子犬のワルツ

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「あ、探偵さん。どうでした?」

堀口家に戻りインターホンを押すと、依頼人がドアを開け、戸惑ったように瞳を揺らす。

「失礼するよ、息子さんに用がある」

ネウロの脇をすり抜け、大柄な男性が警察手帳を見せる。

「え……これは……」
「話は後。案内してくれ」

やや強引な彼は、ネウロが鑑識のために呼んだ筒井刑事だ。Xに酷似した犯行の手口を見て俄然出世欲が刺激されたらしい。夜中の他人の家にも関わらず無神経に突き進んでいき、堀口夫妻や、堀口明の祖母と見られる年配の女性を戸惑わせていた。

「驚いたな」

静かだったネウロがようやく口を開く。

「さっきは気付かなかったが、この家に漂う空気……妖気に近いものを感じるぞ」

嫌な言葉だ。私は顔をしかめる。幽霊なんて非科学的なものは一切怖くはないが、魔人がいるのだから、実在していてもおかしくはない。

「柚子さん……?」
「何よ」
「手……なんで握ってるのかなって」
「あんたが怖いかなと思って握ってあげてんのよ」
「いや別に怖がるものは特には」
「強がってんじゃないわよしょうがないわね握ってあげるわよしょうがないわね」

桂木弥子がなぜか苦笑いをしたその時。
ネウロと桂木弥子とは反対側の肩に何かが触れた。

「ぎゃっ」

咄嗟に銃を取り出す私の手をネウロが掴む。

「落ち着け犬ころ。ただの虫だ」

羽音と共に舞い上がるのは、ピンク色の魔界虫。ネウロの笑みが憎らしい。

「どうした、銃なんて取り出して。何がそんなに怖かったのだ、うん? 言ってみろ」
「は? 何も怖くないし、馬鹿じゃないの。死んで」
「誤魔化し方が雑かつ辛辣!」

やや緩みがちな我々とは反対に、筒井刑事は緊張した面持ちでターゲット、堀口明の部屋のドアをノックする。やがて、線の細い息子、堀口明が顔を出した。

「……警察が何の用っすか」
「ちょっとね。間違いなくつけてたのはこいつだな?」
「はい……」

桂木弥子に確認を取った後、筒井刑事は深呼吸をする。

「あのな、ペットを大量に盗んで殺した容疑がおまえにかかってる。その数、数十件。もしやったんなら、決して軽い罪じゃねーぞ」

堀口明の顔には何の感情も浮かばない。おぞましい話を聞いた忌避感も、その容疑がかけられている焦りすらも。

「何意味不明なこと言ってるんすか。一体何の根拠があって俺に?」
「さっきまで出かけてたよな。どこに行ってた?」
「ちょっとコンビニで立ち読みを。長いんすよ俺、一回行くと」

答えを用意していたかのようにすらすらと答える。筒井刑事も焦らない。

「こいつらがな、自称探偵っつーんだが、そのおまえの後をつけてたっていうんだ」
「探偵? 何で探偵が俺をつけてたかはわかんないけど、全くのデタラメ言ってますよ。何かの間違いでしょ。途中から似た他人をつけてたとか。冤罪ですよこれは。どうしたもんかな」

全く怯まず言外に脅しをチラつかせる堀口明に、家族や筒井刑事も少しずつ自信をなくしていく。

「ああそうだ。コンビニのカメラを確認してきてくださいよ。立ち読みしてる俺が絶対映ってるはずですよ」
「……分かった。じゃ、確かめる間、下で待たせてもらおう」

筒井刑事がそう言い、階段を降りていく。桂木弥子とネウロも後に続く中、堀口明はすぐには部屋に引っ込まず、自分の家族を無表情で睨みつけた。

「あんたらか。探偵呼んで俺たちをつけさせたのは……」

家族に対するものとは思えない、苛立ちを滲ませた冷たい声。私は少し離れたところからそっと様子をうかがう。思えば、他所の家庭のいざこざを見たことがなかった。他の、普通の家族ってどんな感じなんだろう。ちょっとした好奇心が頭をもたげる。

「すまん。だけど分かってくれ……」
「そうよ。お父さんもあなたのことを心配して……」
「フン。どいつもこいつも、俺のことを何にも分かってない分際で」

心配する両親と、それを疎ましく思う息子。細かいシチュエーションや思いは違えど、少し前の私たちを見ているようで胸が痛くなる。私も彼みたいに危険なことに首を突っ込んで、兄さん達を心配させていた無責任な妹だったんだろうか。

堀口明が部屋に籠り、家族が途方にくれる。重い空気から逃げ出すように下の階に降りると、ネウロが声をかけてきた。

「遅かったな」
「上で依頼人の家族が喧嘩というか、揉めてたというか」
「まあ、そうなるよね……」

心配する気持ちも分かるけど、尾行されたら誰だって嫌な気分になるだろうし、と桂木弥子。彼女はきっと絵に描いたように理想的な環境で育ったのだろう。

「それより柚子、パソコンは持っているか」
「まあ、一応」
「よろしい。昼間の資料に怪盗Xの名前が載っていたはずだ。もう一度見せろ」

昼間の資料を引っ張り出しながら、そういえば警視庁へのハッキングは量の割には大変に感じなかったなと思い出す。ネウロの無茶振りによって、嫌でもハッキングスキルが上がったのかもしれない。

「……あ、それならXの事件をまとめた資料も作ったから、そっちをまず見て」
「うむ、上出来だ」
「怪盗X……」

満足気なネウロの隣で、桂木弥子が緊張の色を見せる。

「何だ、貴様は知ってるのか、ヤコ」
「そっか、ネウロはまだ地上に来たばかりだもんね。全く、余計な知識はあるのに肝心なことは知らないんだから….…」
「はっはっは。いやあ……無知ですまん。拷問の知識ばかり持っていても、こんな時何の役にも立たないものな」
「ぎゃああああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「ちょっと、他所の家で拷問ごっこはやめて」

桂木弥子の顔を鼻フックやら何やらで遊びだしたネウロに、パソコンの画面を開いて見せる。

「Xはいわゆる盗賊ってやつね。10年ほど前に出現してから、世界中を好きに荒らしまわってて、被害総額は数兆円に上る」
「盗みなんかよりも箱の方が怖いよ」
「箱……とは、この赤い箱というやつか」

首を振る桂木弥子に、ネウロが資料から目を離さずに答える。

「盗みの現場では必ず1人が攫われ、後日赤い箱が届けられる。その箱は、攫われた人間と同じ重量とDNA情報を持っている。つまり被害者が詰まった箱は、殺された人間そのもの……なるほど。今回のペット誘拐事件と、手口は似ているな」

「手口は」「似ている」と強調するネウロは、まるでそれ以上のものはないと言わんばかりだ。その言い草に引っかかりを覚えたのか、桂木弥子が首を傾げる。

「今まで何十人も人間を殺してきた怪盗が、急にペットの大量殺人に格を下げるとは考えにくい。レベルアップを図るならともかく、な」
「でもさっき、この家には禍々しいオーラがあるって言ったじゃない、ネウロ」
「ああ、それは貴様の背後に立っている足のない犬の亡霊の仕業のようだ」
「はあ? そんなこと言って騙されると思っ、」
「おい、自称探偵ども! ……何で床に倒れてんだ?」

筒井刑事が凄い勢いでリビングに入ってきて……椅子から転げ落ちた私を不思議そうに見下ろした。私は「あんたが急に入ってくるから」と態勢を整えながら睨みつけたが、彼はそんなことはどうでもいいとばかりに生返事をした後、桂木弥子を睨みつけた。

「例の時間延々と立ち読みをしてる若い男の姿がいたってよ! 背格好も似ているそうだ、よくも恥をかかせてくれたな!」
「だから言ったじゃないですか」

階段の踊り場では堀口明が薄く笑いながら私たちを見下ろしている。

「大体そんな胡散臭い奴らの言うこと、警察は鵜呑みにするんですか?」
「すまん。とんだ疑いをかけちまったな。……てめーら、来い! とんだデマを流しやがって!」
「いや、違……たしかにこの目で!」

カンカンな筒井刑事に追い立てられる桂木弥子。その後ろをネウロが考えながらゆったり歩く。余裕の笑みを振りまく堀口明に、私は一杯食わされたなあと思う。
けれど、きっとすぐネウロがアリバイを崩し、彼の鼻を明かすはずだ。それは、早乙女金融やアヤ・エイジアの事件を通して形成された、魔人の圧倒的な頭脳と能力への信頼だ。そして、情報収集を通して、多少は彼の役に立てたことを、ほんの少し嬉しく思う。
こんな日々も悪くない、けど。

「お嬢ちゃん」

その時、堀口明の祖母である老婦人がそっと私に声をかけた。

「……はい?」
「ちょっと」

手招きされ、怪訝に思いながらも耳を貸すと、老婦人の笑みがぐにゃりと歪んだ。

「外の世界は楽しいかい?」

はっとして老婦人の顔を見る。見た目はどう見てもただの老婦人だ。でも、わたしの事情を踏まえた上での発言。前にもこんなことがあった。家ではユキ兄そっくりに、喫茶店ではどこぞの少女に扮した「彼」だ。

「あんた……斉藤銃一?」
「いやあ。気付くのも早くなってきたね。欲を言えば、もっと早く気付いてくれてもいいんだけど」

こんなに完璧に老婆に扮しておいて、無茶を言う。元の面影なんて一切残っていない?

「さあ、今回俺はどうやってこの老婆に化けたと思う?」
「……私に幻覚でもかけてるとか?」
「あはは。あんたって、やっぱりちょっと馬鹿だよね」
「はあ?」
「ね、ここで会えたのも何かの縁だしさ、ちょっと抜け出して話そうよ」
「え、無理。仕事中」

「彼」の正体は多少気になるが、さすがに仕事中に油を売るのはまずい。警察と何やら言い合っている2人を見て焦る私に、「彼」が頬を膨らませる。

「ちょっと! 俺と仕事、どっちが大事なの!」
「仕事」
「即答?!」

一瞬涙目になるが、すぐに表情に余裕を取り戻す。

「あーあ、あんたの兄さん達の様子、話してあげようと思ったんだけどな」
「兄さんの、話?」

聞き逃せないキーワードに心が揺れる。裏社会に身をやつし、表でも完全に情報を制御する彼ら2人の噂はそんなに簡単には入ってこない。

「気になるでしょ? 教えてあげるから、2人で邪魔されないところで話そうよ。ね?」

そのまま手を引かれるが、私はもう抵抗しなかった。家を出てはじめの角を曲がり切った時、背後で桂木弥子が私を探して呼んだ気がした。
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