子犬のワルツ

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「残念ですが、あなたの依頼に僕たちはお役に立てそうにありません。お引き取りください」

ネウロは仮面を被りつつも依頼人に帰宅を促す。午前中から立て続けに2件、依頼人から話を聞いているが、謎を持った依頼人にはまだ巡り会えていないらしく、テンションは明らかに低い。桂木弥子は高校生として授業に出席しているため、まだ事務所には来ていない。今のところはネウロとしてはタダ働きだろう。
珍しく手持ち無沙汰な私はこの後ネウロが何を求めるか考えている。地球に関する基本的な知識や情報はあらかた先週のうちに収集し終わってしまった。SNSに関してもネウロから及第点はもらったし、先日投稿したばかりだから、今すぐ投稿する必要はないだろう。今私が出来ることといったら、眠っている未解決事件を探して一覧にしておくくらいだろうか。

新聞記事から殺人事件を検索し、犯人が見つかっていないものの日時と場所、概要をリストアップしていく。警視庁のサーバに潜り込めれば楽なんだろうけど、なるべくなら危ない橋は渡りたくない。状況や当時の目撃証言など重要と思われる情報を収集すると、もう一台のパソコンに転送し、あとは謎の三つ編み少女あかねちゃんにデータの整形をお願いする。彼女は事務所の壁にずっと埋められていた死体らしい。正直ビジュアルはおぞましくて最初は直視できなかったが、仕事捌きはめざましい。今ではすっかり事務所になくてはならない存在だ。データの体裁整理に気を回さないでいられる分、情報収集に集中できて仕事も随分楽になった。彼女はお願いしたらきちんとやってくれるし、人間と違って無駄口を叩かないところも好感度が高い。

不意に携帯電話の着信音が鳴る。スクリーンには吾代さんという文字が浮かんでおり、私は作業の手を一旦止める。

「もしもし」
「おう柚子、おまえ飯は食ったか?」
「まだ」
「んなこったろうと思ったよ」

吾代さんの呆れたような声。時計を確認すると、もう13時半を回っていた。

「まだなら付き合えよ。今丁度探偵と会ってな、飯行こうと声をかけられたんだが、さすがにタイマンはきちーわ」

会って数回のヤクザ上がりをナチュラルにご飯に誘う女子高生。桂木弥子の精神の図太さは置いておいて、絵面的にはなかなか犯罪の匂いがする。

「確かに私の存在で中和しないと、吾代さん厳ついから職質されちゃうもんね」
「おい!」
「私の時も何度か職質されたじゃん。いたいけな女子高生を騙くらかして援交させようとするチンピラと思われて」

苦い思い出なのか、吾代さんが電話越しに声を詰まらせたあと、「いいから早よ来いや。駅前のコンビニな」と早口で伝えて電話を一方的に切った。

「相変わらず騒がしいなあ」

息をつく私に、あかねちゃんが「行ってらっしゃい」とホワイトボードに書いてくれる。

「ほう、主人が飢えているというのに貴様は雑用どもと楽しく昼食か。随分と良いご身分だな」

それを見たネウロが不機嫌そうに嫌味を言う。私は支度をしながら「あんたも来る?」と声をかける。

「我が輩は魔人なのでな、人間の食糧じゃ腹は満たせんのだ」
「そう、残念」

心にもないことを言うと、私は鞄をさっと引き寄せる。

「謎が来ないならこちらから探しにいくしかないね」

あかねちゃんが資料作りが終わったのか、プリンターが作動し始める。吐き出した紙を1枚手に取りさっと目を通すと、ネウロは眉を吊り上げた。

「……ほう、質はまだ分からんが、自主的に動く点に関しては飼い犬としての自覚が芽生えてきたようだな。従順で結構」
「……飼い犬じゃないし」

口元が緩みそうになるのを堪えてそっぽを向く。ネウロが「尻尾が揺れているぞ」と忍び笑いを漏らした。

「だから尻尾なんてないってば」
「気付かないなら良い。馬鹿な犬も一周回って可愛いものだ」
「意味わかんない」
「貴様の献上品、もらっておこう」

先程とは打って変わって機嫌の良さそうなネウロ。あかねちゃんがおさげでサムアップの仕草を真似てみせる。読んでもらってからじゃないと、まだ喜ぶのは早い。私は浮き上がりそうになる気持ちを抑えると、「行ってくるから」とだけ答え、事務所を出た。




「遅えぞ」

コンビニに着くと開口一番、吾代さんが文句を言う。

「何グダグダしてやがった」
「まあいいじゃない、柚子さんも忙しかったんだよ。大丈夫? ネウロにこき使われてない?」

一番こき使われているであろう桂木弥子がビニール袋から肉まんを取り出しながら私の顔を覗き込む。私は少し迷ったあと、「……今からご飯食べにいくんだよね?」と後者に突っ込んだ。

「うん、そう! ここから少し歩いたところにおいしいパスタのお店があって、久々に食べたいと思ってたんだ」
「そう」

肉まんを勢いよく頬張りながら言う桂木弥子に私はいまいち話が噛み合わないなと思う。

「柚子さんもまだご飯食べてなかったの?」
「こいつは放っとけばカロリーメイトかコンビニ飯で食事を済ませちまうからな」
「えー勿体無い! 80まで生きれるとしたらあとざっと6万回くらいしか食事できないんだよ?!」
「あんたはたぶん15万回分くらいの量を食べると思うけどね……」
「つかそういう計算はめちゃめちゃ速いのな」

二個目のピザまんを取り出す桂木弥子を見て、それから吾代さんと目配せし合う。多分、同じ気持ちだ。

「そんなの勿体無いって! 今から行くパスタ屋さん超美味しいから、楽しみにしてて!」

ピザまんにかぶりつき幸せそうな笑顔を浮かべる彼女はどう見てもこれからパスタを食べるとは思えない。見ているだけで胸焼けしそう、と目を逸らしたら、吾代さんがげっそりと「足して2で割ったら丁度いいよおまえら」なんて呟いた。

「ここここ! やっぱり少し時間をずらしていくと空いてるね。すみません、3名でお願いしまーす」

浮き浮きした様子で桂木弥子がモダンな洋風レストランに入っていく。煉瓦造りのお洒落な内装で、若くて爽やかな日本人の店員がイタリア語で挨拶してくる。

「何で日本人なのに英語で挨拶してくるんだよ」
「イタリア語だよ吾代さん」
「うるせー! 今イタリア語って言おうとしたんだよ!」
「声大きい、こういうお店では控えて」

桂木弥子の前で恥をかかないように言ってあげてるのに、吾代さんは顔を真っ赤にしたまま不機嫌そうにそっぽを向いた。

「あはは、柚子さん、吾代さんが可哀想だよ〜」

元ヤクザのチンピラにも笑顔で容赦なく留めを刺す桂木弥子は、ダメージを負っている吾代さんを歯牙にもかけず、メニューをわくわくした様子で眺めている。

「どれにしよっかな〜。ここ、トマトソースが絶品なんだよね。受賞した評判のピザも食べてみたいなあ。でも今日の気分はカルボナーラって気分なんだよねえ……ま、いいや」

迷った割には即決で決めたらしい。何が「ま、いいや」なのかは聞かないでおこう。

「柚子さんは何にするの?」
「私は、じゃ本日のパスタで」
「うんうん、美味しそうだよね! それだけで大丈夫?」
「あんた基準で物事を考えないでもらっていい?」
「そっかあ。少食なんだね」

桂木弥子は意外とめげない。

「吾代さんは決まった?」
「よく分かんねーからミートソースで」

彼の場合、本当によく分からないからミートソースにしたんだろう。普段彼は近くの定食屋か居酒屋で済ませることの多く、こういう洒脱なレストランに免疫がない。

「すみません、注文いいですか?」

桂木弥子が店員を呼び止めると、ウェイターが笑顔で寄ってきた。

「ペスカトーレのデザートセットを100g増量してもらって、飲み物はオレンジジュース、デザートはパンナコッタでお願いします」

さっき肉まん3つ平らげたとは思えない量だ。何も知らない店員が復唱するが、私と吾代さんは呆れて視線を酌み交わす。

「それと、本日のパスタとミートソースを1つずつ」
「本日のパスタは少なめでお願いできますか」

吾代さんの注文に付け加えると、吾代さんがしっかり食えと睨んできた。

「それと、アラビアータ風リゾットとこの受賞したとかいう特性マルゲリータ、あとカルボナーラもお願いします」

説教しようと口を開きかけた吾代さんに被せるように注文を再開する女の子の声。私たちは桂木弥子を見た。

「あと、生ハムのサラダもお願いします。女子なんで」

えへへと笑う桂木弥子。ああ、迷った末のま、いいやは「全部食べればいいや」という意味だったのね。理解はしたが納得はしていない私がそっと目を逸らすと、吾代さんが小声で「女子が食う量じゃないけどな」と呟き、私は「ちょっと、それは失礼でしょ」と脇腹を突いて黙らせた。
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