子犬のワルツ

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「心臓も止めてたし、ナイフも完璧に刺さってた。おまけにこの顔。細胞をここまで変化させてもバレちゃうようじゃ、怪盗Xの評価もガタ落ちになっちゃうよ」

顔の細胞を変化させて怪盗Xが言う。特殊メイクでもCGでも幻覚でもなく、細胞を操作してユキ兄の顔を作ってみせたのか。頭では理解したものの心までは納得できない私は、ただひたすら怪盗Xを見つめる。

「僕じゃありません、桂木先生の観察眼です! 会話への反応、生体反応の変化、細胞の振動! それら悉くを先生は見逃さず、僕にサインを送ったのです」

いや、人間にはさすがに不可能でしょ。私は空目を向く。

「へえ。よくそんなとこに目がいくなあ。次からはそこらへんも気をつけるよ」
「……すげえ」

会話に入ってきたのは、堀口明だ。

「まさかこんな身近にいたなんて……あ、あんた、本当にXなのか?」
「……いかにも。ていうか、周りが勝手にそう呼んでるだけだけど」
「それじゃ。今までの……」
「ああ。あんたんちのおばあちゃん? とっくに死んでるよ。5.6年前かな。その後のそれは俺だよ。完璧だったろ。あんたの家族の誰1人、俺を本人と信じて疑わなかった」

いや。完璧じゃなかった。私は思う。「ユキ兄」になった時は、彼らしくない言動を行い、私はユキ兄じゃないと断定した。その後の「少女」も「老婆」も、まるで気付いてくれとばかりに意味深に話しかけてきた。

「信じらんねー……俺はなんて……運がいいんだ」

全身に鳥肌が立つほど興奮した堀口明は、Xによろよろと縋り付く。

「なあ、頼むよ! 俺をあんたの相棒にしてくれよ! あんたに近付けるなら何でもする! あんたみたいな犯罪者に……俺もなりたいんだよォ!」

酔狂なその姿に私は、一瞬だけ、兄さん達へ盲信的だったかつての自分と重ね合わせる。周りの人間に心配や迷惑をかけても一切気にすることなく、ただ自分の願望と崇めた人間にのみ素直に付き従うその姿に、嫌悪の苦い味が口に広がる。

「連れてけって? んー」

Xが顎に手を当て少し考え込んでいる。それから顔を上げて、

「ーーやだ」

邪悪な笑みとともに堀口明をシーツの中へ引きづりこんだ。

「うぎゃあああああ」
「そもそもあんた、箱の意味が全然分かってないよ」

堀口明の悲鳴の中、Xは淡々と駄目出しを始める。筋肉が千切れ骨の折れる音が聞こえるが、私たちには何が行われているか見えないのが不幸中の幸いか。

「体の塊や繊維が残ってたし中に気泡が入ってたし、あれじゃ肝心の中身が……よいしょ。隅々まで見渡せないじゃん。接着剤で蓋をしているのもマイナスだね」

シーツのシルエットがだんだん小さくなり、1人分へとサイズダウンしていく。その行為のなす意味に思い当たり、私は言葉を失いただ見つめる。

「箱を作るのが目的じゃない。余すとこなく中身を見たいから、箱に入れて観察しているだけなんだ」

やがてスーツの中からずるずると男が出てきた。茶色の髪に、ひょろりとした上半身。堀口明…….いや、違う。

「何年も一緒に暮らしてきたし、こいつの薄っぺらい中身なんて興味もないけど、せっかく憧れてくれてたみたいだから、形だけ箱っぽくまとめといてあげた」

シーツ越しに正六面体の物体を持ち上げるXの顔面が歪み、右半分だけがXの顔に変化した。桂木弥子の顔が恐怖に染まり、私は彼女の手を握りしめる。彼女を少しでも安心させたいという気持ちももちろん強かったが、半分は自分自身の動揺を落ち着かせたい気持ちもあった。
確かに堀口明は大した能力もないくせに自分勝手でプライドだけは高くて多くの命を蹴散らしてきた危険思想の持ち主だ。けれど、だからと言って、そんなに軽く、ダメ出しをするように……まるで私に家に帰れと説教する時と同じトーンで、仮にも自分を慕う堀口明を殺す必要なんてどこにもない。

これが、怪盗X。世界を恐怖と混沌に陥れた大犯罪者。そして、無邪気な笑顔と軽いノリで時々現れては私の手助けをしていく、謎の男の正体。

「俺と会ったからって、驚くようなことじゃないよ」

そんな彼女の何を勘違いしたのか、Xが「箱」を投げ捨てそう言う。

「さっきなってた老婆だって、俺の持つ無数の顔の1つに過ぎない。あんたらのうち誰かと俺と普通に話したこともあるかもしれない。誰でもあって誰でもない。それが、あんたらが勝手に恐れてる怪盗Xの正体だよ」

あの老婆も少女も殺し屋もオーナーも、無数の1つに過ぎない。だから、簡単に「なれる」し簡単に捨てられる。仮面が増え過ぎたら、適当に捨てればいい。
殺し屋としての自分を殺せと私に迫ったみたいに。堀口明を焚きつけて老婆として自死したみたいに。そしてきっと、堀口明を殺したみたいに。

「……だから、あんたは簡単に自殺できるし、相手も殺せるのね。それを見た人間がどんな気持ちになるかなんて、まるで考えることなく」

ぼそりと呟き睨みつければ、Xはきょとんとした後、ははっと笑った。

「優しいねえ。"初対面の"老婆にそこまで気にかけてあげるなんてさ」

独特の言い回しにはっとして顔を上げれば、Xの周りでじりじりと包囲網を狭めていく警察が目に入った。余計な詮索をされないよう気を配ってくれたのだと気付いた時には、筒井刑事が額に汗を垂らしながらもXに何とか手錠をかけるところだった。

「動くなよ、小僧。今おまえが犯した殺人、言い逃れはできねーぜ。もしもてめーが本当に、あの……怪盗Xだったとしてもな!」

冷たい金属音と共に、彼の手が拘束される。筒井刑事は、無事確保できてほっとしたのか、獰猛な笑みを浮かべると「よし、連行だ!」と周囲の警察に合図をし、Xを乱暴に引っ張った。体制を崩すXの顔に焦りはない。

「あとそこのおまえ! おまえも参考人として一緒に来い!」
「えっ」

不躾に指差され、私は思い切り顔をしかめる。

「何で私」
「Xは隠そうとしたらしいが、おまえとXは知り合いか何かなんだろ? じゃなきゃ堀口邸からここまで一緒に来るわけがない! いいから来てあいつの逃亡生活を洗いざらい吐きやがれ!」

Xがあーあ、せっかく庇ってあげたのにと溜め息をついている。面倒なことになったと私は慌てて言葉を探す。

「……知り合いでも何でもないわよ、正体なんて今気付いたようもんだし」
「関わりがあったことには変わりねえだろうが! それでも納得しねーなら、堀口明への過剰防衛で連行してもいいんだぜ?!」
「ちょっと、あれは正当防衛だし、そんなの別件逮捕ってやつじゃない! 大体あんたは何なのよ、国家の犬の分際でさっきから随分と偉そうな!」
「んだと!?」
「何よ、やるの?」

苛々と拳を握りしめる私の肩に、ネウロが「どうどう、落ち着いて」と手をかける。

「警察と喧嘩しても何も良いことはありません。別に殺されるわけじゃないんですから、行ってください、柚子さん」
「はあ?」
「いいじゃないですか、あなたの大好きなお仕事ですよ!」
「あんたはいつも面倒くさい仕事ばかり!」
「ーー怪盗Xと話せる機会なんてそうないぞ」

ネウロが私の耳にそっと口を寄せて囁く。

「行って、生の情報を引き出して来い」
「え、だって、事情聴取は、」

言いかけて、はっと口をつぐむ。脳裏に浮かんだのは、昼間に調べたXの大胆不敵な犯行の数々だ。細胞単位で変幻自在な彼のことだから、これくらいの包囲網なんて、簡単に潜り抜けられるんじゃないだろうか。

「死にはしないだろうが気は抜くな」
「なんて無責任な」
「貴様はここでは死ぬようなタマじゃないだろう」

無茶振りと信頼の言葉。私はこの飴と鞭に、本当に弱い。

「不安なら護衛をつけてやろうか」

魔界虫が飛んできて、私の肩に止まる。ぞわりと鳥肌が立ち思い切り振り払う。

「いらない」
「遠慮するな。主人の目が届くと思うと安心するだろう?」
「本当に嫌って言うかむしろ嫌がらせ」
「ごちゃごちゃ喋ってねーで早く来い! てめーも手錠にかけられてーのか!」

入り口から筒井刑事が大声で威圧する。私は腹を立て、SNSに彼の悪口をばら撒くことを誓った。
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