子犬のワルツ

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「いやあ、やっぱ老婆になるの、キツイんだよねえ。ずっと続けてたら骨が縮んじゃうよ。すっきりしたー」
「それより、兄さんの話って」

くだらないことをずっと楽しそうに話しながら夜道を歩き続けている。私は苛々と話を催促するが、「彼」は何処吹く風だ。

「ふーん。家を捨てたくせに、兄さん達のこと、気になるんだ」
「捨ててない。今はちょっと……お互いに頭を冷やしてるだけ」
「その割には兄さん達との一切の連絡を絶って、他所の男に尻尾振って楽しそうにしてるじゃない。そりゃ、兄さん達も腹を立てるわけだ」
「……何なの、あんた。私、嫌味を聞きにきたわけじゃないんだけど」

痛いところを突かれた私は不機嫌顔で睨むと、「彼」は「そうだったね」と軽く笑った。

「あんたの兄さん達の話ね。弟の方は今、荒れに荒れてるよ。巷じゃ望月信用調査の番犬が八つ当たりの材料を探してるから、道ですれ違っても目を合わせるなって言われてる。上司の命令に対してもやりすぎて殺しちゃうことが多いから、そのうち大きな抗争が勃発するんじゃないかって言われてる」
「ユキ兄が……」

思い出すのは丸まった背中と暗い双眸。荒れてるのは、私のせい? 食事や睡眠は、ちゃんと取っているだろうか。怪我はしてないだろうか。思考が氾濫して咄嗟に言葉が出てこず、私はそわそわと唇を噛む。

「……怪我とか、してない?」
「あはは、自分や被害者より兄貴の心配するんだ?」
「どういうこと?」
「あんた、まさかこのまま逃げ切れるとでも思ってんの? 上の兄さんが張り巡らせた罠をあんたはどういうわけか掻い潜って今も好き勝手しているわけだ。そりゃ、彼のプライドが許さないだろうね。ちょっと前までは怒りで笑顔が剥がれかかってたけど、最近はまた怖いほどに機嫌良く笑ってる。絶対何か企んでるよ、あれは」
「……なんかやけに詳しくない?」

まるで実際に間近で見守ってきたかのような口ぶりに、眉根を寄せる。

「まあ、その辺にも色んな形で潜り込んでいるからね」
「……あっそう」

想像がつくようなつかないような。面倒になった私は思考を放り投げる。

「で、どうすんの? このまま逃げ続けるつもり? 言っとくけど、限界があるよ。あんたは隠れてるつもりでも、あんたの職場は今世間から注目を浴びている探偵事務所だ。あんたの兄さん達はとっくに居場所を掴んでいるし、強硬手段に出るのも時間の問題なんじゃない?」

「彼」の目が真っ直ぐに私を「観察」する。まるで試されているような、一挙一動を品定めされているような。私は自分の中の正解を探す。

「……ネウロの元にいれば、いくら兄さん達でも手出しはできない。だから、まだ、私は家には帰らない」
「……そう」
「……でも、ずっとここにいるつもりもない」

私は「彼」をしっかり見つめ返す。

「ここは楽しい。人も悪くないし、仕事にも何だかんだやり甲斐はある」

ネウロはやっぱり人間を超えた能力を持っている。桂木弥子も今まで会ったことのないタイプだけど……良い子だし、嫌いじゃない。3人で話している時も何だかんだ楽しい。吾代さんや匪口とも関わりがある。私が望んでいた外の世界との交流が、ここにある。
仕事だって、何だかんだ要領も掴んできた。今は警視庁レベルのハッキングならもうそこまで怖くはない。ツイッターのアカウントの運営も順調だし、働きをしっかり確認して適正にフィードバックしてくれる上司の存在もありがたく思う。
何1つ不満はない。

「でも、やっぱり兄さん達が好きだから」

時々、楽しかった兄さん達との日々を思い出す。そして、兄さん達が与えてくれた時間や愛情を強く焦がれる。自分のやらかしたことを後悔する。兄さん達の冷たい言動を思い出して、恐怖にもぞもぞと身じろぎする。そしてやっぱり、今のままじゃ嫌だ、なんて思うんだ。

「最近の兄さん達のことは理解出来ないし、怖いことも多いけど、やっぱり家族として見捨てられない」

ユキ兄が荒れているなら尚更だ。そこまで話し終えると、「彼」はまじまそと私を見た。

「ふーん。外に出たがりのあんたが、そんなことを言うなんてね」
「何それ。悪い?」
「いや。あんたの好きなようにすれば良いさ。でもこのままじゃ、結末は分かりきってるからつまんないね」

そんなことを口で言いながら「彼」はどこか嬉しそうだ。

「今のあんたじゃ、前とおんなじ。自分より頭の回り、力も強い兄さん達に捕まって、上手いこと囲われてお終いさ。いくら気持ちを強く持ったところで、そんなものは幾らでもへし折れる方法はあるんだから」
「……じゃ、どうすれば良いのよ」
「それはもちろん、」

言いかけた瞬間に階段の外で足音が響き、私たちは会話を中断する。

「ちょうど良かった。老婆になるのは窮屈だったし、そろそろ潮時だと思ってたんだよね」

乾いた音は段々大きくなり、「彼」がふふっと笑う。

「ちょっとあんた、何を、」
「誰だっ!」

扉を開けて悲鳴をあげたのは、堀口明。自分の「祖母」と探偵事務所の私であることが分かると、「ばあちゃん!」と鋭く叫んだ。
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