子犬のワルツ

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「何なんだよあの記者は! てめーら一体何をしでかしたんだよ!」
「なぜついてくる? 我々と貴様は無関係でないとまずいのだぞ」
「うるせえ! そもそもうちの事務所だ! こちとらわけもわからず巻き込まれてんだよ! きっちり説明するまで帰らねーぞ!」

事務所のドアもくぐりぬけ喚き散らす吾代さんに、桂木弥子が新聞紙を渡す。吾代さんはしばらく無言で文字を追った後、顎が落ちるかと言うほど口を大きく開け、「何ぃーー?!」と絶叫する。

「知らなかった……アヤ・エイジア大好きだったのによぉ……」

パッタリと膝をついて涙を流す。

「社長に付き合わせてライブ2回も行ったのに……」
「吾代さん、コンビニでバイトしてたんでしょ、何で気付かなかったの」

桂木弥子と私は呆れ顔だ。

「まぁ、そういうことだ。この事件を解決した我々には、否が応にもこれから世間が注目する。それ自体は喜ばしいが、厄介なのはさっきのような粘着質のマスコミだ。あの輩に噛みつかれると支障をきたす。そこでだ、吾代」

注目なんて求めてないと言いかける桂木弥子を蹴り飛ばしながらネウロが人差し指を突き立てる。

「貴様に無関係な人間を装って、それとなく邪魔者を排除して欲しいのだ」
「そんなもん……マスコミなんざ素直に帰るやつばっかじゃねーだろーが」
「心配するな。どうしても貴様に排除できない者がいるなら、その時は我が輩がそいつを排除する。……人間には決して出来ないやり方でな」

ネウロが指をこめかみに当て、妖しく笑い、吾代さんは警戒の色を浮かべた。

「てめえ….….前から思っていたが、一体何もんだ?」
「しがない助手だ。そしてこいつが探偵でありワラジ虫だ」
「ど、どーも……ワラジ虫でーす……」
「……柚子は? こいつはてめーらん中でどーいう立ち位置なんだよ」

改めてそう訊かれると難しいものがある。言葉に迷う私の代わりに「そうだな」とネウロが口を開いた。

「現時点では情報収集のできる拾い犬と言ったところだな。ご主人への態度に関しては調教中だ」
「ちょ、調教中だと?!」
「吾代さん、顔真っ赤。別にこいつの言葉にそんな深い意味はないから」
「ほう、ご主人をこいつなどと呼ぶとは、偉くなったものだな。躾直しから始めないといけないようだ」
「おい柚子、この化け物鞭持ってるぞ! 本当に大丈夫なのかよ!」

私は桂木弥子を指差す。なぜかネウロから鞭をふるわれ「痛い! 何で私?!」と叫ぶ哀れな桂木弥子。
吾代さんは桂木弥子を憐れみつつも、「おまえは本当に暴力は振るわれてないんだな?」と念を押す。今のところは、とうなづくと吾代さんは少し安心したかのように息をついた。

「吾代、貴様にはマスコミが押しかける数日の間、下の階に待機していてもらおう。いらぬ詮索をしてくる記者がいるようならこっそり貴様を呼ぶから、住むところがなくてこっそり空き部屋に住み着いている我々とは無関係のイカれたチンピラを演じて「上でうるせーぞ! 俺の無職生活を邪魔すんなや!」とこの部屋に殴り込み、その記者の記録道具を破壊するのだ」
「こいつ、人の尊厳無視してないか?」
「諦めて、こういうやつなの」

桂木弥子は諦めたらしい。

「……が。窓の外のそいつに関しては、我が輩が片付けるべきだったか」

ネウロがすっと笑みを消す。その瞬間、ドアが開かれ、さっきの記者が姿を現した。

「おまえら、有名になりたいんだろ? だったら望み通りにしてやるよ」

男が手元のスイッチを押すと、窓の外からロープで繋がれた無数のカメラがこちらにレンズを向けた状態で振り下ろされた。

「何じゃこりゃ!」

吾代さんが私の手を掴み、自分の陰に私を隠す。記者は「どうだ、俺の数百の目に監視されてる気分は」と高らかに笑った。

「これからもどんどん増設するぜ。もちろんこの事務所だけじゃない。おまえらの行く先行く先々でおまえらを撮り続け、おまえらを破滅に追い込む情報をばら撒いてやる!!」

ばら撒き先を想像して、私は身を硬くする。こういう記者の情報の売り込み先は、編集社とテレビ局、そして信用調査だ。

「この野郎……」
「おまえらは普通に暮らしていればいい。素材さえ揃えば、俺が真実に合成・編集してやるさ。さぁ、追いかけっこの始まりだ! おまえら全員撮り殺してやる!!」

だめだ、こいつは消すしかない。手足を奪って証拠を消して、徹底的に恐怖心を植え付けないと。私はポケットの拳銃へと手を伸ばしたその時。

「待ても出来ないのか、駄目犬が」

ネウロが低く吐き捨て、パチリと指を鳴らす。その軽やかな音と共に、私が撃つよりも早く、無数のカメラが一斉に自爆した。

「……へ?」
「人間をすぐに撃とうとするな。躾をしなきゃ分からないのか?」

砕け落ち行くカメラの破片を前に呆れたように言うネウロ。ネウロ以外の皆は目を点にしてそれよりカメラを遠隔で爆発させる方がやばいだろ、と言いたげだ。

「俺の眼が一瞬にして……な、何なんだよおまえは、」
「そんなの俺がききてーよ」

ネウロを警戒しつつも、吾代さんが記者の頭をぐっと掴み、「それはそれとして、てめーもいい度胸じゃねーか、あ? この覗き野郎」と威嚇する。それを見たネウロがいいぞ吾代、と満足げに笑い歩み寄る。

「幸い他のマスコミは来ていない。今のうちに人を見る商売を廃業させてしまおう」

指先を記者の眼に近づけると、その顔が恐怖に歪み、叫んだ。

「何だこれ、こっこいつら……何俺を見てんだよ……や、やめろ、俺を見るな!!」

火事場の馬鹿力なのか、吾代さんの手を振り払い、立ち去っていく。その姿が鷲尾さんと重なり、私は顔をしかめた。

「……前もこんな風景見たぞ。テメェ一体何をしてんだ?」
「なに。今回は少し網膜に映像を焼き付けただけだ」

指をぎゅっと折り曲げ、ネウロはなんて事のないように言ってみせる。

「奴にはもう他人を見る余裕などなくなった。目を開けば必ず、自分自身が無数の目から見られている映像が映るからな。……が、あまり使いたくはないのだ。嫌な噂が立っては困るからな」

嫌がる人間を撮り続けた彼にとっては皮肉な結末だ。

「だからこそ吾代、貴様のような人間が必要なのだ。人間の処理は人間に任せるに限る。何しろそこの駄犬は加減というものを知らんからな」
「ちょっと、何それ」
「でも、そういう感じなの、吾代さん」

桂木弥子が言葉を選びながら会話に加わる。

「こいつ、ちょっと人間の常識を超えた奴でさ。私も巻き込まれてこんな事やらされてんだけど、人が必要なのは間違いないみたい。最初会った時、私をここから追い出そうとしたよね? あんな感じの迫力で……ちょっとの間マスコミ対策お願いできないかな……?」

桂木弥子のお願いに、吾代さんが舌打ちをする。暴力の世界で生きてきた彼は、下から柔らかくお願いされるのに弱い。私はそれを3年近く一緒にいてようやく分かってきたというのに、彼女は2回目の対面でやってのけるなんて、素でも計算でも恐ろしい。

「……柚子」

吾代さんが少し迷ったようにこちらを見やる。社長殺しの犯人を見つけた恩と、自分たちをボコボコにした相手にこき使われるという屈辱の狭間で迷っているんだろう。私は肩を竦めた。

「今まで通り自分で決めなよ。でも私は、信用できる人間が職場に増えるのは嬉しいことだと思ってる」

言ってから、ちょっとらしくないことを言ったかなと顔を赤らめる。だけど、吾代さんはその言葉で心を決めたらしい。

「……あの事件さえなけりゃてめぇらとも関わらずここを追い出されずに済んだ。ただ、テメェらが来なけりゃ、社長殺しの犯人が見つかんなかったのも事実だ。その借りだけは返してやる」

今回だけだと断言する吾代さんに、桂木弥子がぱっと顔を輝かせる。

「その代わりこれでこっちに借りは無しだ! 次また呼びやがったらぶっ殺すぞ!」
「それは無理な相談だな」

中指を突き立てる吾代さんを見てネウロが薄く笑う。

「んだと?」
「少なくともこの子犬がいる限りは、貴様は自ら雑用を志願することになるだろうからな」

良い買い物をしたものだと嘯くネウロに、吾代さんが「誰がするか!」と喚いた。

「ほう、そうか。柚子に何をしようと興味がないか。では」

ネウロが私に視線を投げ指を長く尖らせる。それを見た吾代さんがさっと私の前に体を滑り込ませた。

「おい、何するつもりだ」
「何、躾だ。また見境なく撃たれて、我が輩の事務所や人間を穴だらけにされてはたまらんからな」
「手ェ出すなよ、化け物。ただでさえ危険なとこに首を突っ込むわ兄貴共は粘着質だわで、怪我が多いんだ。余計な怪我増やすなよ」
「うむ? 子犬には興味なかったのではないのか?」

ネウロがわざとらしく首を傾げ、吾代さんは顔を苦く歪める。

「……そうとは言ってねぇ」
「だ、大丈夫だよ吾代さん! ネウロの躾はまあ、痛いけど死にはしないし、慣れたら気持ちよくなってくるかもしれないし! 多分!」
「全然フォローになってねーんだよ!」

桂木弥子はピリつく空気を何とかしようと的外れなことを言う。

「不安なら貴様が見張っていれば良いだろう。我が輩とて拷問調教が趣味な鬼畜ドSサイコパス野郎ではない。躾し直す理由さえなければそこの子犬をきちんと可愛がって大切にするぞ」

隣で桂木弥子が「どの口が……! どの口が……!」と涙を流している。

「おい、柚子、」

私を部屋の隅へ引っ張ると、ネウロを親指で指し示し小声で尋ねる。

「あいつ、マジで信用できんのかよ。あんな得体の知れないドS鬼畜野郎」
「さあ」
「おい!」
「でも、そんなに悪い奴じゃないとも思う。それに、まだ借りも返してないから」

社長殺しの犯人を見つけてくれたこと。兄さん達から逃がしてくれたこと。アヤエイジアの時は全然役に立てなかった。役立たずの烙印を押されたまま終わりたくはない。

「……そうか」

どこまで把握したかはわからないが吾代さんがやや不満を残しながらもそう呟く。

「まあ確かに、こんな化け物相手じゃさすがのおまえの兄貴もそうそう手出しはできねーよな。でもだからって油断すんじゃねーぞ」
「大丈夫。何だかんだDVはそこにいる桂木弥子が引き受けてくれるから」
「事実だけど嫌だ……!」

こうして、探偵事務所に非常勤としてではあるが、吾代さんが加わることになった。吾代さんのマスコミ対策は絶妙で、暴走する記者もいない。桂木弥子はカンペ通りに宣伝し、ネウロは猫を被ったままそれを見張り……見守り、私は奥に引っ込んで言われたタスクを黙々とこなす。トゥイッターのアカウントとしては無難なことしか呟けていないが、テレビで探偵事務所に関する報道が流れるたび、少しずつフォロワー数は増えている。こうして、桂木弥子探偵事務所の知名度は、ネウロの目論見通り緩やかに上昇していくことになったのだった。

(20190611)

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