう少し器が大きければ、むしろそれを利用してやろうくらいの気概を持っていれば、状況は少しは違ったのだろうか。
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