子犬のワルツ

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「何なのよ! 話くらい聞いてくれたっていいじゃない! うちの主人が殺されてんのよ!」

昼食から戻りドアを開けようとした瞬間、そんな怒鳴り声が耳をつんざいた。

「未だ犯人が分からないから、あんたのところに依頼に来たっていうのに!」
「お引き取りください。先生は仕事を選びます。あなたのようなつまらない方の依頼など、お受けにはならないでしょう」

そっと顔を覗かせると、依頼人らしき女性と取り繕うのすら気だるげなネウロが座っている。好青年を気取るエネルギーすら使いたくないのか。気持ちは分からなくもない。

「ちょっと名前が売れたからって調子に乗って! 帰るわこんなとこ!」
「お気をつけて」

ズカズカと出口に向かう依頼人が桂木弥子と鉢合わせる。

「あ、ど、どーも……」

ぎこちなく笑う桂木弥子に、依頼人は「人でなしッ」と親指を下に向け、ドアを派手に閉めて出て行く。

「来たか、ヤコ、柚子。遅いぞ」
「んーと……私来て早々人でなし扱いされたんだけど、どゆこと?」
「我が輩にとって価値のない依頼人だっただけだ」

ネウロは溜息をつく。

「謎の気配を纏っていないのだ。何のトリックも使わない殺人だろう。簡単な手がかりを見落としただけのな。もう一度警察に捜査させれば済むだけの話だ」

それを聞いた桂木弥子が少し考え、あかねちゃんに依頼人の連絡先を確認する。その旨を伝えてあげるんだろうか。お優しいことだ。

「柚子、これは返しておくぞ。これだけでは判断がつき兼ねるから詳細情報が欲しい。印の付いている事件に関しては、公式の捜査資料も入手しておけ」
「公式の資料ってことは……」
「そうだ。警視庁のサーバーに侵入して集めろ」

私は苦い顔をする。前回はたまたま入手できたからいいものの、匪口がいると分かっていてそこに何度も侵入するのは気が進まない。

「何だ、嫌なのか? それとも出来ないのか?」
「……あんた、そう挑発すれば私が何でも言うこと聞くと思ってない?」
「貴様なら出来ると信じているから、そう言っているのだ」
「……そういうことならやるけど」

横を向いてそう言い放つ私に、桂木弥子が小声で「あっ尻尾揺れてる」と呟いた。聞こえてるからね、奴隷人形さん。

「よろしい。それと、この項目だが、」

ネウロが資料の最後の項目を指差したその時。

「あのー、すみません。依頼に来たんですが、あの、いいですか?」

冴えない中年男性がドアから顔を覗かせた。

「あ……ハイ、どうぞ腰掛けてください」

桂木弥子が椅子を勧める。ネウロは依頼人を見て、嬉しそうに口角を吊り上げた。どうやら彼は謎を持った依頼人らしい。

「ようこそ魔界探偵事務所へ! 先生がご用件をお伺いします!」

資料を私に押し返すとネウロが愛想を振りまいた。これは、前回の流れを考えるとまた私がコーヒーを淹れる流れかな。面倒くさいと思ったが、桂木弥子の喜ぶ顔を思い出し、ため息を飲み込む。まあ、でもあんなに美味しそうに飲んでくれるなら、少しは悪くはないかも。キッチンへと向かう足取りは以前よりは軽く感じた。




「素行調査?」
「ええ、あんな事件を解いた桂木さんにこんなことお願いしてもいいのかわからないんですが」
「ええ、もちろん! 先生はどんな依頼もお聞きします!」

コーヒーを用意して戻ってくると、ネウロが爽やかに嘘をついていた。各々の前にカップを置くと、私はいつもの場所でパソコンを起動させる。

「他でもないうちの息子なんですが、最近様子がおかしいんです。普段は家にこもりきりなんですが、夜になると毎晩出かけて。この間すれ違った時なんて、衣服の至る所に血らしきものが」

それ、もうその時点で何かやらかしているの確定なんじゃ。

「問い質してもはぐらかされるばかりで、気になって息子の後をつけたりもしましたが、途中でいつも撒かれてしまって……大それたことをしていやしないかと心配で」

やんちゃする息子が心配で探偵事務所に尾行を頼む父親というわけか。その構図が、闇金で働く妹を心配する兄の関係性と重なり、私は気まずさに身を縮める。結果的にやり過ぎたとは言え、兄さん達も最初はこんな風に不安に身を焦がしていたのだろうか。

「なるほど! つまり、毎夜息子さんの後をつけて、その様子をつぶさに報告すればよろしいわけですね!」
「じゃ、こんな依頼でも引き受けてくださると?」
「もちろん! 先生はへばりつくのが得意なんです。ほら、サマになってるでしょう?」

桂木弥子の頭を机に押し付けネウロが子どものように笑う。

「では改めて宜しくお願い致します」
「はい、お任せください!」

ネウロは上機嫌で桂木弥子に何かを囁く。私は興味をなくし、返された資料に目を通し始めた。やると宣言したからにはやらなければならない。また匪口をトラップにかけるか、それとも堂々と正面突破するか。いっそ、許されるならばアヤ事件の時の桂木弥子と同じように、違う視点から情報を集めても良いかもしれない。社長殺しの時も思ったが、画一的な視点からでは真実に辿り着けない。目的は情報の入手そのものではなく謎の判別と事件の解決そのものなのだから。

「……そういえば」

依頼人が来る前にネウロが何か言いかけていたような。資料にざっと目を通すと、1つだけ違う印がつけられている。

項目、怪盗X。概要、本年度は3件。累計は10年前から遡ると目ぼしいものだけでも67件に上る。
地上に出たばかりのネウロには怪盗Xの話は初耳だったのかもしれない。考えてみれば世界中で犯行を重ねているにも関わらず誰もその正体を知らないなんて、ネウロ好みの謎に包まれている話だ。詳細を知りたいと言われてもおかしくない。それに仕事は簡単なものから片付けるに限る。

「では早速今晩から尾行を開始しましょう」

ネウロが依頼人と話を進める中、私は時計をちらりと確認する。30分程度で怪盗Xiの概要、事件の傾向、それと日本で発生したもののリストくらいをまとめておければ形にはなる。その後ゆっくり各事件の詳細情報の取り方について考えれば良い。マウスに手を伸ばした拍子にデスクトップの犬の壁紙が目に入り、私は顔をしかめた。





「依頼人の話では、奴の息子はそろそろ出てくる時間だな」

そして、真夜中の12時。ネウロと桂木弥子、そして私は依頼人堀口氏の家の玄関前で息を潜めていた。

「でもさ、ネウロ、尾行ってそれなりに技術いるんでしょ。これからつける人、父親の尾行をことごとく撒いたくらいだし、勘が良さそうだよ。それに私目立たない服着てないし、どう見ても尾行に向いてないよ。景気付けにあんぱんは持ってきたけど」

あんぱんを左手に握りしめている桂木弥子は至極真面目な表情でふざけたことを抜かしている。

「ふむ。確かに目立つな。今の貴様じゃ掃き溜めにゲロだ」
「ツルね。ゲロ目立たない」
「そうか、ゲロの方が目立たないのか」

お得意のネウロの誘導に、掴まれた腕。私は嫌な予感を覚える。

「では喜べ、貴様らを嘔吐物にしてやろう」

ネウロが上を向く。一瞬ネウロの頭が角を生やした鳥に見えた。ただ、瞬きをした瞬間、その鳥の口からドロドロした液体が勢いよく噴き出して、3人に満遍なく降りかかった。

「……えーっと……何これ」
「こんなことなら事務所にいれば良かった……」
「問題ない。じきに馴染む」

テンションの下がる女子2人。馴染むのはそれはそれで問題では。

「鏡を見てみろ。もう目立つまい」

その声に近くにあった車の窓を覗き込み、はっとする。かかったところから周りの背景に馴染むように溶け込み、自分の体が消えかかっているのだ。

「液体が色を発して背景との色彩差を消してくれる。いわば消視液だ」

ネウロの魔界道具に舌を巻く。相変わらずなんでもありのむちゃくちゃぶりだ。

「存在自体の解像度を下げるイビルブラインドと違って範囲も限定されず長く効くので尾行向きだが、いかんせん消せるのは視覚のみ。会話と足音には気をつけろ」
「でも私にはあんた達の姿が見えてるけど」
「同じ液を被った我々同士は見えるはずだ。指は何本だ?」

ネウロの指が何重にも枝分かれする。桂木弥子が顔を引きつらせて「わかんない」と呟いた。

「おかしいな、もっと近くで……」

ネウロが鋭い指を桂木弥子の眼前に近付けた瞬間だった。

ガチャリと扉が開き、帽子を目深に被った青年、ターゲットの堀口明がゆっくりと姿を現した。

「おっと。そうこうするうちに、ターゲットのお出かけだ」

ネウロが待ちくたびれたぞと伸びをする。桂木弥子は顔を引き締め、私はポケットの上から銃に触れた。尾行開始だ。

足音を立てないよう、彼らの数メートル後ろをゆっくりついていく。相手からは見えないからと道路の真ん中を堂々と歩く尾行に奇妙さを感じる。

「なんか変な気分。こんなに隠れない尾行なんて」
「下手に隠れることを考えるからむしろ目立ってしまうのだ。王者の如く振る舞えば、たとえこんなことをしても……」

ネウロが桂木弥子の顔に手を突っ込み、無理やり上を向かせる。予想外の力に首はゴキッとなり、桂木弥子はもがっと声を上げた。

当然堀口明もこちらを振り返り、警戒しながらこちらに歩み寄る。

「なんだ今? どこかで変な音が」

苦しむ桂木弥子と堂々と立ち尽くすネウロにすれすれまで近づくと、じいっと空間を見つめ、

「……気のせいか」

ゆっくりと踵を返した。

「な? ここまで近付いても気付かれない」
「私の顔のパーツの方が近づくよっ」

この2人は本当にいつも楽しそうに拷問をかけてかけられている。桂木弥子の尊厳が失われつつあると思うが、本人達が楽しいなら、好きにすれば良いと思う。私は肩をすくめると、堀口明の姿を追った。

そこから歩くこと十数分。堀口明は再度周囲を確認すると、町外れの廃ビルへと入っていった。

「こんなところで何をする気かな」
「さあ。だが、血の匂いが漂っている。逢い引きやダンスの練習ではないのは間違いないな」

人間の私には血の匂いが分からないが、魔人のネウロが言うならそうなんだろう。社長が殺されたあの晩を思い出す。あの晩は吾代さんが私の目を覆ってくれた。桂木弥子は、食に関しては図太いところもあるが、普通の女の子だ。さすがに死体を見たらびっくりしちゃうかも。かと言って、仮にも探偵役、危ないから外で待っててと言うのも不自然だ。
迷ううちに、ネウロに続いて桂木弥子が奥へと入ってしまう。堀口明の階段を上る音が響いて聞こえた。

「室内は音が響く。距離をとって慎重に追うぞ」

ネウロが呼びかけ、私たちはそろりそろりと後を追う。二階のとある一室に消える彼な姿に、一瞬古い血のむせ返るような臭いを感じた気がした。

もし堀口明が扉の向こうから襲いかかってきたら。

私はスカートの下に括り付けた銃へと手を伸ばし、もう片方の手で桂木弥子の手をそっと掴んだ。彼女の手も汗ばみ少し震えていたが、私の手が触れると一瞬驚いたようにこっちを見て、それからぎゅっと握り返した。

ネウロの陰からそっと部屋を覗き込み、目を見開いた。
コンクリートが打ちっ放しの無機質な部屋には、大小の無数の赤い箱が置かれ、大量の血があふれ出ていた。檻もいくつか置かれ、生きた犬猫が閉じ込められているが、中の獣は警戒するように唸っていた。

「大人しくしてたか、生贄ども」

堀口明の声に愉悦が混じっている。

「さ、今日も張り切っておまえらを箱に詰めてやろう。飼い主の元で無駄に飼われて生きるより、ずっと有意義で幸せな一生だぞ」

犬の怯える姿を見て、私は妙に腹が立ってくる。そういう性癖なのかサイコパスなのかは知らないが、勝手に彼らの幸せを決めて、命を脅かして傷をつける権利がなんて、彼にはない。

「これって……」
「線の細い坊やがなかなかやんちゃをしているようだな」

桂木弥子の手を握る力がぎゅっと強くなる。堀口明がそっと動きを止める。まるで気配を探っているかのように。
そして次の瞬間、ぐるりと首を回してこちらを振り向いた。

「あっ」

桂木弥子が思わず声を漏らし、慌てて口を押さえるがもう遅い。

「誰かつけてやがったのか!」

そこからの彼の行動は速かった。窓際へ駆け寄ると、用意してあったロープを手にし、するする一階へと降りていく。顔を隠したまま駆け出す彼をネウロは見送り呟く。

「逃げる準備も周到だったようだな」
「ごめんなさい、声あげちゃった」
「バカめ。奴は何となく気配で振り返っただけだ。声さえ出さねば気づかれなかったものを。このセミめ」
「んー……なかなか節足動物から抜け出せない」

桂木弥子はそこでぐっと眉を潜める。

「それにしてもネウロ、これは酷いよ。あの人、ストレートに異常だよ」
「猟奇的というかサイコパスというか、動物を捕まえてきて、バラバラにした後箱詰めしてるね。この手口は……」

この手口は……まさに、私が昼間調べていた、怪盗Xiと同じだ。
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