子犬のワルツ

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筒井刑事に関するどんな根も葉もない噂を流してやろうか考えながらパトカーに乗り込む。警察は元々あまり好きじゃなかった。後ろ暗い商売をしている私たちとは真逆の存在だという意識が長年刷り込まれてしまっている。吾代さんが警察を嫌っていたことも潜在的に影響を受けていると思う。
もちろんイメージだけで嫌っているわけじゃない。ユキ兄と2人で夜に歩いていたら巡回中のお巡りさんに高圧的な態度で延々と説教されたり、吾代さんと歩いていたら職務質問を受けたり。中には謙虚で正義感溢れる良いお巡りさんもいるだろうけど、私は今だに会ったことがない。
筒井刑事はその中でも特に鼻に付くタイプだ。Xを乱暴に引っ立て部屋に押し込むと、部下に急げと怒鳴り立てる。

「ねえ、刑事さん。後部座席に3人は流石にきつくない? せめてもう1人よそに移してよ」
「うるせえなあ」

今だって、のんびりした口調のXを殴りつけ凶悪な笑みを浮かべている。

「どのみち逃げられないんだ。黙って乗ってな」

穏やかで無邪気な少年大犯罪者と態度の悪い中年刑事。一般的な価値観も理解しているものの、ミラー越しだとどっちが犯罪者か分かったもんじゃない。信号の色が変わるのを待つ運転席の警官も顔をしかめている。

「ちょっと、あんまり派手なことすると、事情聴取の時にあんたの本性をお上にバラすよ」
「ハッ、犯罪者やてめーみたいなぽっと出のガキと社会的地位のある俺、どっちが信用あるかな!」
「少なくとも人望はなさそうだけど」

ボソッと呟くとくすりと誰かが堪えきれずに笑い声を漏らした。

「な、なんだとこのガキ! 俺はなあ、あの世紀の大犯罪者を捕まえた立役者なんだよ! この手柄がありゃなあ、年功序列だってぶっ飛ばせるんだよぉ!!」

そうだろうか。怪盗Xはあらゆる修羅場を潜り抜けてきた。風貌から体格まで自在に操作できる細胞を持つ。ということは。

「そっかーそうだよねー。刑事さん、出世するんだよね」
「はっ、たりめーだろばーか……」

言いかけた筒井刑事の膝にちゃりんと置かれたのは、銀色の手錠。Xが手を振りかぶっただけなのに筒井刑事とは反対側の警察官の体がドアに打ち付けられ、その頭から血が噴き出す。私はシートベルトを外し、背もたれを盾にし姿勢を低くする。隣の運転手が頭を乱暴に引っ張られ首の骨が折れる鈍い音がした。

「二階級特進だっけ。殉職って」
「えっ、はんっ……」

筒井刑事の胸が切り裂かれ、赤く染まる。3人の命が一瞬で蹴散らされたその圧倒的な悪意と暴力に、流石の私も言葉を失う。これが、怪盗X。世紀の大悪党。

「……っと」

殺されたことで足がブレーキから外れたのか、車が勝手に動き出す。私は慌ててサイドブレーキを引いて駐車させる。

「ナイス、柚子。待ってて。俺が運転するから」

Xが死体を押しのけ、車の外に出る。

「ああ、逃げないでよ。こんな夜遅くに出歩いちゃ危ないでしょ。ちゃんとあんたのホテルまで送ってってあげるから」

Xがホテルの名前を出し確認する。そこは確かに私が寝泊まりしているホテルで、私は別の意味で恐怖する。

「あんたの方が危ないし……てか、あんたストーカー?」
「ストーカー? 失礼だなあ。俺は面白いことがあった時真っ先にあんたの元に駆けつけられるように、状況を把握してるだけだよ」

運転席に乗り込むと、Xがよいしょと乱暴に警察官の死体を後部座席に押し込む。人を殺した直後にすら冗談混じりに話す彼に、やっぱり性格が悪くてもうるさいだけの刑事の方がマシかも、なんて思い始める。

「……この人たち、殺す必要あった?」
「えっもちろん。逮捕されてもつまんないし」
「じゃ普通に逃げれば良かったじゃない」
「そしたらあんたに飛び火したままになるでしょ」
「……私のために、殺したの?」
「うーん。そういうことにもなるのかな。まあ、気にしないで! 殺した奴らは箱にして、観察し終わったらちゃんと元の場所に返すから!」

観察。その言葉、さっきも言っていた。

「あんたは……一体、何のために人を殺すの?」
「俺はね、柚子。自分の正体が分からないんだ。細胞が絶え間なく動いているから、どうでもいいことはすぐに忘れちゃう。自分の名前や年齢はおろか、男か女かすら覚えてない」
「その姿は?」
「これは便宜上の姿、ただの借り物さ。自分が何者か分からないって、すごく不安だよ。だから俺は他人を観察して、自分の正体を探してるんだ」

自分が何者か分からない。わたしはXみたいな特殊な状況に身を置かれているわけじゃない。けど、どう生きていけば良いのか軸を失い途方に暮れる気持ちなら、よく分かる。

「……軸がないまま生きていくのは辛そうだね」
「兄さん達の存在を軸に生きてたあんたが羨ましかったよ。あんなに自分の存在意義をあんなに固めてしまう人間も珍しいよ。まあ、一度軸を失くして迷子になってたけど、それもそれで可哀想で可愛かったよ」
「はあ? 何それ悪趣味」

Xの機嫌は良さそうだ。擦り寄る信奉者を呆気なく殺してみせたのに、私の毒舌は大目に見てくれるらしい。何度も命を救われたし、彼が私に甘く肩入れをしてくれていることは、客観的に見ても明らかだ。私はそっと口を開き訊いてみる。

「あんたは私を殺して中身を見ようとは思わないの?」
「見せてくれんの?」
「嫌だけど」
「それも面白そうだけどさ。箱にするなんてのはいつでも出来るじゃん」
「やめて怖い」
「でもあんたら兄弟の場合は生かして見てる方が面白いからさあ。ほら、お気に入りの連ドラみたいな?」
「私の人生はエンターテイメントじゃない」

血に塗れた車内でXのはしゃいだ笑い声が響く。

「……ていうのもないわけじゃないけど。でも、1番の理由は多分、迷子なあんたが幸せになるところが見たいってとこかな」
「えっ」
「どっちの顛末に転ぼうとも、迷子仲間のあんたが幸せになれたら、こんな俺でもきっと、希望が持てる気がするから」

その時Xの見せた笑みがどこか年相応に寂しげに見えて、私は一瞬言葉をなくした。車内に横たわる沈黙を取り払うように、「だから頑張って、幸せになってよ!」と明るい声を出した。

「あんな策士とヤンデレなんかに負けてないでさ!」
「ちょっと、兄さん達のこと悪く言わないで」

むっと眉を寄せるがXはどこ吹く風だ。

「いやあ、特にあの腹黒兄貴にはいっぱい食わされたね」
「久兄に?」
「うん。あいつの執念は尋常じゃないよ。まさか、わざと撃たれてまで欲しい結果を手に入れるなんてね」
「えっ」

わざと、撃たれる?

「それって、斉藤銃一が久兄を撃った日のこと? だって、あんた、自分で仇を取るチャンスだって、」
「あーあれは嘘。そう言っときゃあんたも我を忘れて俺を撃ち殺すかなって思って」

あっけらかんと白状するX。殺そうとして殺せなかったこと。兄さんのために行動できなかった自分の不甲斐なさ。当時の葛藤が無意味だったことを知り、私はがっくり肩を落とした。

「えーまさか本当に信じてたの? 天下の斉藤銃一であり、百発百中の斉藤銃一がターゲットを殺しそびれるわけないじゃん。そう思わなかった?」
「いやでもだって、兄さんは最強だから」
「あはは。馬鹿な子ほどかわいいとは言うけどさあ。違うよ。逆。あんたの兄さんはわざと撃たれたんだよ。だから怪我も軽くてすんだ」
「……何それ」
「あの時俺、本当は四ツ橋商会を狙ったというのにさ」
「何で?」
「さあ……それは次回までの宿題にでもしておこうか」

くすくす笑いながら減速させる。

「はい、着いたよ、あんたの仮住まい」

外に目をやると、確かに今自分が暮らしているホテルの前だ。でも話はまだ途中で、もっと聞きたいことはたくさんある。私は降りるのを少し躊躇った。

「そんな名残惜しそうな顔しないの。またすぐ会えるって。俺は寄るとこあるから先帰りな」

Xが優しく微笑むものだから、彼が世紀の大悪党であることを忘れそうになる。そんな時、慣れかけていた血の匂いが鼻をくすぐった。無事に帰してくれるって言うなら、彼の気が変わらないうちに出たほうが良さそうだ。

「柚子」

閉める直前にXがふと声をかけ、私は車内を覗き込む。彼は「年相応に」くしゃりと笑った。

「俺はあんなんじゃ死なないけどさ。庇ってくれたり悲しんでくれたり怒ってくれたの。ちょっとだけ嬉しかったよ」

そう言うと彼はおやすみと呟いて血生臭いパトカーを走らせ、どこかへ消えていった。その後ろ姿を私はぼんやりと見つめる。怪盗X。自分勝手な犯行も残虐な手口も今日で散々思い知らされた。世界的大犯罪人の看板に偽り無しだと思う。
それでも、私を助けてくれたこと、外に連れ出してくれたこと、冗談のような押し問答や少年のような微笑みを見ていると、どうしても憎めない自分がいた。





後日私は警察へ出向き、Xの一連の事情を説明した。Xの関係者ではなく、あくまで事務所の人間としてだ。堀口明の親からの依頼、尾行調査の結果、彼の犯行とアリバイ作り、そして逮捕までの一連の流れを、差し障りのない範囲で伝える。幸い、堀口明の両親の証言との整合性はすぐ取れたため、2時間程度で解放された。

「いやあ、すみません。まさかこんなことに巻き込んでしまうとは……」

堀口明の父と並んで歩きながら警視庁を後にする。彼の顔は疲れからかすっかり老け込み、背中も小さく見えた。

「いえ、別に」

私は素っ気なく答える。警察への事情聴取は面倒だったが、仕事と思えば我慢はできる。今回のことに関しても失ったものは何もない。むしろ裏側に潜む彼の正体に近づけたのだから、マイナスはない。

でも、堀口氏は違う。彼は母と息子を同時に失った。しかも、息子は大悪党に憧れご近所のペットを誘拐し猟奇的に殺害しているものだから、さぞ肩身がせまいことだろう。踏んだり蹴ったりにも程がある。

「うちの息子が本当に……取り返しのつかないことを……」

ひたすら身を縮める彼を憐れむことはあれど、怒りなんて湧くわけがない。私は不思議に思い、低い声で呟く。

「あなたは悪くないじゃないですか」
「へ」
「息子さんは若いけど物事の善悪がつかないわけじゃない。彼がしたことは彼の責任で、あなたの責任じゃない。だから、そんなに罪悪感を背負いこむ必要はないんじゃないですか」

堀口氏がまじまじと私を見つめる。その瞳の下にはうっすらクマがあった。

「……ありがとう」

やがて、彼は表情を緩めた。

「でも、私は背負いたいんですよ、彼の罪を」
「何で」
「彼は私の倅ですから。どんなにあくどいことをしても見捨てられません」

そう言う堀口氏の表情は柔和だが一本の強い意志が刻まれていて、私は口を閉ざす。

「優しいお嬢さん。君もきっと愛されて育ってきたんだろうでしょうね」
「別に優しくないです」
「優しいと思いますよ。言葉の裏側に人を思いやる心がありますから」

堀口氏の眼差しに居心地が悪くなり、私はそっと身を縮める。確かに、世界的犯罪者である怪盗Xにですら、多少なりとも肩入れをしてしまっているんだ。一度内に入れた人間にはどこかしら甘くなってしまう部分はあるんだろう。それか、一度受けた恩はきっちり返せという久兄の教えが身についてしまっているのか。

まあでも、そんなXさえ嫌いになれないんだ。実の家族が、ちょっぴり猟奇的な理由で変な薬を飲ませたくらいで、嫌いになれるわけがない。ましてや、小さい頃からずっと愛情を注いできてくれた、大切な兄弟のことを。
兄さん達は、どうだろう。私は縋る気持ちで堀口氏にこう尋ねる。

「家族だったら、やっぱりどんなにやんちゃしてても、反抗してても、一回家を飛び出しても。嫌いにはなれないもんですかね」
「私はそう信じていますよ。もっとも、私たちは話し合うのが少し遅すぎましたがね」

堀口氏が自重めいた笑みを浮かべる。

「探偵さん、あなた方には心から感謝しているんです。けれど、尾行を頼む前に本人に向き合って、話し合っておけば良かったと、何度も後悔しています」
「何度か話し合おうとして無理だったから尾行を頼んだんじゃないんですか?」
「あの時はそう思っていたんですがね。ただ、息子が思いもよらない行動を取ってから死ぬと、色々考えるんです。自分はあの時正面から息子と向き合っていたか、本当に理解しようとしていたか。そして、彼の心に届く言葉を使っていたか」

堀口氏の後悔が胸を抉る。そんなの、私だって兄さん達にちゃんと出来ていたなんて言えない。色眼鏡を通して、肝心なところは何も理解して来なかった。

「……そうですよね」

後悔してからじゃ遅い。どうすれば良いのかなんて、まだ私には分からない。でも、久兄が変なことを企んで失敗する前に、ユキ兄が自暴自棄で取り返しのつかない大怪我を負う前に。

話し合って、ケリをつけなくちゃ。

(20190715)

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